各地でスキー大会の県予選が行われています。新潟県の高校、中学とも今日の地方紙はスキー関係の記事でいっぱいです。今日は、地元の高校生が県大会で優勝!ということで大きい写真を眺めている私です。
うちの子供たちもこんな風に写真が載ることを夢見て親子でスキーに取り組んでいたのですが…。
夢でしたね。
でも、その世界で指導者として頑張っている先生、コーチの姿を見て、娘とスキー指導が出来る教員になれたらいいねと話してきました。
本当に夢だったのですが、
そもそも現実が見えてくると、中学校の教員になるには採用試験の倍率が高くて厳しいなと。であれば、採用試験の倍率の低い小学校教員を目指せと、そこでも
雪国だからスキーの指導が出来るだろうと。ところがそもそも、一番安全であろうと考えていた国公立大学の教育学部に入れませんでした。加えて、私立大学の教育学部にことごとく落ち、こうなったら、教員免許取れる大学ということで…
正直、中学校の理科の教員免許を取れるというだけで選んだ東京家政大学でした。当時、色々調べて理科教員の採用倍率が一番低かったので、理科!理科!でした。
大学生活は、それまで スキーでも成績を残せず、勉強もイマイチ、中途半端で残念な状態だったのですが、ジタバタしていた気持ちが伝わったのか、いろんなかたがたの支援をいただいて全国学生岩岳スキー大会を目指せることになりました。
そこで、GS2連覇!スキーを続けてきて良かったと思いました。
そして、運良くなのか、娘の努力なのか中学教員の採用試験に合格しました。夢が叶った瞬間でした。本当は、スキー部のある中学校の教員になりたかったので、結果それで良かったんです。中学はブラックと言われていますが、それで良かったんだと思います。しかも、赴任先の学校にはスキーをする子がいたのです。そんなことはなかなかないようです。だって、県内には200校以上の学校があってその内スキー大会に出場する子供のいるー学校なんて1割あるかないかなんです。
今回、初めて引率をしたようです。
ここまで、紆余曲折ありましたが少しづつ夢を叶えてきました。まだまだ、これから大変なことがたくさんあるだろうけど、夢を叶える、そのための努力をするということ、これが私の生きる力になってきたのです。
毒親ということばもありますが、ここの境界って難しいですね。でも、全ては子供に自分より良い人生を送ってもらいたいという親心です。そしてそうなることで自分が安心して生きられる、そういうことなんです。
うちの子供たちもこんな風に写真が載ることを夢見て親子でスキーに取り組んでいたのですが…。
夢でしたね。
でも、その世界で指導者として頑張っている先生、コーチの姿を見て、娘とスキー指導が出来る教員になれたらいいねと話してきました。
本当に夢だったのですが、
そもそも現実が見えてくると、中学校の教員になるには採用試験の倍率が高くて厳しいなと。であれば、採用試験の倍率の低い小学校教員を目指せと、そこでも
雪国だからスキーの指導が出来るだろうと。ところがそもそも、一番安全であろうと考えていた国公立大学の教育学部に入れませんでした。加えて、私立大学の教育学部にことごとく落ち、こうなったら、教員免許取れる大学ということで…
正直、中学校の理科の教員免許を取れるというだけで選んだ東京家政大学でした。当時、色々調べて理科教員の採用倍率が一番低かったので、理科!理科!でした。
大学生活は、それまで スキーでも成績を残せず、勉強もイマイチ、中途半端で残念な状態だったのですが、ジタバタしていた気持ちが伝わったのか、いろんなかたがたの支援をいただいて全国学生岩岳スキー大会を目指せることになりました。
そこで、GS2連覇!スキーを続けてきて良かったと思いました。
そして、運良くなのか、娘の努力なのか中学教員の採用試験に合格しました。夢が叶った瞬間でした。本当は、スキー部のある中学校の教員になりたかったので、結果それで良かったんです。中学はブラックと言われていますが、それで良かったんだと思います。しかも、赴任先の学校にはスキーをする子がいたのです。そんなことはなかなかないようです。だって、県内には200校以上の学校があってその内スキー大会に出場する子供のいるー学校なんて1割あるかないかなんです。
今回、初めて引率をしたようです。
ここまで、紆余曲折ありましたが少しづつ夢を叶えてきました。まだまだ、これから大変なことがたくさんあるだろうけど、夢を叶える、そのための努力をするということ、これが私の生きる力になってきたのです。
毒親ということばもありますが、ここの境界って難しいですね。でも、全ては子供に自分より良い人生を送ってもらいたいという親心です。そしてそうなることで自分が安心して生きられる、そういうことなんです。