先日、学生たちの落語会がありまして、
当然、行ってきたのですが、
トリをとったのが、
2年続けて学生落語の全国3位になったと、
このブログでも大騒ぎをした、あの4年生の女子。
学校での最後の高座ということで、
「芝浜」をかけてきました。
この「芝浜」という噺、
人情噺の大ネタで、一席で30分はかかろうというもの。
ほとんど笑いもなく、
普通、学生が選ぶ噺じゃないし、
素人に手が出るシロモノじゃないんです。
いや、プロだって、
志ん朝、談志といった、そうそうたる名人上手の高座が、
伝説の話芸のように語り継がれている噺だから、
たぶん、やりにくいんじゃないかなぁ。
そんな噺に、彼女は素人の分際で挑んだわけですが、
心配はしていませんでした。
稽古でも1度聴いていて、
ちゃんとこなせるのはわかっていたので、
気楽に客席にいたのですが、
なんと・・・、
話が進むうちに、
私、涙があふれてきたんです。
もう、イヤというほど聴いていて、
台詞だってかなり頭に入っているような噺なのに。
え?どうして?
自分でもびっくりしました。
稽古よりも一段とよくなった彼女の出来に感動して、じゃないんです。
本当に噺を聴いてて、感動して泣けてきた。
ふと横を見ると、隣の若い女の子2人も、ボロボロ泣いている。
なぜなんだろう。
だって、どんな名人たちの「芝浜」を聴いたときでも、
素晴らしいとは感動しても、
泣いたことなどなかった私が、
彼女の「芝浜」で泣いてしまった。
いくら巧いといっても、素人の学生の「芝浜」で泣いてしまった。
なぜだろう・・・と、この数日、ずっと考えていたんです。
で、今、ふっと思いついた。
彼女の台詞に嘘がなかった。
だから、まっすぐ我々に届いたんじゃないだろうか、と。
技術は絶対に必要だけど、
それだけじゃなくて、
素人ならばこそのシンプルな思いを、
まっすぐ台詞にのせられたんじゃないだろうか。
こんな話になると、つい芝居の方に話が行っちゃうんですが、
嘘がない言葉、って、本当に強いんです。
いや、もちろん、
落語にしても芝居にしても、すべて嘘で成り立っています。
でも、それを嘘と思わせず、お客様に届けるのは、
台詞を発したときの思いに、嘘がないか、
というところにかかっていると私は思っています。
嘘をつかずに演じるというのも、当然、ひとつの技術です。
だけど、プロが技術として、嘘のない演技を(落語を)しているのと、
学生の彼女が、もっと、シンプルというか、ピュアなところで、
嘘のない台詞を出しているのとでは、
なにか、違う気がしたんですね。
・・・って、わかりにくくてごめんなさい

もう、笑っちゃうほど忙しいのに、
何を語っているのやら(笑)
でも、なにか書き留めておきたかったので。
お付き合いいただき、ありがとうございましたm(_ _)m
さぁさぁさぁ、今度は自分の稽古じゃ!
夕食も作った!
他の仕事も片付いた!
よっしゃ、いざ、アメリカの片田舎へ!
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