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河合塾のセンター試験に関する公開質問状に疑問

2005-01-20 15:13:38 | Weblog
大学入試センターが16日実施した「国語1・2」の試験で出題ミスがあったとして河合塾が公開質問状を出したそうだ。第3問(古文)の問4の選択肢のうち、センターでは(5)を正解としているが、同塾は「正解をひとつにしぼるのは困難」と指摘していて、大学入試センターで対応を協議しているとのことだが、いろいろこの件に関しては疑問に思うところが多い。

まずこの「ニュース」はいろいろなところで取り上げられ、少なくとも朝日は紙面でもとりあげていたと思うが、(小?)見出しに「出題ミスか」と書き足されているものが多く、この件に関してはっきりと「出題ミス」とは書かれていないことだ。

大学入試センターも今だに検討中なのかもしれないが、こんなことは早く回答すべきである。さらに不思議なのは河合塾のサイトにこの件に関するページが見つからないことで、さらに消された形跡もあるようである。

自分はこの件に関して河合塾の「正解をひとつにしぼるのは困難」という指摘は誤りであると思う。そしてこのままうやむやにされるとしたら、非常にまずいことだと思うので、素人考えかもしれないが、以下自分なりの私見を述べる。

あらかじめ断っておくが、もちろん自分は河合塾とも大学入試センターとも何のかかわりもない。また国文学の専門家でもない。問題文全体はリンク先で見ていただくとして、河合塾の主張は報道によればこうである。


       ****************************
 五つの選択肢のうち正しいものひとつを選ぶが、選択肢(5)にある「不孝をわびたい」という気持ちを本文から読み取ることは困難であり、また選択肢(2)にある馬との対話とも読み取れるとしている。
       ****************************


これに対して駿台予備校の問題の講評は以下の通りになっている。


       ****************************
問4はやや難。選択肢2と5とでかなり迷ったものと思われる。問題文前半の「かくとも申さであくがれ出でしが、御恋しければ・・・」あたりから、「としごろ」の中将の母への心情を読み取り、また「心ざし」という語の意味内容、あるいは問題文全体から、傍線部は母への「心ざし」であることを読み取って選択肢5を正答とすることになるが、正答率の低い設問となったであろう。
       ****************************


つまり駿台はこれが出題ミスとはしていないことがわかる。しかしこれでも決して分かりやすい解説ではないと思われる。手短に講評する場合いろいろ書いてしまうとかえって分かりにくくなるので、ここでも書き方が難しいが、2について言うと、「としごろ」は「長年」といった意味であることを考えれば、2の選択肢では馬に自分がお前を「長年」思っていたのだから。。。というふうになってしまい、不自然であると思われる。つまりここで選択肢2の「都をでたときから」という部分とは違うであろうと分かるはずである。

また、選択肢を「中将の誰に対する気持ちか」という点で読めば、「中将の母に対する気持ち」が書かれているのは5のみであることから、5が正解であると分かるはずなのである。

たしかに「こころざし」の具体的内容ははっきりとは書かれていないが、その内容ではなく、あくまで誰に対する気持ちかという点で判断すべきであるので、問題として不自然な印象はあるものの出題ミスとまでは言えないと思う。

河合塾は「公開質問状」を出したのだから、もし自分の主張を撤回するのであれば、一体誰がこの質問状を出したのか、氏名や学歴および経歴も公開すべきであると思う。地理に関する公開質問状については私はよく分からないのであえて触れないが、いかにも宣伝的な感じもする。

またマスコミも大学入試の古文ぐらい自分で判断して出題ミスかどうかはっきりとした見出しをつけられないものだろうか。もし出題ミスでないのに、「出題ミスか」などという小見出しのようなものをつけて報道したら、これは大変な問題である。

いずれにしてもうやむやなまま済ますことだけはやめてほしい。私の記憶が正しければ河合塾は以前丸谷才一の文章を模試の小論文で使用した際、やはり抗議されたと記憶するが、あの問題はどうなったのだろう。自分はどんな文章でも書いた人の意図が全てであるとは思わないし、模試という性格も考える必要もあるとは思うが、それなりに回答すべきだとは思う

もっともこれは回答したのかも知れない。もしこれも決着がついていないようなら、今から調べてまた書きたい気がする河合塾が問題にしてる設問

なぜNHKは森前首相や橋本元総理のコメントを流すのだろう?

2005-01-20 00:45:23 | Weblog
朝日新聞がNHKの元総局長が発言を翻したことに関して抗議している。「言った言わない」の争いと言うのはよくあるが、ニュースソースとこれだけトラブルになるのは珍しい。自分はNHKも朝日新聞もあまりよい印象はないが、NHKは報道に関してはまだましなのではないかと思っている。

ただ昔から不思議に思っていたのは、いろいろなニュース(外交などについてのニュースだったと思う)のあとで、森前首相はこう語ってます、とか橋本元総理はこう語ってますなどと顔写真入りでコメントを紹介していることで、これがなぜなのか釈然としないということである。

この二人の発言力というのは首相の座を降りてからはそれほど大きいとは思えない。首相の座を下ろされた経緯からすればそれが当然であると自分には思える。むろん橋本元総理はその後も入閣したけれども、それがいいことだったとは自分には思えない。なぜNHKがこの二人のコメントを流すのかと言えば、やはりなんらかな形での政治的力学が働いているとしか思えない

コメントを流す場合にはできるだけいろいろな立場の人のものもながすべきでいくら首相経験者とはいっても、特定の人間のコメントをことあるごとにニュースの中で流すと言うのは不自然ではないだろうか

それはNHKの勝手といってしまえばそれまでだけれど、今はいい機会だからこういうこともなぜなのかぜひNHKに訊きたい気がする朝日新聞はトップですごい怒ってる。びっくり。。。
何度もアップに失敗しました。。。

チェ・ジウが除籍なら宇多田もというわけにはいかないのか

2005-01-19 16:05:51 | Weblog
チェ・ジウが所属していた大学を除籍になったという。この人がこれだけの大スターでありながら大学生であったことも驚きだが、除籍というきつい処分とそのことが報道されるということも一種の有名人税ということとはいえ自分には少し驚きである。

日本では休学を重ねた場合、除籍ということにまでなるのだろうか。自分は休学をしたことはないので分からないが、除籍する前に自分からやめるように促すのが普通であろう。

これは他のブログにも書いたことで、話しは変わるが、宇多田ヒカルはコロンビアを退学したのだろうか。アメリカの大学に申し込むときには志望理由などを書いて提出するはずだが、もし入学してすぐ休学ということならあまりにも不誠実ではないだろうか。芸能活動もして結婚するのもいいけれど、はじめから勉強する気などないなら大学など申し込むべきではない。

「サッチー」に「アメリカの大学は入るのはやさしいが、でるのは難しい」といわれて激怒したのは、要するに最初から卒業する気など毛頭なかったということなのかも知れない。

そういえばアメリカの大学に申し込むさい「財政能力証明書」の提出を求めるところもある。コロンビアがそれを求めているかどうかは知らないが、
いずれにせよ、肩書きや名誉だけを求めている人間はそれこそ除籍にしてほしい

宇多田ヒカルは総理主催の晩餐会でブッシュにコロンビアの学生だと紹介されていた。
私の記憶が正しければ、その時「ではなぜ今日本にいるのか」と聞かれて、「休暇中」(on vacation)とか言ってたはず。

まさか 
I dropped out.
とは言えないだろうが、そのほうが事実に近いのではないか。彼女のおかげでコロンビアに入れなかった人はいるはずだし、日本人の評判もさらに悪くなっているであろうことを彼女は考えているだろうか。

まさかのまさか、結婚したのも、学業を中途半端に忘れ、世間にも学生であることを忘れさせるためのものではないだろうとは思うが、そうでないなら自分できちんと早急に問題を片付けるべきだし、いろいろ理由をつけずに、自分が授業についてゆけたのかどうかはっきりさせてほしい。

日本のマスコミがどうのこうの言っているが、教室に行くのも父親をはじめおつきのものとうろうろさがして歩いたりするから騒がれるのだと思う。

こういう事に関して必要以上にいろいろ人のせいにしたりするのはよくない。チェ・ジウ除籍のニュース。それにしてもきれい過ぎる!まさに絶世の美人。。。

サマーズ(ハーバード大総長)の女性差別発言?

2005-01-19 00:50:44 | Weblog
サマーズという人はもともとハーバードの教授だったと思うが、クリントン政権で財務長官(というのだろうか。日本の大蔵大臣にあたる)を務めた。

その後2001年からは、ハーバードの総長をしている。今日この人物が「女性は理科系の分野で台頭できないのは遺伝子的にそうなっているからだ」というような発言をして英米のニュースサイトはこの話題で持ちきりになっている。

自分は男と女である程度向き不向きの分野があることは事実だと思う。たとえば囲碁や将棋の分野では女性プロが男性のプロを負かすのは今では珍しくはないとはいえ、話題にはなるようだ。

しかし理科系の分野で台頭するというのは男でも女でも難しいわけだから、たまたま女性で活躍する人が少ないということがあるのかもしれない。

いずれにせよ発言の真意も根拠もあまりはっきりしないようだが、彼の発言が世界的な大ニュースになっているということは事実であってこういうことをいちいち取り上げるということはやはりハーバードの総長というのは尊敬されているのだなと妙に感心したりする。。。。

もちろん自分は男性でも知的な人もいれば、知的でない人もいると思う。タダ体力だけは男性のほうがあると思うので、むしろ知的な仕事は女性がしたほうがいいかもしれないなどと書くとこれまた問題だろうか?
そのニュースを見られるサイトの一つ

杉田かおるよおまえもか!CONGRATULATIONS?!

2005-01-15 16:36:37 | Weblog
杉田かおるは私と同世代である。したがって子供のころは彼女の子供としての役どころを見てきたし、思春期には思春期の演技を見てきて、最近の負け犬キャラにはこちらは男性ではあるものの、ある種の爽快さを持って見てきた。

一昨日ぐらいの段階では結婚を否定する報道もあったようだが、本当に結婚する(ではなく「した」というべきか)ということを知って複雑な心境ではあるが、本人がそれだけ喜んでいるのでは仕方ないと思った。昨日の夜の番組は見ていないが、いずれ似たような番組がたくさんあるだろうし、ネットなどのニュースを見ただけでも「ご馳走様」である。

英語ではこういうときにCONGRATULATIONSと言ってしまうと「さんざん苦労」してようやく結婚したみたいなので、言わないほうがいいらしいが、これほどこの言葉を言いたい衝動に駆られるケースも珍しいような気がする。

しかし、最近「負け犬」キャラで新たな境地を切り開きつつあったのに、もう「勝ち犬」キャラに「転向」するのも変わり身が早いという気がしなくもない。それとも売れているうちにどんどん話題をさらっていくぐらいがこの業界ではちょうどいいのだろうか。

よく「ゴール・イン」というう言葉昔は使われたが、むろん人生はこれからであろう。ぜひずっと幸せでいてほしいものだ。

アメリカCBSのブッシュに関する軍役疑惑報道で処分

2005-01-12 23:42:32 | Weblog
CBSの60minutesという番組でブッシュの軍役に関して疑問を投げかける報道が昨年の9月にあって、その報道に関する根拠の信憑性が疑われダン・ラザーも窮地に立たされた。外部調査による結果が発表され、処分も行われた。

ダン・ラザーの番組ではあったが、彼自身はその当時カリフォルニアのハリケーンの取材でその番組作りには直接は関係していないということに落ち着いたようだが、3月には番組を降りるようである。

今回の発表に関してもまだ生ぬるいという声はあるが、一応外部調査を行い、調査内容も発表されている。日本ではたしか10年以上前になるが、テレビ朝日のいわゆる「椿発言」が問題になったが、調査はしたものの、全く偏向報道はないというようなことであった。

「ニュース・ステーション」などは当時放送したビデオを一般に貸し出しするなどすれば、問題の箇所はいくらでも指摘されるはずだと思うのだがなぜ全く偏向報道がないという結論がでたのか自分は不思議であった。

今日おりしも安部自民党元幹事長のNHKの番組に対する「介入」が問題になったが、単に政治の側からの報道に対する介入だけでなく、報道の側からの政治への介入も問題だと思う。

ところでこのCBSの件に関しては日本でどれだけ報道されているだろうか。自分も詳しく理解しているわけではないが、日本のマスコミはアメリカのニュースや社会問題を報道する英語力が本当にあるのだろうか。自分はCBSなど英語のサイトから情報を得て書いていて、この件に関して日本での報道を一切目にしていないので自分がここに書いていることは必ずしも正確だとは限らないが、いずれにせよこれは日本でも報道するに値するニュースだと思う。

それともこうした問題はマスコミの存在自体を批判する目を一般大衆に養わせることになるのでわざと報道しないのか。

いずれにせよCBSでは、処分された者たちの実名はもちろん、写真やプロフィールまで全て公開された。日本のテレビ局とはえらい違いだと思うのは自分だけだろうか。

13日追記:12日の毎日朝刊ではこの記事があったようである。



なぜ青色LED訴訟は8億円で和解したのか分からない

2005-01-11 23:59:19 | Weblog
この裁判に関しては以前から自分は疑問を持っていたが、今日の和解の報道にも不可解な点が多い。

まず読売の記事には「高裁で今回の判決を下回る判決が出る可能性がある」とかかれていたようだが、この裁判は今、どのあたりで進行しているのか、ということも含め自分は詳しいことは知らないことをお断りしておきたい。

法律はもちろん、いわゆる会社にも勤めたことはないので、この問題に関しても論じる資格はないかも知れないが、いくつか疑問に感じた点を書きたい。

まずこの和解については弁護団が見解を正式な文書の形で発表しているが、これがまた実に分かりにくい。「本件を和解で終了する理由は、以下のとおりです」としながら、「理由の詳細については、弁護士の依頼者に負っている守秘義務により開示することを差し控えさせていただきます」としている。これでは、そこにかかいてあること以外に何かよほどのことがあって「和解」したとかんぐられても仕方がないのではないか。

なんとも不思議なのは1審?で会社側に200億の支払い命令が出ていながら、なぜ今回8億の支払いで和解したのかということである。200億と8億とではあまりに違いすぎやしないだろうか。

1審で200億の支払い命令が出ていながら、8億で和解というのは数字の上から言えば、原告の完全敗北に等しいのではないかとも思える。

弁護側のコメントにはいろいろなことが書いてあり、他の裁判についてもいろいろ書いてあるが、なぜ他の裁判の事例を持ち出すのかそこがまずおかしいという気がしてならない。もし200億請求したのであれば、その数字にはそれなりに意味があったはずで、その数字にこだわらないのであれば、そもそも原告の請求自体の根拠が問われかねないはずである。

弁護側のコメントには「提訴時(平成13年)以降、職務発明制度につき、大きな変化が生じました。企業は、従来の発明報奨金支払い制度を見直しています」とあるが、これはそもそもこの訴訟の目指したことなのであろうか。他の会社の事例を持ち出すのはいかにも自分たちの和解が「屈服」ではないと強調しているようで、印象はよくない。

「本件8.4億円(利息を含む)の和解金は、額の点で、原審判決に及ばなかったとはいえ、本質的には、画期的勝訴です」としているが、「本件和解金額(8.4億円〈利息を含む〉)は、中村教授の発明より生ずる利益が巨大であるが故に、発明により生ずる利益の額があるレベルに達すると、相当対価の額は頭打ちすることを意味します」とも述べているのを見ると、この和解というものがむしろ他の事例にしたがっているようにも思われ、「画期的勝利」とまでいってよいのかどうか、本人たちが本当にそう思っているのか分かりにくい。

この裁判の意義についてまず第一に「ご褒美(即ち、2万円)から、不十分ながら、発明の譲渡の対価(即ち、8.4億円〈利息を含む〉)への転換です」としているが、どうしてそこに給料が全く含まれていないのかまず解せない。

この裁判の原告はなぜ日本の会社に就職することを選んだのだろうか。もしこのようにある発明に対して日本の会社が十分な報償を与えず、よその国では十分な報償を与えることを知っていれば、その国へ行けばいいだけの話しであるし、その発明・発見をした時点で独立起業することも考えるべきではなかったか。

そもそもこの発明およびその発明による会社の利益というものは原告一人の力によってなしえたであろうか。その辺のところを一切触れずに「会社に対する個(即ち、個人)の確立」ということを言うのはそもそもおかしいのではないだろうか。

自分は、著作権や知的財産権はもちろん大切にすべきであるとは思うが、発明・発見が製品化され成功するには多くの力が必要であると思う。この点に全く原告側が注意していないようであるのは実に残念でならず、訴訟の社会的意義ばかりコメントで論じているのは「問題のすり替え」のようでもっといろいろ考えるべきだと思う。




一度白紙状態でアップしてしまいました。またあとから直したりするかもしれません。

数学の問題文の難しさ

2005-01-10 23:34:23 | 数学
以下は91年の茨城大学の問題である。

************************
10人着席できる2つの丸いテーブルA,Bがありそこに18人を座らせたい。何通りの方法があるか。ただし各テーブルには座席番号がついていて座席は区別できるものとする。
また特定の2人はおのおのA,Bに座るものとすれば何通りの方法があるか。
************************

山本矩一郎はこの問題に関して「これは問題文の不備な例」だとしている。

‘10人着席できる2つのテーブル’というのを「2つで座席の合計が10」と思った人もいるでしょう(「座席数10のテーブルが2つある」と書けば、何でもなかった!

というのだが、自分にはこの部分に関しては、たしかに「2つで座席の合計が10」という可能性もない訳ではないが、「そこに18人を座らせたい」とあることから、「不備」とまでは言えないように思う。不親切な表現とは言えると思う。

また問題の後半の部分に関して「特定の2人がべつのテーブルに・・・・・・」と読まれる可能性も示唆しているが、この点については自分は分からない。

いずれにせよこの問題文が分かりにくいということは、専門家にとっても感じるところらしい。ただ山本は「国語の試験は別にやればすむ」とあるが、むろん、文章読解能力というのも数学の試験の試験においては試されているような気がする。

むろんこの問題においてはあまりいい「試し方」ではないと思うが。。。

数学落ちこぼれのたわごと:2点の像を探しても十分条件は?

2005-01-09 23:50:25 | 数学
山本矩一郎の数学の本で特徴的なのはいわゆる「スローガン」ということである。

ただそのスローガンというものもまったく問題がないとは言えないかもしれない。スローガンが絶対だと思うと間違えるのではないかということはたとえば、「2点の像を探せ」というスローガンについていえるかもしれない。

これは一次変換に関する問題を解くときの解法を示したものだが、『山本の一次変換の基本』には以下のような記述がある。


***********************************
なぜ‘2点の像をさがせ’ば、答えが出るのか?
この程度の問題では、その説明まで要求していない、と考えるのが入試問題での常識です。
***********************************

ここでは上の文が載っている問題はあえて引用しないが、具体的にどのような問題で設明が求められるのか、求められないのか惜しむらくは明確な説明が一切ないのが残念である。

もちろん自分は数学はまったくだめであるし、この本も実は改訂されているのだが、その改訂版は買った記憶があるが、紛失したので、もしかしたら訂正のようなものがないとも限らないが、いずれにせよ、「2点の像をさがせ」というスローガンが必ずしも万能ではないことは言えるのではないだろうか。

この問題では、ある直線の一次変換による像を「XとYの式であらわせ」と書かれているので、たしかに論理的な検証は必要ないだろう。

しかし「どのような図形に移るか」と訊くような問題においては、2点の像を探すことでかたがつくだろうか。

山本はある問題に関して、「2点の像を結ぶ直線を考えてもやれますが、‘直線のベクトル表示’を利用するほうが簡明です」としている。自分にはこれ以上踏み込んで考えることはできないが、このような問題においては2点の像をさがす解法は常に使えるわけではないような気がする。

つまり「2点の像を探す」解法はあくまでも計算の便利性を考えた特殊な解法であって、記述式の問題には向かない場合もあるのではないだろうか。

これは言うまでもないことかもしれないが、山本はこの本の最初の方で「単に‘直線の像’を求める場合だけでなく」といった書き方をしているので、いかにもこのスローガンが万能であるかの如くに錯覚してしまいかねない。錯覚したほうがおろかなのかもしれないし、このような書き方でやる気を起こさせてくれるところが山本数学の魅力なのかもしれないとも思うのだが、実はある直線の任意の点を二つとってその像をもとに一次変換された直線を決めるというのは、本当はおかしな話しのような気がするが、それがなぜかは分からない。(9日23:54分追記:つまり十分条件が示されないということではないだろうか。2点の像をさがすのはあくまで、必要条件を示すことに過ぎないようにも思われる。)

山本はたとえばx+y=1という式が簡略な表現であり、これを直線と呼ぶ場合いきちんと、

l={(x、y)|x+y=1}とすべきであり、

云々と述べている。もし「直線」ということにこだわるのであれば、ある直線が一次変換によってどういう直線に移るかを調べるためには全ての点について調べることが必要なような気がするのだが、それを避けるためには直線のベクトル表示というのは、かなり有効だと思う。

ブログでは、ベクトル表示も行列も示しにくいので、この話しはこれぐらいにするが、いずれにせよ「2点の像をさがす」解法が有効なのは、ある直線が直線に移ることが前提とされている問題に関してのみ有効なような思える。
 
                    文中敬称略
こまかな部分は直すかもしれません。


必要条件と十分条件の区別

2005-01-08 12:28:54 | 数学

A→BつまりAならばBが成立するときBはAの必要条件である。A→Bにおいて、Bは矢の先にあることから「矢の先は必要」と教えてくれた先生がいて、それは唯一その先生から教わったまともなことのような気がする。
必要十分条件かどうかは逆の矢印(十分条件)の検証が必要になるはずだが、先日来検討しているあるテキストの解説をもう一度見てみよう。


*************************************

(2)(x-1)2=ax2+bx+cが常に成り立つ。

この場合には“xについての恒等式”ということばが省略されている。

*************************************


ここでは問題の形式を示さずに、この問題?の解き方が以下のように示されているのみであった。


=====================================

(x-1)2=ax2+bx+c

を決めるのには、等式(方程式)が3個あればよい。だからxの値を3個、たとえばx=0、1、2を代入して方程式をつくれば、それでa,b,cが決められるはずである。

=====================================

ここでは問題文が示されていない。特に「xが全ての実数に対して成立する」という表現が入ると十分条件に関する検証が必要になるので、わざと省いてあるのではないだろうか。しかし、恒等式という分野で論じられ、「xについての恒等式」という表現が「省略されている」とあるから、「xが全ての実数に対して成立する」と考えるのが自然であろう。

たしかにx=0、1、2を代入して方程式をつくれば、それでa,b,cが決められるはずであるが、それでxが全ての実数に対して成立するかどうかはまた別問題ではないか。

つまり穴埋めの解等としてはこれでよいとしても。これは「恒等式」の問題に対する解きかたではないのではと思う。
恒等式の解き方としては、昨日示した定理の形を作るほかないのではないか。
つまり、


(x-1)2=ax2+bx+cを展開して、
(1-a)x2 -(2+b)x +1-c=0とすれば、すべてのxに対してこの方程式が成立するためにはa=1、b=-2、c=1であることが必要で、その時xの値に関係なくこの式は成立する。したがってa=1、b=-2、c=1であることが、全ての実数xに関してこの式が成立することの必要十分条件である。

これ以外にもグラフを使う手も考えられるが、これもどこまで証明が必要かは難しい。
このとき方でも十分条件は、直感的に示すにとどまっている。

実はすでに触れた(x-1)2を展開して元の右辺と比較する解法もこれと本質的には同じ解法のように思う。


実は十分条件の証明は受験数学のレベルでは、あまり求められてはいないと思うが、恒等式ということを考えるなら、十分条件ということを考えなければどうしても解決したとはいえないような気がする。

実はすでに触れた(x-1)2を展開して元の右辺と比較する解法もこれと本質的には同じ解放のように思う。

私は数学にはド素人なので内容にはあまり自信はありませんが、自分では面白いと思っており、著作権も保護されるべきとかんがえています。

お気づきの点はコメントしてくださると助かります。


いろいろあとから直すかもしれません。

恒等式と方程式の違い。未知数について。

2005-01-07 17:04:22 | 数学
ここ数日間恒等式の問題について、考えれば考えるほどややこしくなるような気がしている。
ここでまた遠回りをして以下のようなものについて考えてみたい。

sin2α+cos2α=1  ・・・①

これは公式あるいは定理、もしくは三角関数の定義のようなものであって、あまり恒等式とは教えないように思う。

これはもちろん全てのα(角度)に関してあてはまるのだが、以下のようなものはどうだろう。

sin2α+4sinαーcos2α+1=0  ・・・②

もちろん、これは全てのαについてあてはまるわけではない。②を満たすαを求めるのに①の恒等式を使うというわけである。

②のαは未知数といったりすると思うが、この②が方程式である。

さてもう一度一昨日の恒等式に関するあるテキストの記述を見ていただきたい。

*************************************
(1)(a+b)2=a2+2ab+b2 は常に成り立つ。

この場合には「左辺を計算すると右辺がでてくる」あるいは「式の中の文字a、bにどんな値を与えても、常に成り立つ等式」という意味である。

(2)(x-1)2=ax2+bx+cが常に成り立つ。

この場合には“xについての恒等式”ということばが省略されている。

*************************************

つまりここでは、(2)は恒等式というよりは方程式といえるのではないだろうか。
そして昨日この部分を問題として説く方法を示したが、ここにはもう一つ定理のようなものが必要なはずで、それは以下のようなものである。

(1)ax+b=0が全ての実数に対して成立するための必要十分条件はa=b=0、

(2)ax2+bx+cが全ての実数に対して成立するための必要十分条件はa=b=c=0

というものである。

さて、ここで必要十分条件ということを持ち出したが、私が昨日示したテキストにある問題の解法で気になったのは、必要十分ということを満たしているどうかということで、これはただ単に数字を出せばいいなら、問題はないが、いずれにせよ、まともに考えると少しややこしい話しになるのではないかと感じている。



恒等式と方程式の違い?

2005-01-06 00:31:54 | 数学
さて、昨日のブログ(といってもこれはついさっきアップしたばかりだが)で書いた問題の答えはお分かりになったであろうか。

もう一度問題を示すと以下のようなものである。


(x-1)2=ax2+bx+cが全ての実数xに関して常に成り立つようにa,b,cの値をそれぞれ求めよ


さてその予備校のテキストには、

(x-1)2=ax2+bx+c

を決めるのには、等式(方程式)が3個あればよい。だからxの値を3個、たとえばx=0、1、2を代入して方程式をつくれば、それでa,b,cが決められるはずである。

とかいてある。これはこのあたりを全てにわたって引用しているわけではないし、あくまでも授業用のテキストであるから、詳しい解説ではないだろう。

さてその方針に従って解くと、a=1、b=-2、c=1となったが、これでいいのだろうか。
これでいいとして、私の狭い知識で思いつくことは、これでできる式

(x-1)2=x2-2x+1

というのが、実は昨日のブログで示した(1)の式に似ているということである。
つまりこの結果は「公式」として知っているならばこの右辺と問題文の右辺を比較してa,b,cの値を計算なしで出すこともできるということである。

その場合にはこの問題は「計算問題」ではなく、論理操作、あるいは論理学の問題になるかもしれない。

ただ、その場合には答案の書き方は難しいかもしれない。正確には採点基準がこの解法を認めるにしても難しいかもしれないという事である。

これはもちろん記述式の問題の場合の話しだし、自分の解答があっているとして、はなしを進めているが、いずれにせよこうした問題においては無意識のうちに恒等式や方程式にかかわる、むずかしい問題を自分では気づかないうちに処理しているような気がするのだがどうだろう。


恒等式とは。数学は難しいこと教えすぎてないか。

2005-01-05 23:58:55 | 数学
ある昔の予備校の数学のテキストには以下のような記述がある。

“常に成り立つ”とは

等式が“常に成り立つ”ということばの中には実は「かくれていることば」があることが多い。

(1)(a+b)2=a2+2ab+b2 は常に成り立つ。

この場合には「左辺を計算すると右辺がでてくる」あるいは「式の中の文字a、bにどんな値を与えても、常に成り立つ等式」という意味である。

(2)(x-1)2=ax2+bx+cが常に成り立つ。

この場合には“xについての恒等式”ということばが省略されている。

2乗にかんしては半角であらわしているがお分かりいただけるだろうか。自分は数学に関して無知であるので自信はないが、このテキストには、このあとにヒントというか問題の解き方のようなものが書いてあるが、それは省略したい。


この説明のポイントの一つは(1)のような場合も恒等式に含めるべきということなのだろう。
つまり(2)のような場合はこれだけで持って恒等式とはいえないのかもしれない。受験数学のレベルでは、「恒等式」といったことばはあまり使うのはよくないのかもしれない。
たとえば(2)のような場合は以下のような形で出題されるようなことが多いように思う。

(x-1)2=ax2+bx+cが全ての実数xに関して常に成り立つようにa,b,cの値をそれぞれ求めよ。

実数という部分が適当かどうかは分からないが、いずれにせよこのような形で「恒等式」とは何かということは全く考えずに問題を解くということに数学の教育は主眼を置いているのであるが、それは高校までは仕方がないように思う。

ただここには数学だけには限らない、「専門用語」を使わずにものを考えるということの本質が見え隠れしているように思われる。たとえば、ここでは実数という断りを書いたが、本当はこれも必要はないかもしれない。

実際には「虚数」あるいは「実数」といった考えは高一あたりで習うのかもしれないが、この概念はきわめて難しい概念であって、これを教えたり引っ込めたりしているのはいかにも筋が通らなくて、本当は「虚数」など高校までは教えなくてもいいように思う。

もちろんは自分は数学はからっきし駄目なのだが、本当をいえば、0という概念もかなり奥の深い概念であることは土師先生の本にも書いてあるが、それはその通りなのであろう。

最近円周率を3で覚えさせることが、どうとかこうとか言っているけれど、本当は小学生レベルの数学でも全くできない大人は自分に限らずたくさんいるし、もっと数学などは教える内容を減らしてその分漢字の読み書きでもきちんと教えたほうがいいのではないかと思っている。

恒等式の問題とはずいぶん話しが違うようにも思うけれど、いまどきの子供は学力が下がったとか教える内容が減りすぎだといって怒る大人たちは、自分がエリートであることをかさにきていっているに過ぎないような気がする。

小学生レベルの算数でも本当にまじめに考え出すとどれもこれも決してそれほどやさしいことではないのではないか。



朝日新聞の社説には「しかし」が多すぎやしないか?

2005-01-02 15:48:51 | Weblog
しかし、底に流れるのは古い歴史や文化をもつアジアの共通性ではないか

しかし、地域の政治に目を転ずれば、とても生やさしい現実ではない

しかし、である。東アジアの先行きが不安だからこそ、できることから一緒に進める意味がある

これ以外にも「だが、かの伯爵は書き残している」といった書き方もある。「しかし」という言葉は自分もよく使うがこれほど頻繁に使った記憶はない。あまりこれを使ってしまうと、どこに主張の力点があるのか見失いがちになりかねない。それとも主張をわざと見えにくくしているのか、はたまた主張などない「社説」なのだろうか。

今のアジアは昔のアジアとは全く違うだろう。西洋に組み込まれてしまっているような国も決して日本だけではないはずだ。孫文の「大アジア主義」と「大東亜共栄圏」の関係やクーデンホーフ・カレルギーの「大欧州」とEUの関係はそれほど単純だろうか。自分は歴史には全く弱いけれども、色々疑問はわいてくる。

孫文に触れるなら、台湾問題にも触れてもよさそうなものだ。全ての事柄に触れるべきだなどという気はさらさらないが、「天然ガスなどの海底資源を共同開発・管理する仕組みをつくり、明日の平和につなげるのだ」という主張の裏には尖閣諸島の問題に関して日本が所有権を主張していることを全く無視しているようであきれた。

一度もっとたくさん書いたのに消してしまいました(泣)とりあえずこのへんにしときます。