鳩山邦夫という人はもうほとんど理性を失っているとしか思えない。
というよりもこの人の発言後の処理の仕方が非常にまずい。
たとえば友人の友人がアルカイダという発言であるが、これはいくらあとで発言を撤回したところで公安当局が調査すべき由々しき問題だ。
自宅や事務所など電話やPCなどもとりあげて交友関係を洗い出し、アルカイダ勢力が国内で活動しているかどうか当然調べるべきである。
ところがそういうことを公安当局がしたとは聞いていない。
平和ボケもいいところだが、これでは何のために公安調査庁があるのか存在意義が疑われる。
また今回の冤罪発言だが、こういう失言の類を聞いているとどうも鳩山邦夫という人は法務大臣になってよほどうれしくて頭がおかしくなってしまったのではないかと思われる。
それはそうだろう。自民党から出て行って民主党では政権がとれないから自民党に戻ってきて大臣のいすに座っているわけだから、笑いが止まらないのも無理はない。
もっとも株に関する発言は失言などではなく、むしろそういうことを隠しとうそうとする鳩山由紀夫の方がおかしいと思わざるをえない。
冤罪発言についてだが、朝日は2月15日の社説で以下のように述べている。
一般的に、「疑わしきは被告の利益に」との刑事裁判の原則が適用されて灰色無罪となるケースがある。それまで冤罪というのは抵抗があるという趣旨なら分かる。
そうなんですかね。というかこんなことを朝日が言う日が来るなんて夢にも思いませんでした。
でも私の感覚で言うとたとえ「灰色無罪」であっても「冤罪」の可能性はあるのだから、それを「冤罪」というのは抵抗があるというのは自分は分からないですね。
ようするに灰色無罪というのは「冤罪」の可能性があるから、というかすでに「冤罪」になっている可能性があるから無罪にするわけでしょう。
それぐらい「冤罪」というのは種類や程度の差はあっても大変なことなんですよ。
灰色無罪の場合でもやっぱり冤罪としなくちゃ何のために無罪にしてるんだか分からなくなるんじゃないか。
というより「灰色無罪」なんて正式な法律用語なのかね。自分は法律に詳しくないけど、せめて推定無罪というべきではないか。
映画のタイトルにもなったようだが、英語でassumed innocenceなどというのがそれだろう。
ちなみに「疑わしきは被告の利益に」というのは自分は初めて聞いたがこれはこれでいかにも翻訳みたいな感じがして普通は「疑わしきは罰せず」と言うのだろう。
鳩山は刑が確定して服役したあとで無実が証明されたとき「冤罪」と考えていて、冤罪のハードルが高いわけだが、どうも朝日は冤罪のハードルをどのあたりに置いているのかよく分からない。
「灰色無罪に」関しては冤罪と言うのは抵抗があると言うのなら分かると言うことなら、これまた私に言わせれば冤罪のハードルは高いと言わざるをえない。
たとえば電車などでの痴漢だって灰色無罪と言うのはあるだろうが、これを冤罪と言うのは抵抗を感じると鳩山が言ったら朝日は納得するのか。
これは話を分かりやすくするために「灰色無罪」と書いたまでであって、むろん「証拠不十分」などとすべきであろう。
灰色無罪というのはどうもマスコミが灰色高官と言う言葉などでいろいろ疑惑のある政治家や実際に裁判で有罪になった者たちに関してよく使っていたころに同じように多く使われた言葉ではないか。
つまり、裁判で無罪になったら無罪として社会的には扱われるべきなのに、マスコミはこういう言い方を頻繁に使っていたのではないか。
こういう言い方も正確ではなくてはっきり言えば例の「ロッキード裁判」のころに灰色高官という言葉が使われだして、そのニュアンスが「灰色無罪」という言葉にもまつわりついている。
ロッキード裁判に関する論争もあったが、実際判決の中には「灰色高官」というよな言葉を想起させるというか、作り出すようなものもあったのではなかったか。
話を灰色無罪に戻すが、この言葉を使うと自分の感覚では限りなく黒に近い灰色、あるいは犯罪事実は厳然として存在するが犯人とする証拠が不十分のため無罪するというようなニュアンスを感じる。
朝日は鹿児島の事件は「灰色無罪ではない」と述べている。
しかしながら、鳩山の発言が言及された事件が「灰色無罪かどうか」ということによって妥当な発言かどうか左右されるというのは理解できない。
だいたい「灰色無罪」ということは誰が決めるのか。
朝日はまず「事件そのものが鹿児島県警によるでっちあげの疑いがきわめて濃い」と言っているのだから、ようするに犯罪事実そのものがないとされるわけであるから、そういう場合に比較のためとはいえ「灰色無罪」と言う言葉を持ち出すこと自体おかしな話ではないか。
灰色無罪と言う言葉はあまり使わないほうがいいというのが自分の考えで、たとえば殺人事件のようにある犯罪事実が厳然として存在するとき、たとえば誰かが逮捕され起訴された場合を想定してみても、かりに証拠不十分で無罪判決が下りた時でも「灰色無罪」とは言いにくいだろうということを考えれば、そのことはあながちゆえなきことではないと思えるのではないか。
たとえば昔のボクシング選手が殺人容疑で拘留されていることが報道されていているがこれは「冤罪」として報道されている。
袴田事件と称されるものだが、これも今刑が確定しているのかどうか微妙な情勢にあるのかもしれない。
何年か前に報道ステーションでこの事件を担当した元・判事が泣きながら袴田が無罪であると言っていたようだが、自動的に死刑にする道を探ったりする鳩山がいつ死刑執行に踏み切るか不安もある。
話がずいぶんわき道へそれてしまったがようするに袴田がかりにこれまでのある段階で無実になったとき「灰色無罪」などと言う人はいないだろう。推定無罪でも不快な印象は残る。
つまり「証拠不十分」は即「冤罪」でいいのではないか。
さて話を戻してもう一度朝日の引用を見ていただきたい。
一般的に、「疑わしきは被告の利益に」との刑事裁判の原則が適用されて灰色無罪となるケースがある。それまで冤罪というのは抵抗があるという趣旨なら分かる。
私には「それまで」という言い方が分からない。
朝日は大辞林から冤罪の定義を引用している。
罪がないのに、疑われたり罰を受けたりすること。無実の罪。ぬれぎぬ。
朝日は判決が確定して罰を受けなければ冤罪にならないとでも思っているのだろうか。
逮捕された時点でも無実が証明されたり、立件されないこともあるのではないか。その場合には冤罪と言うべきではないだろうか。
事件が公表された時点ではすでに社会的制裁を受けているわけであるからその時点で「罰」は下っている。
むろん、朝日をはじめマスコミがその権力構造の代表であることは間違いない。
「冤罪」は法的機関だけによってなされるのではない。
疑わしきは罰せずと言う場合にも朝日をはじめマスコミは法的機関にかわって被告に社会的制裁を加える。
マスコミによる虚偽報道を含む社会的制裁も立派な冤罪である。
そういう自覚が全く朝日には抜けている。
もう一つ最近気になった失言で古館の「アダルト・チルドレン」発言がある。
最近報道ステーションを見ていないのであるが、なぜ古館が謝ったかよく分からない。
謝るべきではない、と言っているのではない。どうせ普段から付け焼刃の知識であれこれ自分でもわけのわからないことをしゃべりまくっているだけなのになぜこの件だけ謝るのか、それが分からない。
そんなことで謝れば、社会的弱者に対して優しい人間だと思われるとでも思っているのだろう。
謝るからには具体的にどのような症状が「アダルト・チルドレン」でどのような行動がそうでないか古舘は区別がつくのだろうか。
あるいは「アダルト・チルドレン」という病名の元に正当化される行動があると思っているのだろうか。
古館が謝ったというのはそういうことに関して社会全体として共通の理解があってしかも自分が深く認識しているという前提で謝っている印象を与えるが、その辺のところが自分には分からない。
むろん自分は普通の会話ではこういう言葉を使ったことはほとんどない。
自分に関しては用いたことがあるが、すくなくとも人については言ったことはない。
古舘ほど自分を棚の上にあげる馬鹿ではないつもりである。