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リベラルも親露から反露へ衣替え

2022-05-04 09:08:28 | 日記
リベラルも親露から反露へ衣替え
“シーチン”修一 2.0


【雀庵の「大戦序章」38/通算470 2022/5/4/水】1970年頃にジョージ秋山の漫画をきっかけに「阿修羅」「銭ゲバ」という言葉が流行った。学生は「銭ずら、銭がすべてずら・・・奴らは銭ゲバ、カネの亡者、アシュラ。カネで動く拝金教徒だ」なんて社会の風潮を罵倒しながら、就職では給料が良くて安定した大企業を目指した。


それから半世紀経った今でも文系学生の就職先人気は相変わらず商社、保険会社、銀行などが上位だが、商社は知力、気力、体力が求められる激務であり、何となく軍隊みたいで面白そう。保険とか金融は「失敗が許されない、冒険がしづらい、お堅いけれど安定した仕事」というイメージがある。


仕事を通じて保険会社の人と懇意になったが、彼曰く、20代の時に会社のサッカー部で練習中にアキレス腱を切断してギブス、「同期に遅れをとってしまう」と焦り悩んで大きなハゲができたという。「医者から、同期会にツンツルの“ハゲ”で出るか、出世は遅れても黒い頭で出るか、出世が大事か髪の毛が大事か、どっちを選ぶ?と聞かれてね、やっぱり髪の毛があった方がいい、と。で、ストレスがなくなって毛が生えてきたんだよ、あはははは」


飲み友達の女を通じて商社マンの美人の奥さんとも懇意になったが、旦那は海外出張が多く、日本にいても始発で出社、帰宅は終電、子供もいないのでその間は独りぼっち、無聊を慰めるためか万引きに手を染めて逮捕されてしまった。旦那は出世、保身のためなのだろう、女房を慰めることもなく離縁に至ったが、商社が社内結婚を奨励するのは商社マンの激務を知っている女、「亭主達者で留守がいい」というくらいのタフな女でないと、とてももたないからだろう。


無理が通れば道理が引っ込む。我を通せば反発を招く。野心を抱くのは結構だが、強引に事を進めると反発をくらう。特に国家がそれを行えば戦争になりかねない。プーチン・ロシアが「一点突破、全面展開」という強引独善的なパワー外交、武力行使を厭わない戦狼ヤクザ外交を始めたのは2007~2008年からだった。ロシア人経済学者、日本名・井本沙織氏の「ロシア人しか知らない本当のロシア」から。


<リーマンショックの2008年秋は世界の金融市場にとって試練の連続となった。ロシアの証券市場は2008年5月のピークから9月末までの間に50%近く下がり、ロシアの銀行は信用が低下、資金不足が生じた。


さらに石油価格が(1バレル)145ドルから91ドルまで急低下傾向を見せ、投資家の間で好況が終わるのではないかという懸念がくすぶり始めた。アメリカの金融市場が風邪をひくとロシアが肺炎になりかねないほどにグローバル化が進んだのだ。


一方でロシアの政治にも問題があった。2008年8月に勃発して幸い5日間で収まったものの、「グルジア戦争」が政治リスクを高めた。モスクワのグルジア料理レストラン「ベナツバーリ」は私のお気に入りだが、2007年の冬に行ったとき異変に気付いた。グルジアワインがなかったのである。「ロシアとの摩擦で輸入できなくなった」と支配人は怒っているような、悲しんでいるような表情で、グルジア人特有のアクセントで訴えた。


一つの家族のように多数の民族が共同生活を送っていたソ連の子供である私にとって、理解しにくい出来事だった。


そして2008年8月にこの悲しい戦争が起きた。政治は私の専門ではないので、ロシアのグルジア攻撃の是非を論じることはできない。しかし経済的なインパクトを考えても、外国投資家の間ではロシアに対する不安が高まったのは事実である。証券市場における外国投資家の割合は50%から80%と言われるほど外資への依存度が高いロシアにとって、このグルジア戦争が大きなダメージを与えたのは間違いない。


私は戦争を分析する専門家ではないけれど、こう思う。グルジアとの紛争はできるだけ武力ではなく外交的な方法で、欧米諸国とも相談して解決してもらいたかった。それができていれば、ロシアが国際的な金融市場の不調にあっという間に侵食されことはなかっただろう。


もしロシア・グルジア間の問題を平和的に解決できたならば、次世代の世界秩序づくりへの貢献となり、ロシアが国際社会の一員であることを世界に知らせ、ロシアの国力を世界に示すことができただろう>


KGB工作員としてソ連による世界制覇、汚濁に満ちた資本主義を叩き潰して世界を共産主義一色にする世界革命を目指していたプーチンにとっても、ソ連崩壊は打撃だった。白タクや臨時雇いなどで糊口をしのいでいたが、夢は多くの共産党員=特権階級と同じく「強いソ連の復活」だったろう。目ざとい党員はドサクサ紛れに新興財閥にのし上がってロシア流の資本主義経済を謳歌するようになったが、大統領エリツィンの汚職疑惑を隠蔽してエリツィンの懐に入り込んだことが大統領へのプーチンの第一歩になったようだ。


不安定な政権を握ったプーチンはどうにかロシアを“新興国”にまで盛り上げたが、軍事パワーが付いて来るとかつての強国への復活という野心を募らせていった。その始めの一歩がグルジア侵略で、グルジアは国際世論も無視、軽視する中で侵略されたのだ。どれほど悔しく情けない思いをしただろう、後に国名をロシア式から「ジョージア」に変えたことからもうかがえる。ウクライナは今、第2のグルジアにはならない!と必死で戦っている。義を見てせざるは勇無きなり、ウクライナを支援し、プーチンを叩くべし。


「ロシアの国内総生産(GDP)は2020年で1.5兆ドルにすぎない(1ドル100円とすれば150兆円)。イタリアの1.9兆ドル、韓国の1.6兆ドルよりも小さい」(原田泰・名古屋商科大学教授)。


ロシアは軍事大国、エネルギー大国ではあっても経済基盤はとても「大戦」に耐えられそうにないが、どうなんのだろう。鶴岡路人・慶應義塾大学准教授の論稿「停戦の意味が失われるとき――ウクライナ戦争における転換点」(笹川平和財団202/4/27)から。


<2月24日のロシアによるウクライナ侵略開始以降、軍事作戦に関しては明確な段階分けが存在する。ロシアは当初、首都キーウを標的にし、ゼレンスキー政権の転覆を目指していた。数日で首都を陥落させられると考えていたようだ。


侵略開始からほぼ1ヶ月の3月25日になり、ロシア軍は、第1段階の目標が概ね達成されたとして、第2段階では東部ドンバス地方での作戦に注力すると表明した。キーウ陥落の失敗を認めたわけではないが、実際には方針転換の言い訳だったのだろう。その後、ウクライナ東部さらには南部での戦闘が激しさを増している。


そうしたなかで強く印象付けられるのは、ウクライナによる激しい抵抗である。ロシアがウクライナの抵抗を過小評価していたことは明らかだ。加えて、米国を含むNATO(北大西洋条約機構)諸国も、ウクライナのここまでの抵抗を予測できていなかった。ロシアの侵略意図については正確な分析を行っていた米英の情報機関も、ロシア軍の苦戦とウクライナの抵抗については、評価を誤ったのである。筆者もウクライナの抵抗能力について、当初は極めて悲観的だったことを認めざるを得ない。


以下では、こうしたウクライナ戦争の推移のなかで見えてきた大きな転換点として、ウクライナにとって停戦の意味が失われてきていることについて考えたい。


【ロシア軍の占領下で何が起きていたのか 明らかになった市民の多大な犠牲】命をかけても守らなければならないものがある。ウクライナの抵抗については、これに尽きるのだろう。つまり、ここで抵抗しなければ祖国が無くなってしまう。将来が無くなってしまう。しかも、このことが、軍人のみならず一般市民にも広く共有されているように見えることが、今回のウクライナの抵抗を支えている。


さらに重要なのは、抵抗には犠牲が伴うが、抵抗しないことにも犠牲が伴う現実である。ロシアとの関係の長い歴史のなかで、このことをウクライナ人は当初から理解していたのではないか。ロシア軍に対して降伏したところで命の保証はないし、人道回廊という甘い言葉のもとで行われるのは、たとえ本当に避難できたとしても、それは強制退去であり、後にした故郷は破壊されるのである>
・・・・・・
降伏したからといってロシアが「ゲームオーバー、ノーサイド、仲良くしようぜ」とならないことは先の大戦で日本は知っている。ソ連は日ソ中立条約を無視して対日参戦、日本の領土を奪い、戦争捕虜を国内法で裁き、奴隷にした。その非道は今でも変わらない。ロシアに襲われたらトコトン戦うしかない。あるいは譲歩して領土を割譲し「他日を期す」しかないが、それは屈辱と奴隷の日々で、ウクライナは断固として拒否している。ウクライナ人は言う、「我々は表は赤い赤カブを装ってきたが、一皮むけば白カブなのだ」と。同国の近代史はロシアとの戦いの軌跡でもある。WIKIから。


<1918年、ロシア革命後に、ウクライナ人は「ウクライナ人民共和国」の独立を宣言したが、ロシアの赤軍に破れ、1922年に「ウクライナ・ソビエト社会主義共和国」という傀儡政権としてソ連に取り込まれた。1920年代から1940年代にかけてロシアの共産党は、ウクライナの重工業化・集団農場化・共産化を行った。


その結果、ウクライナ的な生活様式と多くの文化財が崩壊され、1932年から1933年にホロドモールと呼ばれる人工的な大飢饉が起こった。1920年代には、ウクライナ人が多数派であった地域のスタヴロポリ地方、クラスノダール地方、スタロドゥーブなどをロシアが併合し、(その見返りなのか、ロシアは)1954年にロシア人が多数派であったクリミアをウクライナに譲った。


1991年にソ連が崩壊し、8月24日にウクライナはソ連から独立を宣言、12月5日にロシアはウクライナの独立を承認した。ソビエト連邦の崩壊以降、独立したウクライナとロシア連邦の関係は良好とはいえず、緊張状態が現在まで続いている>


ロシア帝国、ソ連、ロシアと名前は変わってもロシアは永遠に独裁国家で、ロシア人も永遠に強者に従う事大主義者のように見える。民族性なのか、ちっとも成長しない、不思議といえば不思議だ。ドーピングはダメ、といくら言われても懲りずに違反し、戦時には略奪、強姦をする。まるで1000年、2000年前の蛮族のよう。学問の自由、報道の自由がないからアカのプロパガンダや洗脳により、国民の思考能力が発展しないのだ。学ばざれば昏し・・・気の毒だけれど、どうすることも We can not だ。


スイスは政治亡命していたレーニンをドイツなどの協力を得て「封印列車」でロシアに送ったが、スイスは人道上の善意から、ドイツはロシアで内乱を起こさせるという狡猾な外交戦略から行った。歴史に「If」はないとは言うけれど、もしスイスが当時、世界史的な危険人物であるレーニンを拘束していればソ連やプーチン・ロシアはなかったかもしれない。残念なことだ。


公安調査庁金沢公安調査事務所長など公安調査庁職員としてロシアを担当していた日本戦略研究フォーラム政策提言委員の藤谷昌敏氏(現・経済安全保障マネジメント支援機構上席研究員)の「世界に理解されないプーチンの思想と論理――今も生きるソ連時代のゆがんだ理想」は実に説得力があった。


<かつて米国のラスク国務長官は、「独裁者は自己の発言を必ずやるものだ、ということを信じなかったために、民主主義諸国は膨大な代償を払わされた」と発言した。


ラスク氏はケネディ大統領時代の国務長官であり、一貫して共産主義に対する軍事行動をためらわないタカ派として知られていた。先の言葉は、朝鮮戦争における予想外だった中国参戦やキューバ危機の際のソ連の強硬な態度を指して述べたものだ。


2022年、我々はウクライナで、このラスク氏の言葉を強く実感することとなった。今回のウクライナ侵攻前、プーチン大統領は「今のウクライナが常にロシアにとって脅威だから、ロシアが安心して発展し存在することができない」と主張した。さらに「自分の目的は、威圧され民族虐殺に遭っている人たちを守るためだ」とし、ウクライナの「非軍事化と非ナチス化」を実現すると発言した。


実際にウクライナで民族虐殺は起きていないし、ウクライナは民主国家で、大統領はユダヤ系で、もちろんナチスではない。ゼレンスキー大統領は「ロシアによる侵攻は第2次世界大戦のナチス・ドイツによる侵略に匹敵する」と強く反発している。プーチンの主張に対し、西側諸国では「プーチンの言っていることは嘘ばかりで、今回の侵略はロシアの前時代的な戦略観に基づいた蛮行でしかない」との見方が強い。


だが、ソ連の初代議長だったレーニンが「資本主義と社会主義が残る限り、我々は平和に暮らすことはできない」と言ったように、ソ連時代、「平和とは、紛争や戦争がないことを意味するのではない。本当の平和は共産主義が世界を征服するまでは実現されることはない。全人類が共産主義のもとに生きるようになればすべてが静かになる」との平和論に満ち溢れていた。


その“真の平和”の実現のために米国など西側諸国に対峙した最前線の組織がソ連国家保安委員会KGBであり、KGBの栄光と破滅の中で生きてきたプーチンにとっては、ロシアを再び最大版図だった栄光の時代に戻すことが夢であったとしても何ら不思議ではない。


そしてプーチンは、最も尊敬する人物として元KGB議長でソ連共産党書記長となったアンドロポフの名前を挙げている。プーチンは、アンドロポフを称賛し、記念の執務室や銘板を復活し、2014年にはその功績を讃える記念切手を発行した。さらにサンクトペテルブルク市街地にアンドロポフの銅像を立てるなど、歴代のソ連の指導者とは別格の扱いで顕彰している。

【プーチンに影響を与えたアンドロポフ】アンドロポフは、1914年6月15日にロシア帝国スタヴロポリ地方で出生した。電信技師、水夫、水道工事屋を経て、共産青年同盟に入って、フィンランドのカレリア地方をソ連に併合する役目を見事に成し遂げた。1967年にKGB議長に就任してから15年の長きにわたって議長の座に君臨し、1982年にはKGB出身者として初のソ連共産党書記長となった。


アンドロポフを書記長に押し上げた最大の功績は何と言っても「ハンガリー動乱」を失敗に導いたことだ。1954年、アンドロポフはブダペスト駐在ソヴィエト大使に就任したが、2年後の1956年10月23日にハンガリー動乱が勃発した。ハンガリー国民の多くがデモ行進に参加し、武器を持って立ち上がり、社会主義の打倒を目指した。


アンドロポフは、この事件を「反革命、反社会主義の暴動」と非難し、ハンガリーの進歩的なナジ・イムレ政権を転覆させる陰謀を張り巡らした。まずアンドロポフは、ナジ・イムレに「心からソ連軍のハンガリー撤退について交渉する用意がある」と熱意をもって伝え、「ブダペストに進駐したソ連軍が引き揚げた」という虚偽の情報を与えた。ナジが「新しいソ連軍がハンガリーに向けて進軍中との情報を得た」とアンドロポフに訴えると、「その報告は誇張されたものだ」とナジをなだめたが、実際にはソ連軍の増援がハンガリー国境を越えつつあった。


11月3日になるとアンドロポフは、ハンガリー動乱の立役者だったパル・マレテル国防相をソ連軍の撤退について話があると騙して夕食に招待し、夕食の席にKGB暗殺部隊が乱入してマレテルを殺害した。


ソ連軍により反乱が抑えられると、ナジたちはユーゴ大使館に避難したが、アンドロポフは陰謀を巡らし、恩赦するとの嘘の宣誓をナジに送り、大使館から出てきたナジたちを拉致して秘密裁判にかけて処刑した。


この過程で2500人以上のハンガリー人が死亡し、この冷酷な弾圧と陰謀故にアンドロポフは西側諸国から「ブダペストの虐殺者」として知られることになった。その後、アンドロポフがKGB議長に就任すると、一方で情熱をこめてデタントを説きながら、西側に対する攻撃の速度と規模を大きく拡大していった。


当時、アンドロポフは部下に対し、「平和共存は階級闘争の一つの形態に過ぎない。それは経済、政治、思想というあらゆる戦線における厳しい戦いを意味する」「社会主義と資本主義の歴史的な対決の戦場は全世界であり、経済、思想、政治という社会生活の全局面にわたっている」「KGBには休戦も息を抜く暇もない。またそんなものはあり得るわけもない分野で活動している」などと激しく叱咤したとされる。

【アンドロポフの亡霊】アンドロポフがKGB議長に在籍していた間、1975年にKGB入りした若きプーチンがこうしたアンドロポフの厳しい指導と類まれな謀略理論、イデオロギーによる偏った思想に強く影響されていたことは想像に難くない。


アンドロポフは、1984年に糖尿病が悪化して死亡したが、現代のウクライナ侵攻にも未だに何らかの影響を与え続けている。1974年、アンドロポフはKGBの各作戦部長を集めて対テロ特殊部隊を編成した。その任務は、米国など西側諸国に世界的規模で攻撃を強めることであり、西側同盟の破壊と米国の孤立化を図ることであった。


彼ら(KGB)は、レーニンが唱えた「私の言葉は(相手=敵が)嫌悪、反発、軽蔑感をかきたてるよう計算されている。(相手を)説得するのではなく、相手の戦列を撃ち破るのであり、相手の誤りを直すのではなく、相手を破壊するのであり、地球上から相手の組織を一掃するためなのだ」との哲学を実践するために設立されたのだ。


この対テロ特殊部隊は、現在、ロシア連邦保安庁FSB傘下の特殊部隊「アルファ」と呼ばれ、1998年にはプーチンが直々に改革・強化に着手した。特殊部隊「アルファ」は残忍な行為で有名で、今回のウクライナ侵攻にも投入され、ウクライナ・ブチャにおいては非戦闘員の殺害にも関与したとされる。アンドロポフの亡霊が、未だにロシア国内、少なくともプーチンの頭の中で彷徨っているのかもしれない。(ジョン・バロン著『今日のKGB』、C・アンドリュー他著『KGBの内幕』より)>


「一度アル中、一生アル中」と言われる。治療は「断酒」しかないのだ。「これくらいならいいだろう」と飲んだらアル中が復活して野垂れ死ぬのである。“飲酒復活死”は小生を含めたアル中患者の5割にもなる。


「一度アカ、一生アカ」でもある。一般的に1、2年で洗脳されるが、そこから「人間を、正気を取り戻す」には10年、20年かかる。大体、アカに染まると激しい「私は正義病」症状になり、深く付き合う人々も同病であり、それで糊口を凌ぐようになったりすると、除染しようという気さえ起らない。病膏肓。


小生はアカへの疑念が生じてから、やりきれないほどの心の空白を酒で紛らわしているうちにアル中になってしまった。アカ+アル中、最悪だ! どうにかまともになるのに20年ほどかかってしまい、今はまともを通り越して「気分はすっかり反共極右」、のめり込むタイプだから、この先どうなるやら・・・ん?、親露中の秋田の殿様が・・・


<佐竹敬久・秋田県知事は2月24日、ロシアがウクライナに侵攻したことに関し「どんな民族的な事情があっても、独立国に攻め入るのは論外だ」と批判した。日本政府が取るべき対応として経済制裁の強化を挙げ、「遺憾とか言葉だけでは駄目だ。あっちが困ることをやらないといけない。力には力だ」と語った。県庁で報道陣の取材に答えた。今後の日ロ関係については「当面、交流は控えるべきだ」と述べた>(秋田魁新報)


殿ご乱心? それとも覚醒? 世の中は流動している、だから興味津々、明日を信じて前進すべし。
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目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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