今日は外へ出たのがおそくなってしまい、いつもゆくサテンはしまりかかっていた
ので、
おかわり自由のミス○に行って、先日ここに書いた大澤真幸の
『虚構の時代の果て―オウムと世界最終戦争』(ちくま新書)をほぼ
読み終えた。
自分などには到底理解できるしろものではないと言ってはそれまでで
あるが、いろいろと疑問を感じた。
まずなんと言っても、
引用が多すぎてどこに独自の主張があるのか分かりにくい
東大教授?の著書から自分の教え子?の卒論にいたるまで引用に次ぐ引用でそれを
まとめる著者の構想が見失われがちになりかねない。また、
「虚構の時代」という定義がどれぐらい新鮮味のあるものなのか著者の中で明白になっていないのではないか
ポスト・モダンに関する言及はあるものの、それとの異同がほとんど吟味されて
いない。
またいくつもの大きなテーマを次々に投げかけながら交わしてゆくようなところが
あり少なくとも私は知的興奮を覚えつつも、どこへもっていかれるのかという不安や
単にわざと難しい書き方をしているのではないかという脱力感、もしくは徒労感を
何度も感じた。
とにかく読む本を間違えたのかもしれない。サブカルチャーや宗教に興味がある人は
面白いかもしれないが、逆にそういう人には常識的なことばかりが書かれていると
感じるのではないか。結局のところ悪い意味で学術的なというか、不出来な
学生の無駄に長い論文を読まされたような感じがする
ので、


読み終えた。

あるが、いろいろと疑問を感じた。
まずなんと言っても、
引用が多すぎてどこに独自の主張があるのか分かりにくい
東大教授?の著書から自分の教え子?の卒論にいたるまで引用に次ぐ引用でそれを
まとめる著者の構想が見失われがちになりかねない。また、
「虚構の時代」という定義がどれぐらい新鮮味のあるものなのか著者の中で明白になっていないのではないか
ポスト・モダンに関する言及はあるものの、それとの異同がほとんど吟味されて
いない。
またいくつもの大きなテーマを次々に投げかけながら交わしてゆくようなところが
あり少なくとも私は知的興奮を覚えつつも、どこへもっていかれるのかという不安や
単にわざと難しい書き方をしているのではないかという脱力感、もしくは徒労感を
何度も感じた。
とにかく読む本を間違えたのかもしれない。サブカルチャーや宗教に興味がある人は
面白いかもしれないが、逆にそういう人には常識的なことばかりが書かれていると
感じるのではないか。結局のところ悪い意味で学術的なというか、不出来な
学生の無駄に長い論文を読まされたような感じがする
