雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(75」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/185(2020/9/13/日】今朝は26度、ずいぶん秋めいてきた。天高く、人肥ゆる・・・コロナ禍による巣ごもり、運動不足ゆえか、肥満の人が増えているような気がするが、どうなんだろう。ストレスのせいか、世界中で暴れまくる人も増えているようだ。
一定の空間に一定の動物が増えすぎるとストレスからの異常行動が見られるという。野生動物は増えすぎると人間への害も増えるから駆除されたり、逆に減っていくと今度は保護されたりする。人間は神か?
<鳥獣保護管理法」の目的は、「鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化を図り、もって生物の多様性の確保、生活環境の保全及び農林水産業の健全な発展に寄与することを通じて、自然環境の恵沢を享受できる国民生活の確保及び地域社会の健全な発展に資すること」とされています>(環境省)
つまりは人間の都合次第だ。クジラは友達、殺して食っちゃう日本人は「人類の敵、地球の敵!」やがて「日本人を駆除しろ」と言いかねない。ストレスによる異常行動か。そのうち“愚れた主義者”は集団自殺で自滅したり・・・
地球のお父さんは宇宙、お母さんは太陽だ。地球は桃のようで、皮(地殻)、実(マントル)、種(核)からなっている。中心部の核は5700度にもなる超高温の鉄合金らしい。
これが地球を内部から温め、外からは太陽が温めてくれる。だから生命が誕生したわけだ。
宇宙には地球のような生命を育む星があるかどうかは分からない。ないとは言えないが、あったとしても人間がそれを発見することはまずあり得ないというのが学者の共通認識のようだ。
地球は人間のほかに数えきれない程の生物にあふれている。地球自体が人間を歓迎しているわけではなく、人間もただの生き物の一つに過ぎない。
小生が10歳の1961年あたりまで我が街は野原、田畑、灌木、疎林、森、小川、農家と寺と神社だらけ、国木田独歩の「武蔵野」の風情そのものだった。優勢な自然に人間は圧倒され、ちょっと油断していると庭も広場も田畑も草だらけになり、昆虫やモグラ、ネズミ、イタチ、タヌキ、ハクビシン、蛇、鳥など鳥獣も元気いっぱいだった。
その頃から東名高速建設のため土地買収が進み、それまでは二束三文だった土地が結構なカネになった。農民は食うには困らなかったが、キャッシュは余りなかったから田畑を売って俄か大尽になった。
東京のはずれの世田谷区や調布市にあった工場は立退料もあって多摩川を越えて川崎市の我が街へもずいぶん移転してきた。当然、人口は増える。キャッシュを手にした農家は田畑を潰してアパートや貸家をどんどん造り、街から野原や緑はどんどん消えていった。
多摩川流域は上下水道は普及していなかった。清流だった多摩川は工業化と人口増による激しい水質汚染で、小生が10歳(小3)の時から遊泳禁止になった。界隈の行楽地はアユ料理とウナギのかば焼きで人気だったが、多摩川からアユもウナギも1965~70年までにほぼ絶滅した。料亭も消えてラブホになった。
世界中が時期やスピードの差はあれども、自然が人間に排除されていった。1960年のアマゾン川流域の人々は圧倒的な大自然に潰されるようにして暮らしていた。油断していると大蛇が馬までも襲って河に引き吊り込み飲み込んでいった。熱帯性の病原菌は蔓延していた。自然は敵だったが、今は人間に潰されそうだ。
アユはここ10年でようやく遡上数が年間200万匹になったというが、往年の100分の1ほどだろう。一度汚染された川のイメージ回復は長い年月が必要で、今年もアユの釣り人はほとんど見かけなかった。
地球にとって一番害をなす生物は人間である。“愚れた主義者”も否定できまい。1960年に30億の人口は今や75億に急増し、間もなく100億になるはずだ。地球をクリーンにしたいのなら人口を減らす算段を考えるべきではないか。
日本で代表的な感染症は「肺病」だろう。戦後になってから特効薬のストレプトマイシン、通称ストマイが普及して死亡率は激減したようだが、それまでは死の病とされており、徳冨蘆花の「不如帰(ほととぎす)」は日本中の老若男女の紅涙を絞ったもである。
<1898年(明治31)11月から翌年5月まで『国民新聞』に連載。1900年1月、民友社刊。片岡陸軍中将の娘浪子(なみこ)は、海軍少尉川島武男(たけお)と結婚したが、結核にかかり、家系の断絶を恐れる姑(しゅうとめ)によって武男の留守中に離縁される。
2人の愛情はとだえなかったが、救われるすべのないまま、浪子は「もう女になんぞ生まれはしない」と嘆いて死ぬ。女性の弱い立場を訴え、愛を阻む家を間接的に告発している。新派で上演され、明治期屈指のベストセラーとなった>(WIKI)
地球は、あるいは神は「最悪害獣の人間を駆除すべし」と舵を切ったのではないか。コロナ菌をその先兵とすれば、「奢れるもの久しからず、生者必滅の理」の強烈な一発になった。それでも懲りないのなら二発目は「世界戦争」、三発目は「気候変動飢餓地獄」あたりか。
人間が地球を畏れ、天を敬い、慎み深さを知り、傲慢不遜の生き方を変えて「良い子」になるまで、天罰はいつまでも続く・・・小生にはそんな風に思えるが、人間による過去100年の自然環境破壊の修復には最低でも100年はかかるのではないか。
まあ、人間は「技術の蓄積ができる」モノ作りは得意だが、ゼロで始まる人生はそれができないから、「生きる知恵」はいつまでたっても向上しない。石器時代や縄文人と同じ悩みを悩み、同じ喜びを喜んでいる。
失敗を繰り返し、どうやらこうやら解答を得たところでオシマイ・・・この繰り返しだ。「いかに生きるべきか」「隣の部族といかに接するべきか」などなど、数千年前のご先祖様の悩みは今でも悩みで、少しも前進しない。
モノ作りだけはここ20~30年ほどで目まぐるしいほど進化した。先進国では市場にモノは溢れかえっている。旧型かつ売行きの悪い商品は市場からどんどん駆逐され、新型の人気商品にとって代わられる。
<ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみにうかぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし>
昨日までの新型の人気商品は今日にはさらに新型の人気商品にとって代わられ、旧型は消えていく。ヒトもモノも一緒、諸行無常だなあ。
1995年あたりまで日本の生活は、分野にもよるが百年、五十年、十年一昔だった。出版業界では鉛合金の「活字」で文字が組まれていた。それがあれよあれよという間にマッキントッシュ(アップル)などICT機器でデジタル化され、鉛活字はほとんど絶滅した。
莫大な投資で最新のICT機器を導入しても数年でさらに最新のものに取って代わられる。企業は借金を完済する前に新たな借金をしてリノベーションを繰り返している。人々は借金をしてでも新製品を追い求める。まるで回し車のネズミのように物欲にかられて動き回っている。ほとんどビョーキ。
これが進歩か? 文化か? 文明か? 発展か? このままでは行きつく果ては地獄か戦争か・・・少なくとも天国ではないだろう。増えすぎた人間、それが作り出すものは地球の自浄能力を越えて、地球を破壊しかねまい。
神は悪しき人間の住むソドムとゴモラを破壊し、大洪水で地球を洗濯、ガラガラポンしたとか。地球という生命体は人間という名の癌の繁殖、増殖を許しはしまい。我々自らが「習近平・中共」という悪性腫瘍を切除しなければ地球は人類を一掃するのではないか。
澁谷司氏の「チャイナ・ウォッチ 中国歴史教科書『文革』評価の変遷」(日本戦略研究フォーラム9/9)から。
<1981年、中共は11期6中全会で「文化大革命」(1966年~76年。以下、「文革」)を総括した。
同会議では「建国以来の党の若干の歴史問題についての決議」が採択され、毛沢東主席が起こした「文革」は「誤り」だった、とはっきり認めた。
けれども習近平政権は「文革」を復活させようとしている。おそらく習主席は自らが毛主席と肩を並べる存在か、それ以上を目指しているのだろう。具体的に、次のような事例である。
1)2015年頃から「文革」時代の「密告」制度が復活した。例えば、生徒・学生が“誤った思想”を持つ教師・教授を当局に「密告」している。
2)昨2019年10月以降、中国教育部(文部省)が全国で焚書を奨励している。そのため、文化的遺産である相当数の書物が焼失した。
3)今年(2020年)7月、『人民日報』が「下放」を推奨した。学生らが“自発的”に農村へ行くというのは建前で、実際には「強制的」に農村へ送り込まれる。
「文革」時の1968年、毛主席は都市の知識人青年約1600万人を農村へ送り込んだ。だが、その多くの青年は都市へ戻る事ができなかったという。
近年、中国歴史教科書で大きく変化したのは、2018年版である。おそらく習近平政権は、前年の2017年(ないしは、それ以前)から「文革」への評価を変更しようとしていた事が窺える。そして、実際、18年の教科書改訂につながった。これは「習近平派」が一時、党内で優勢になった結果ではないだろうか。
ところが翌19年には「反習近平派」(その中心は李克強首相)が徐々に巻き返し、今年20年には、以前の「文革」評価に戻っている。これは18~19年にかけて「反習派」が党内で支配的になった事を物語るのではないか。
だからと言って軽々に、「反習派」が共産党全体を牛耳っているとは決めつけられないだろう。習近平主席が依然、軍・武装警察・公安等を掌握しているからである。
ただし、いつ習主席に対するクーデターが起きても不思議ではない状況にある。直近では、今年3月、郭伯雄の息子、郭正鋼がクーデターを起こしたと伝えられている。
それにしても中国共産党は一度「文革」を明確に否定しておきながら、習主席に再び「文革」発動を許すというのは、どういう訳だろうか。
中国では、未だ普通選挙の実施等、民主主義が作動していないという“悲劇”かもしれない>
狂人が14億人と兵器を満載した「発狂戦艦戦狼」を操艦している。我々は警戒監視しながら包囲戦を進めていかなければならない。習による世界包囲網の「一帯一路」は今や金欠で瓦解寸前だ。我々は勝つ、「中共殲滅、支那解放」は地球のための戦いでもある。
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/185(2020/9/13/日】今朝は26度、ずいぶん秋めいてきた。天高く、人肥ゆる・・・コロナ禍による巣ごもり、運動不足ゆえか、肥満の人が増えているような気がするが、どうなんだろう。ストレスのせいか、世界中で暴れまくる人も増えているようだ。
一定の空間に一定の動物が増えすぎるとストレスからの異常行動が見られるという。野生動物は増えすぎると人間への害も増えるから駆除されたり、逆に減っていくと今度は保護されたりする。人間は神か?
<鳥獣保護管理法」の目的は、「鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化を図り、もって生物の多様性の確保、生活環境の保全及び農林水産業の健全な発展に寄与することを通じて、自然環境の恵沢を享受できる国民生活の確保及び地域社会の健全な発展に資すること」とされています>(環境省)
つまりは人間の都合次第だ。クジラは友達、殺して食っちゃう日本人は「人類の敵、地球の敵!」やがて「日本人を駆除しろ」と言いかねない。ストレスによる異常行動か。そのうち“愚れた主義者”は集団自殺で自滅したり・・・
地球のお父さんは宇宙、お母さんは太陽だ。地球は桃のようで、皮(地殻)、実(マントル)、種(核)からなっている。中心部の核は5700度にもなる超高温の鉄合金らしい。
これが地球を内部から温め、外からは太陽が温めてくれる。だから生命が誕生したわけだ。
宇宙には地球のような生命を育む星があるかどうかは分からない。ないとは言えないが、あったとしても人間がそれを発見することはまずあり得ないというのが学者の共通認識のようだ。
地球は人間のほかに数えきれない程の生物にあふれている。地球自体が人間を歓迎しているわけではなく、人間もただの生き物の一つに過ぎない。
小生が10歳の1961年あたりまで我が街は野原、田畑、灌木、疎林、森、小川、農家と寺と神社だらけ、国木田独歩の「武蔵野」の風情そのものだった。優勢な自然に人間は圧倒され、ちょっと油断していると庭も広場も田畑も草だらけになり、昆虫やモグラ、ネズミ、イタチ、タヌキ、ハクビシン、蛇、鳥など鳥獣も元気いっぱいだった。
その頃から東名高速建設のため土地買収が進み、それまでは二束三文だった土地が結構なカネになった。農民は食うには困らなかったが、キャッシュは余りなかったから田畑を売って俄か大尽になった。
東京のはずれの世田谷区や調布市にあった工場は立退料もあって多摩川を越えて川崎市の我が街へもずいぶん移転してきた。当然、人口は増える。キャッシュを手にした農家は田畑を潰してアパートや貸家をどんどん造り、街から野原や緑はどんどん消えていった。
多摩川流域は上下水道は普及していなかった。清流だった多摩川は工業化と人口増による激しい水質汚染で、小生が10歳(小3)の時から遊泳禁止になった。界隈の行楽地はアユ料理とウナギのかば焼きで人気だったが、多摩川からアユもウナギも1965~70年までにほぼ絶滅した。料亭も消えてラブホになった。
世界中が時期やスピードの差はあれども、自然が人間に排除されていった。1960年のアマゾン川流域の人々は圧倒的な大自然に潰されるようにして暮らしていた。油断していると大蛇が馬までも襲って河に引き吊り込み飲み込んでいった。熱帯性の病原菌は蔓延していた。自然は敵だったが、今は人間に潰されそうだ。
アユはここ10年でようやく遡上数が年間200万匹になったというが、往年の100分の1ほどだろう。一度汚染された川のイメージ回復は長い年月が必要で、今年もアユの釣り人はほとんど見かけなかった。
地球にとって一番害をなす生物は人間である。“愚れた主義者”も否定できまい。1960年に30億の人口は今や75億に急増し、間もなく100億になるはずだ。地球をクリーンにしたいのなら人口を減らす算段を考えるべきではないか。
日本で代表的な感染症は「肺病」だろう。戦後になってから特効薬のストレプトマイシン、通称ストマイが普及して死亡率は激減したようだが、それまでは死の病とされており、徳冨蘆花の「不如帰(ほととぎす)」は日本中の老若男女の紅涙を絞ったもである。
<1898年(明治31)11月から翌年5月まで『国民新聞』に連載。1900年1月、民友社刊。片岡陸軍中将の娘浪子(なみこ)は、海軍少尉川島武男(たけお)と結婚したが、結核にかかり、家系の断絶を恐れる姑(しゅうとめ)によって武男の留守中に離縁される。
2人の愛情はとだえなかったが、救われるすべのないまま、浪子は「もう女になんぞ生まれはしない」と嘆いて死ぬ。女性の弱い立場を訴え、愛を阻む家を間接的に告発している。新派で上演され、明治期屈指のベストセラーとなった>(WIKI)
地球は、あるいは神は「最悪害獣の人間を駆除すべし」と舵を切ったのではないか。コロナ菌をその先兵とすれば、「奢れるもの久しからず、生者必滅の理」の強烈な一発になった。それでも懲りないのなら二発目は「世界戦争」、三発目は「気候変動飢餓地獄」あたりか。
人間が地球を畏れ、天を敬い、慎み深さを知り、傲慢不遜の生き方を変えて「良い子」になるまで、天罰はいつまでも続く・・・小生にはそんな風に思えるが、人間による過去100年の自然環境破壊の修復には最低でも100年はかかるのではないか。
まあ、人間は「技術の蓄積ができる」モノ作りは得意だが、ゼロで始まる人生はそれができないから、「生きる知恵」はいつまでたっても向上しない。石器時代や縄文人と同じ悩みを悩み、同じ喜びを喜んでいる。
失敗を繰り返し、どうやらこうやら解答を得たところでオシマイ・・・この繰り返しだ。「いかに生きるべきか」「隣の部族といかに接するべきか」などなど、数千年前のご先祖様の悩みは今でも悩みで、少しも前進しない。
モノ作りだけはここ20~30年ほどで目まぐるしいほど進化した。先進国では市場にモノは溢れかえっている。旧型かつ売行きの悪い商品は市場からどんどん駆逐され、新型の人気商品にとって代わられる。
<ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみにうかぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし>
昨日までの新型の人気商品は今日にはさらに新型の人気商品にとって代わられ、旧型は消えていく。ヒトもモノも一緒、諸行無常だなあ。
1995年あたりまで日本の生活は、分野にもよるが百年、五十年、十年一昔だった。出版業界では鉛合金の「活字」で文字が組まれていた。それがあれよあれよという間にマッキントッシュ(アップル)などICT機器でデジタル化され、鉛活字はほとんど絶滅した。
莫大な投資で最新のICT機器を導入しても数年でさらに最新のものに取って代わられる。企業は借金を完済する前に新たな借金をしてリノベーションを繰り返している。人々は借金をしてでも新製品を追い求める。まるで回し車のネズミのように物欲にかられて動き回っている。ほとんどビョーキ。
これが進歩か? 文化か? 文明か? 発展か? このままでは行きつく果ては地獄か戦争か・・・少なくとも天国ではないだろう。増えすぎた人間、それが作り出すものは地球の自浄能力を越えて、地球を破壊しかねまい。
神は悪しき人間の住むソドムとゴモラを破壊し、大洪水で地球を洗濯、ガラガラポンしたとか。地球という生命体は人間という名の癌の繁殖、増殖を許しはしまい。我々自らが「習近平・中共」という悪性腫瘍を切除しなければ地球は人類を一掃するのではないか。
澁谷司氏の「チャイナ・ウォッチ 中国歴史教科書『文革』評価の変遷」(日本戦略研究フォーラム9/9)から。
<1981年、中共は11期6中全会で「文化大革命」(1966年~76年。以下、「文革」)を総括した。
同会議では「建国以来の党の若干の歴史問題についての決議」が採択され、毛沢東主席が起こした「文革」は「誤り」だった、とはっきり認めた。
けれども習近平政権は「文革」を復活させようとしている。おそらく習主席は自らが毛主席と肩を並べる存在か、それ以上を目指しているのだろう。具体的に、次のような事例である。
1)2015年頃から「文革」時代の「密告」制度が復活した。例えば、生徒・学生が“誤った思想”を持つ教師・教授を当局に「密告」している。
2)昨2019年10月以降、中国教育部(文部省)が全国で焚書を奨励している。そのため、文化的遺産である相当数の書物が焼失した。
3)今年(2020年)7月、『人民日報』が「下放」を推奨した。学生らが“自発的”に農村へ行くというのは建前で、実際には「強制的」に農村へ送り込まれる。
「文革」時の1968年、毛主席は都市の知識人青年約1600万人を農村へ送り込んだ。だが、その多くの青年は都市へ戻る事ができなかったという。
近年、中国歴史教科書で大きく変化したのは、2018年版である。おそらく習近平政権は、前年の2017年(ないしは、それ以前)から「文革」への評価を変更しようとしていた事が窺える。そして、実際、18年の教科書改訂につながった。これは「習近平派」が一時、党内で優勢になった結果ではないだろうか。
ところが翌19年には「反習近平派」(その中心は李克強首相)が徐々に巻き返し、今年20年には、以前の「文革」評価に戻っている。これは18~19年にかけて「反習派」が党内で支配的になった事を物語るのではないか。
だからと言って軽々に、「反習派」が共産党全体を牛耳っているとは決めつけられないだろう。習近平主席が依然、軍・武装警察・公安等を掌握しているからである。
ただし、いつ習主席に対するクーデターが起きても不思議ではない状況にある。直近では、今年3月、郭伯雄の息子、郭正鋼がクーデターを起こしたと伝えられている。
それにしても中国共産党は一度「文革」を明確に否定しておきながら、習主席に再び「文革」発動を許すというのは、どういう訳だろうか。
中国では、未だ普通選挙の実施等、民主主義が作動していないという“悲劇”かもしれない>
狂人が14億人と兵器を満載した「発狂戦艦戦狼」を操艦している。我々は警戒監視しながら包囲戦を進めていかなければならない。習による世界包囲網の「一帯一路」は今や金欠で瓦解寸前だ。我々は勝つ、「中共殲滅、支那解放」は地球のための戦いでもある。