自分が書いたことと似たようなことがあとになって新聞などに書かれているような気がすることがある。
同じことというより、実際にはそういうことではないのだろうが、自分の見方が少しは取り入れられた、あるいは自分の書いたことを意識して書かれたかのような気がして仕方がなくなってしまうことがあるということだ。
たとえば以前、自分は野田聖子が国が借金を重ねてきたことを批判していることに関して、野田が郵政大臣だった小渕内閣がものすごい借金をしたことについて書いた。
しばらく後に金子勝慶大教授が「週刊文春」に小泉政権がその在任期間全体にわたってしてきた借金が今まででもっとも莫大であることを長々と書いているのを見て、これは自分のようなことを書いている人間に対する反論?ととることも可能だと思った。
しかし、あの文章には小泉の在任期間がすでに歴代首相と比べて長いことや、国債費についてあまり触れられていなかったので、自分の勉強になるようなものではなさそうで、まともに読まなかった。
最近の朝日でも靖国訴訟に関して朝日が特に重要視している判決とはやや違った判決が高裁ででていることにほんの少し触れている部分を社説で見たりしたが、全くいい訳にもならず、ごまかしにもならないものだと思ってそのまま無視した。
もちろん無視すればいいのだけれど、やっぱりこうして書いているのは心のどこかでこうしたことが引っかかっている証左であることは認めざるを得ない。
またしてもずいぶん間があいてしまったが、前回のブログで藪本のブログについて書いた際、自分は日テレの不祥事を植草教授(この人はどこかの大学の教授にまたなったそうなので「元・早大教授」という書き方が適当かは分からなくて「週刊文春」はもしかしたらその点を意識した書き方になっていたのかもしれない)の事件と比較してあまりに日テレの対応などが甘すぎるということを書いた。
もう先週号になってしまうが、「週刊文春」は植草教授だけでなく、田代まさしなども例に挙げて、日テレの自分たちに対する抗議に対してさらに強く抗議していた。
「週間文春」と意見があってしまうのはあまり愉快ではないけれど、実際昔から意見が合うどころか、いろいろ読んでいて共感する部分も多いのだから今回も仕方がない。
それにしても藪本のブログは一時的に完全に閉鎖されたりしたようだが、なんとも後味の悪い対応をしているように思えてならない。
繰り返しになるが、まずこれは「オフィシャルブログ」でしかも見た感じはLivedoorがかなりカスタマイズしているようにも見えるわけだから、けっして個人が趣味でやっているブログではなく、Livedoorもしかるべき対応を取るなりサポートをするなりすべきではなかったか。
記事を消したりアップしたり、また消したりでは本当にわけが分からなくなるし、その間の藪本のコメントなども感情に流されたものだったようだ。
自分も初めてトラックバックを送ってみたが、ものの見事に消された。
ここ数年、性犯罪のたぐいがあるたびに、「被害者に落ち度があった」と主張しているかのごとき発言があり、それがたたかれ、またそれをたたき、などという応酬がよく見られるようだが、今回も同じようなことが繰り返された印象を持つのは自分だけではあるまい。
藪本の書き方が誤解を招くような書き方であったことは事実であったろう。しかし、具体的にどういう点がまずかったのかもう少し吟味すべきだったのではないかという気も自分はしているのだが、そういうことはなされずに終わってしまったようで残念である。
よく本屋に行くと「万引きは犯罪です」という貼り紙のようなものを見かける。
駅でも「痴漢は犯罪です」という貼り紙のようなものを見かける。
そのうち「盗撮は犯罪です」という貼り紙が駅の階段などにされるようになるかもしれないとさえ思う。
言っておくが、藪本のブログが盗撮が犯罪ではないかのごときニュアンスを伝えるものであったとまでは言わない。
むしろ日テレがこの件が不起訴処分になったことでできるだけ具体的なことは公開せず騒ぎを沈静化しようとしていることがまず何よりも問題で、その流れと藪本のブログの炎上はけっして無関係ではない。
薮本にしても日テレの処分が甘いことをまず嘆いていたはずだ。
これでは日テレは不起訴処分になってしまえば犯罪ではないと主張しているようなものではないだろうか。
日テレは日曜の早朝に「あなたと日テレ」という番組をやっていて、一般の視聴者から番組に対する意見を募ってるらしい。
こちらが番組のサイトです
自分たちの不祥事を明確にする事もなく、こうした番組をやっている人たちの神経にはあきれるばかり。
それとこの事件を起こしたアナウンサーはこれだけ世間を騒がせておいて、今でもこの会社にいるのだろうか?
考えてみるだに恐ろしい会社である。
(文中一部敬称略)