妄人妄語 衆議院議員野田聖子さんの選挙公約消去 有権者・国民を愚弄するサイト一時閉鎖に抗議します!「非道」はどっち?

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電話女

2005-02-24 21:07:08 | Weblog
私の母にはよく電話がある。先日も電話が来た。この奥さんは日ごろから実によく電話をくれる方で、私が「母はいません」というと実に暗い声の表情でこたえる。先日はそれほど暗い声でもなく、「じゃぁ電話をくださいとお伝えください」と言われた。正確に数えたわけではないが、もうこの人からはおそらく何百回も電話を取り次いでいるが、
こう言われる事は珍しい。普段は「じゃぁ、電話があったとお伝えください」と言われることが多いのである。それほど気に留めていたわけではないが、とにかく母が寝る前に伝え、母は彼女に電話した。すると、先に出たところに彼女はいなかったらしく違うところへ電話した。と、思った瞬間、
え、何で!!!」
と悲鳴とも絶叫ともつかぬ大声を上げた。これにも私はなれていて、こういう場合は誰かがなくなったことや、悲鳴をあげた次の瞬間には冷静にどこへ連絡するかなど冷静に話し始めることも私は知っていて、事実そうなった。

しかし、その方は私が電話に出たときはそのことは言わなかった。このような場合訃報を伝えられることもあって、どのようにお言葉をおかけしたらよいのかとっさには判断できないこともある。「ご愁傷様でした」とか、「お力落としにないように」などまるで、何かの教科書やマニュアルに書いてあるようなことを言ったとしてそれがなんになろう。私の母のように一瞬大声をあげて泣き喚くのが一番のお悔やみになるのだろうが、それほど親しくない場合にはそのようなことはできない。

今これを書いていて気づいたのだが、その人は私にそのような気づかいをさせるべきではないと思い、自分には伝えなかったのであろう。たしかに母と直接
話せねばならぬこともあっただろうし、ただ単純に私には先に伝えたくないと思われたのかもしれないが、やはり伝えるべきときと、相手をそれなりに考えてのことであろう。
たぶんその人なりに私に気を使ったのであろうが、私としてはやはりそのような場合、一言なりとお悔やみを言うべきであったとも思われる。その機会は与えられなかったのは自分の不徳のいたすところであったろうと思っていた。

自分はいつもこうしたブログを書きながらいろいろと考えている。自分の考えが常に正しいわけではない。人の考えが常に正しいわけでもない。だからいつも自分は書きながら迷い、迷いながら書いている。

自分は人様に気を使われる人間であろうか。それともこわがられている人間であろうか。人に気を使うことのできる人間であろうか。弱い立場の人のことを思える人間であろうか。弱い立場の人とは誰か。常に考えながら書き、書きながら書いているつもりだ。もちろんできるだけもっとも弱い人のことを最優先に考えるようにしている、これもつもりではあるが。

追記
すいません。内容と題がずれてしまいました。それとこれはトップにのらなかったみたいです。
それと、アクセス数ランキングに二度目で最後のランクインしたみたいです。わが目を疑いました。ありがとうございます。404位で総アクセス数は400を超えております。もうこれ以上目立ちたくありません?!
再追記
すみません。やはり載ってました。



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