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雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(79」

2020-09-21 07:09:32 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(79」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/189(2020/9/19/土】ようやくに 彼岸来たれど 曇り空 曼珠沙華には 秋天似合う


曼珠沙華(彼岸花)はサンスクリット語 manjusaka(赤い花)に由来、法華経で「天上の花」、中国原産だとか。小生は曼珠沙華を思うと満洲の大平原をイメージするが、父の姉さん(小生にとっては伯母さん)夫婦が大連で写真館「大真堂」を開いていたので、「草原には曼珠沙華がいっぱい咲いていた」とか話を聞いていたのかもしれない。


曼珠=マンジュ(文殊菩薩)=満洲という説もあるが・・・「まあ、残念だったなあ、もうちょっと上手くやれば良かったのに」なんて今のところは言えないね。


支那大陸ではなく日本の東北を一大ハイテク工業・農林水産業地帯にするという列島改造・・・茨木あたりから青森まで直径2キロの巨大なドームシティを並べていく新フロンティア開拓。自然と人間に優しい21世紀大プロジェクトなんか夢があっていいと思うけれどなあ。安倍氏をリーダーにしたらどうか。


「現代の後藤新平、出でよ!」と呼びかければ「我こそは」という人材が日本は元より世界中から集まるだろう。クラーク博士曰く「男は野心、山っ気が大事、人生はチャレンジだ!」(小生の解釈)。要は政界、財界、国民の「やる気、気力」が肝心だ。


古人曰く「好きこそものの上手なれ」。「誰でも好きな事には熱心になるし、工夫を凝らすので上達が早い」という意味だ。


好きな仕事、憧れの仕事に運良く就けると、寝る間を惜しんでアーデモナイ、コーデモナイと考え実践する。思うようにいかないと「なぜ駄目だったんだろう」、またアーデモナイ、コーデモナイと考え、考え抜いて再挑戦する。


一流の指導者、匠、職人、芸人、選手、良き父母も皆そうだ。大体、知的な風情がある、哲人の様である。


どこの国でも隣人は厄介なものだろうが、日本は中国、ロシア、韓国、北朝鮮という、ほとんど世界最強、最悪のヘビー級ダーティ・カルテットに日々付き合わされている。知的な風情どころかゴロツキ、疫病神、狂人のような人々。まるで「カルト国家」。


国民に理性、良識があるのかないのか分からないが「目先の感情、勘定だけに反応して動く」という印象。まるで付和雷同、集団ヒステリー、ロシアは狡猾、冷酷な殺し屋みたい。


今、日本のみならず世界中で嫌われ始めている習近平・中共。支那人はそれをどう思っているのだろう、「上は上、下は下、上に政策あれば下に対策あり、自分が儲かればいい。明日の百より今日の十、国や他国がどうなろうと知ったこっちゃない」ということなのだろうか。


孔子は「それでは駄目だよ、よく学び、よく考えて行動しなさい」と説いたのではないか。中共独裁にとっては人民が賢人になっては困る、餌付けすれば大人しくなるようにしておきたいから「目先の利」だけで動くように人民を暗愚化、愚昧化を進めたい、だから孔子を学ばせないのだろう。


批林批孔とは「中共に逆らうな、考えるな、ひたすら恭順しろ、黙って俺についてこい」ということだ。


10年前(2010/ 6/17)の論考だが、柯隆氏(当時は富士通総研主席研究員)の論稿「スポーツを通じてみえた中国人の国民性」は面白かった。曰く――
    
<中国人はサッカーが大好きである。国民的なスポーツといっても過言ではないが、大事な国際試合があるたびに、国民が失望させられる。なぜ中国人は大好きなサッカーについてこんなにも下手なのだろうか。


1)サッカーの組織と管理体制の問題


中国は早い段階からサッカーのレベルを上げるために、日本のJリーグと同じようなクラブ制を導入し「Cリーグ」を作った。プロサッカーの試合によって選手の競技レベルを上げようとしているが、国際試合になると、一向に勝てないのは現状である。


中国のサッカーファンにとり、毎回悔やむのは自分の好きな選手とチームは肝心な国際試合になると、いつも負けてしまう。昨年になって、ようやくその原因の一つが突き止められた。


実は、国内のCリーグでは選手とレフェリーは真面目にプレーしておらず、試合の結果に関する賭博にかかわっていたのである。


要するに、場外で試合の結果について巨額のお金が賭けられ、選手もレフェリーもそれにかかわっていた。ときには、相手チームの勝利に賭けられる賞金が多ければ、選手はオウンゴールを演じることも少なくなかったといわれている。


しかも、レフェリーもこうした演出にかかわっていたのは事態の深刻さを物語っている。


言ってみれば、日本の相撲の八百長のようなものである。そ れによって、サッカーチームに対する信頼が失墜してしまったのである。


むろん、こうしたインチキなプレーはいつまで経ってもばれないわけはない。昨年、関係者の内部告発により、インチキが発覚し、ついに逮捕者が出た。以降、Cリーグのサッカー試合は以前に比して少しぐらいは真面目にプレーするようになったようだ。むろん、グローバルレベルには至っていない。


2)国民性の問題もあるかもしれない


実は、中国人がサッカーに弱いのは単なるインチキの問題だけではない。国民性の問題もあるのかもしれない。


中国人の国民性といえば、個人プレーに強い。スポーツでいえば、卓球などに強い。近年、卓球の国際試合では、中国ナショナルチームはほぼすべての種目のチャンピオンを独占するぐらいである。


中国人が個人プレーのスポーツに強いのは、その「役割と責任が明らかであり、努力した分が報われる」からである。


振り返れば、30年前に始まったトウ小平の「改革・開放」政策は農業改革から着手された。改革の方法は(集団)農業生産体制を「農家請け負い責任制」に細分化したことである。それまで人民公社の体制では、生産量は一向に増えなかった。個別農家の請け負い責任制になっただけで生産は急増するようになった。


これは、中国人が利己主義だからというよりも「努力した分、評価されたい」からである。曖昧な評価システムは却ってプレーヤーのやる気を損なってしまう。


考えてみれば、農業改革と卓球の試合は相通ずるところがあるように思われる。逆に、チームワークには中国人が得意ではないようだ。サッカーはその典型例といえるかもしれない。


同じ30年前の改革を思い起こせば、農業改革に成功した中国政府は同じような改革を工業についても行ってみたところ、失敗に終わった。なぜならば、工業生産は個人に細分化することができないからである。増産に向けた積極性は上がってこない。


サッカーの話に戻れば、なぜ中国人はサッカーに弱いのだろうか。


実は、いかなるチームワークの作業もカバーレージ(互いに補完しあうこと)が重要である。チ ームワークによる中国のサッカーチームの試合をみると、ゴールキーパーを含む11人の選手全員が相手ゴールを攻めに行きたがるが、相手が攻めてきたときに、守りの体制はばらばらである。


誰かが攻めに行ったら、ほ かの選手はそのポジションをカバーしてあげなければならない。そのカバーがないため、いつも失点して負けてしまう。この弱さはスポーツに限らず、実際のビジネスでもみられる。


3)バレーボールの示唆


では、中国人はチームワークのスポーツやビジネスはまったく適さないのだろうか。答えはノーである。


たとえば、同じチームワークのスポーツでもバレーボールなら中国人は非常に強い。6人でプレーするバレーボールだが、サッカーと違って、それぞれの選手が位置するポジションによってその役割ははっきりしている。


何よりも、バレーボールのキーパーソンはトスを上げるセッターであり、セッターからボールをもらえなければ、どの選手もスパイクを打てない。


このようにしてバレーボールから得られる示唆として、スポーツもビジネスも「役割と責任を明らかにする」ことがポイントである。


再び、30年前の改革に戻れば、国有企業改革は個人プレーのように細分化を試みたが、失敗に終わった。その後、企業経営機能と行政機能が分離され、経営自主権の確立が図られた。


それでも国有企業の経営は思うように改善されず、最終的に、近代企業制度の構築という名目で国有企業のほとんどは株式会社に転換し、経営責任の明確化が図られた。


むろん、中国の「改革・開放」政策は依然道半ばにあるが、その方向性はすでに明らかである。すなわち、かつての統制経済はそれぞれの個人や企業などの市場プレーヤーの役割と責任が曖昧であり、それゆえ、モ ラルハザードが起きた。


市場経済を構築するということは、それぞれの市場プレーヤーの役割と責任を明らかにすることによってその生産意欲を喚起することである。この点が、「改革・開放」政策わずか30年間で中国経済を世界二位にまで押し上げた背景である>


毛沢東独裁回帰を夢想する発狂暗愚の張子の虎、習近平一派は、先人の苦労を踏みにじって民営化した企業を再び国有化している。モラルも生産性も落ちるばかりだろうが、レッドカードを突き付ける勇気ある審判がいそうもないから地獄に落ちるだけか。こんな統治で中共は戦争に勝てるのだろうか。


防衛研究所2020/9/8「世界一流の軍隊を目指す中国軍」から。


<中国が今世紀中葉までに「世界一流の軍隊」を建設することを目標に、透明性を欠いたまま、軍事力の質・量を広範かつ急速に強化している。中国が目指す「世界一流の軍隊」とはどのようなものなのかを考察するため、中国における軍事訓練に関する報道等を通じて、現場レベルの部隊活動の状況の一端を示す。


1)習近平が掲げる「強軍目標」の内容と「世界一流の軍隊」の方向性


2017年10月の中共党大会で習近平は、党の新時代における強軍目標とは、「党の指揮に従い、戦闘に勝利でき、優れた気風をもつ人民軍を建設し、世界一流の軍隊に築き上げることである」と述べた。


2)「党軍」としての性格を維持・強化しつつ進められる軍改革

中国は「国家は党による指導を受ける」ことが憲法で規定されており、中国の軍隊も国軍ではなく「党の軍隊」である。将来の総参謀長候補とも目されていた章沁生上将は、軍の国家化を主張して処分されたといわれている。


習近平政権下で「党軍」としての特徴は強化されている。


2015年末から断行された軍改革は(中共)中央軍事委員会の軍隊に対する力を高めた。(中共軍は歴史的に大陸内での内戦が主体であったため陸軍主導であったが)習近平は 2013年11月「大陸軍主義を放棄」と発言、一連の改革で陸軍は海・空軍などと同格にされた。(防御から外征・侵略への大転換)


3 )近代軍としての実戦的訓練の充実


習近平は(権力を得た)2012、2013年頃から「全軍は軍事訓練を戦略的な位置に据え、部隊の実戦化レベルを不断に向上させなければならない」と軍の実戦能力向上について主張していた。その具体例として、以下に事例を紹介する。


第1は、2014年に報じられた、成都軍区のある旅団の訓練記事である。当該訓練では4つの「初」達成として、以下のことが報じられた。


1.初めての高地における実装・実弾・実支援の訓練 2.初めての運動中の戦車に対し実弾射撃で打撃を与える訓練 3.初めての実装戦場における応急処置・整備の訓練 4.初めての情報システムを活用した総合的兵站の演練


これらの「初」は、能力の向上が示された一方で、問題点も多かったという。記事によると、無人走行させた戦車に対して戦闘用車両2両が射撃したが、命中しても停止せず、5発目の命中でやっと停止したという。この事例からは以下のような問題点等も指摘されている。


「従来では、命中イコール大破の判定だった」「射撃後、敵からの反撃がないのは不自然である」「5発命中でも大破せず、乗車させていた実験用の羊2頭の命に別状はなかった」「整備用に大型車5両分の器材等を準備していたが必要な部品が速やかに見つけられず、2時間の遅延が生じた」


記事では、旅団長が「戦法が実戦に合致しておらず、『発見イコール命中、命中イコール大破』の思考に陥っていたが、今回の件で、未来の作戦においては必ずしもそうではないということが分かった」というコメントをしており、部隊レベルでの認識の甘さがうかがわれる。


(第2は、兵員が勇猛さ・精強さを誇示するかのような形相でナイフを口にくわえたまま各個動作を行う「ナイフくわえ」は、見せかけだけの「形式主義」として淘汰されたかに思われていた。しかし 2020年3月、『解放軍報』において「ナイフくわえ」が訓練の場面によっては有用にもなり得るとして「復帰」を果たした・・・バカバカしい話、対印でゲバ棒や投石も訓練しているのか?)


第3は、最近では真に実戦的な訓練についても多く報道されている。


1)2020年6月の『解放軍報』第一面に掲載された記事である。ある旅団は長距離機動後、従来であれば一旦結節を設けて次の行動への準備をしていたような場面で、息をつく間も無く、対抗部隊の空軍機から襲撃を受けたという。


この記事は、移動間も各指揮系統の間で連携を保持し、次の作戦に移る態勢がとれていること、空地の連携によって陸軍部隊を空軍機が攻撃したことも注目される。


2)史上最大の海上閲兵に引き続いて空母艦隊が訓練を行ったという事例である。2018年4月、南シナ海において中国の史上最大規模の海上閲兵が行われた。閲兵には、空母「遼寧」を含む艦艇48隻、航空機76機、人員1万人以上が参加、習近平は迷彩服姿で「世界一流の海軍建設」を強調した。


この訓練では、バシー海峡東側、西太平洋海域において、「遼寧」を中心とした戦闘隊形を構成し、警戒ヘリの運用、艦載レーダーによる早期警戒態勢の確立、海空目標の捜索・識別、状況に応じた指揮官の決心等を実施。


東シナ海においては、対空作戦及び対潜作戦等の課目訓練を実施、航空機部隊や潜水艦部隊との対抗訓練、潜水艦脅威下の海域の突破等を実施したという。


また、艦載機部隊は約20機を有し、陸海空の目標に対する打撃や、制空権の奪取のための重要な力を具備するとされている。


今回の訓練は、海空域における活動のみならず地上戦力との連携も行っており、訓練のレベルについて、戦術的なものから戦術・戦役的なものへの向上が指摘されている。


3)中国がサイバーに関する対抗訓練を通じて、その攻撃と防御の能力を向上させている。従来は「重点=通信の確保」というレベルだった訓練が、現在では複雑なサイバー環境下における妨害・破壊等を含む、実戦的なものを行い得るようになったとされている。訓練後には問題点として「サイバー攻撃の手段がワンパターン」ということも挙げられたという。


中国の急速なサイバー能力の向上が指摘されているが、サイバー部隊として知られる「61398」部隊以外でも、中国の部隊は多様なサイバー攻撃を念頭に置きつつ、各種能力向上に積極的に取り組んでいることが示されている。


おわりに:中国は「世界一流の軍隊」の構築に向け、スピード感をもって積極的に各種の訓練等を行っているが、透明性の欠如や習慣・思考の差異も相まって、如何なるアプローチをとっているのか、そしてその先にあるのは如何なる姿なのか、正確に把握することは困難を伴う。


しかし、軍事訓練時の現場の状況を観察することで、中国が軍事的な行動を行う場合の様相を含め、的確に看取できる可能性がある。このため、平素の中国の軍事訓練の動向等を確認していくことが重要である>(以上)


諜報は95%は公開情報により、独自の裏面でのスパイやら調査、観察による情報集は5%だという。素人でもそれなりに目配りしていれば、習近平・中共が何をしようとしているかはおおよそ分かるだろう。


1998年12月29日改正の兵役法により、中共志願兵が優遇されるようになり、制度としては選抜徴兵制度は一応残ってはいるものの、貧困にあえぐ農村部を中心に志願者が必要人数枠を埋める応募があるため実質志願制に移行しつつあるという。


ただ、問題は「一人っ子」であり、かつ伝統的にも「戦線離脱者は殺す」という督戦隊がなければ逃げ出す、命を惜しむのが支那の兵士の常だということだ。小生は支那の奇妙な発明は「纏足、宦官、督戦隊」と思っているが、蒋介石は徴発(誘拐)した兵が逃げないようにおでこに入れ墨までしたという。支那の民は「良い鉄は釘にならない」と兵士(=ゴロツキ)をバカにしていた。


「ナイフくわえ」で勇ましさを装っても支那兵士の4000年のDNAは「戦線離脱」であり、10年20年で「戦線死守」の勇猛果敢な兵士にはなれない。大国との近代戦争の経験は少なく、勝ったこともない。


人民が習近平・中共独裁を排除しなければ戦争になり、数十年は封鎖される。今が国民国家へ革命する大チャンスだ。座視して朽ちるか、崛起して未来を拓くか、14億は歴史的な岐路に立っている。