自分はそれほどサッカーは詳しくはないのだが、2002年のW杯の時には「にわかフアン」になって、それなりに熱狂した覚えがある。
今回はあまり熱狂しているわけでもないが、それでもテレビで何試合か見て、「いい試合だった」とか、「つまらない試合だった」などと思ったりはしていて、具体的な感想をどこに書こうかいまだに迷ったりしている。
しかし、それ以前にまずここにで訴えたい事が一つ生じたので、書きたいのだが、まず日本人ならば、みな日本代表を応援しなければならないというこの風潮についていけないものを感じることを正直に申し上げたい。
はっきり言ってしまえば自分はサッカーに関して言えば(何に関してもかもしれないが)非国民なのである。
しかし、この「非国民」という蔑称はよくよく考えて使う必要があると思う。
これはよほど国益に反することをした人間にのみ使うべきであることは言うまでもない。できれば使わずに済ませた方がいいに決まっている。
もう一度あらためて前置きのようなことを書かねばならないが、自分はW杯を観戦もしくは応援に行く一般の人たちというのは、よほどお金と時間のある人たちだと前から思っていて、自分などはうらやましいというしかないものを感じている。
これは今回に始まったことではなくて、フランスの時にも大勢の日本人がフランスの田舎のほうにまで行ったということなどで話題にもなったのは記憶に新しい。
さて、今回のW杯に関しては日本のサッカーは今の時点ですでに成績も決してよいとは言えず、内容もよくないと思っている。
本当はもっと言いたいことがたくさんあるのだが、とりあえずブラジル戦の結果が出てからまたあらためてどこかに書こうと思っているのだが、今回はまずクロアチア戦にまつわる変なエピソードのようなものについて書きたい。
やっと本題に入りつつあるわけだが、この試合に勝てなかったのは日本にとって非常に痛かった。
それ以上に自分はオーストラリア戦の敗北がまず痛かったわけだが、中田(英)も言ってるように「次は勝たなきゃいけない」と前からマスコミも選手も言ったわけで、にもかかわらずクロアチ戦で引き分けたというのはあまり喜べない事態であったことも確かであろう。
自分はテレビでこの試合を見ていたが、試合終了とほぼ同時にある日本人女性が大写しになったのだが、試合の結果を喜んでいたようなので、自分は反感を感じた。
そのことについても、自分は書こうかとも思ったぐらいなのだが、週刊新潮ではこの女性がネット上で「非国民」呼ばわりされていることを報じている。
こういうことは今回に限ったことではないが、ひどくさげすむべき行為である。
ネット上なら何をしてもいいなどというつもりはないが、ようするに週刊新潮はネット上で行われている心無い行為を取り上げて、騒いで面白がっているととられても仕方がないだろう。
詳細については週刊新潮をごらんになっていただきたいが、ようするにこういうことを週刊誌が取り上げること自体がネット上の騒ぎどころではない人権侵害だと自分は思う。
自分たちがこの女性に文句があるなら、自分たちの意見として書けばいいものをネット上で非国民呼ばわりされているなどとして責任を転嫁して、自分たちがこの女性にたいしてすさまじいばかりの人権侵害をしていることをごまかそうとしているとしか思えない。
もちろん私は週刊新潮はひどい人権侵害をしていると思うし、修整がほどこされているとは言え、顔が写っている画面まで出しているとなると、それなりに誰かが法手続きをして今さらではあるが、回収をするぐらいのことはすべきであると思う。
もちろん週刊新潮だけでなく、一人の女性を写しすぎたという責任がテレビ局に問われてくる可能性もあるだろう。
一般の一人の女性が自分たちの気に喰わない反応をしたからと言って「非国民」呼ばわりする人たち、さらにその騒ぎを面白がって取り上げる週刊誌、自分にいわせればこういう人たちこそ同じ日本人として恥ずべき「非国民」ではないのだろうか。
ネットと週刊誌、それも週刊新潮のように巨大な発行部数を誇る週刊誌とでは全く影響力が違う。
もちろん自分だってその女性の反応には強い疑問を感じたし、ここで取り上げることもさらに騒ぎを広げる可能性もあるとは思う。
しかし、もうすでに週刊新潮にこれだけ取り上げられた以上、そのことの是非については考える必要があると思う。
前回のW杯では、客席にいた韓国の女性がきれいだということで、騒がれてテレビなどにも出るようになった。
しかし今回、こういうことが起こった以上は、今後はスタンドにいる観客の肖像権ということも考える必要があるかもしれないとまで思わされた一件であった。