華麗なる加齢は無理だけれど
“シーチン”修一 2.0
【雀庵の「大戦序章」46/通算478 2022/5/25/水】庭の雀は3月中旬から賑やかになる。前年生まれの青年が恋の季節を迎え、雄が雌を追いかけ回り、雌もそのゲームを楽しんでいる。この頃になると世代交代で旧世代は静かに消えて行く。
小生とコミュニケーションをとっていた、というか、「ヂイサン、メシまだ? おれら腹減ってるんだけど」と催促する、おでこに白いぽっちのある「シロ」。常連の雀は50羽ほどだが、2年に1羽は“親・人間雀”がいる。しかし「シロ」は4月下旬に姿を消した。野生の雀の寿命は1年ちょっとだ。
4月中旬から5月中は雛がかえり、親鳥(雌?)は口いっぱいに餌を含んで必死に巣に運ぶ。それを何回も繰り返す。大変な作業だ。5月には親鳥が黄色いくちばしのひな鳥を連れて餌場にやってきて、口移しで餌をやる。雛は概ね1羽だが、2羽もある。いずれも「もっとちょうだい」と体をブルブルさせてねだる。2週間くらいで雛の口ばしから黄色が消え、見様見真似で食べ方を覚える頃になると、親はどこかへ消えてしまう。寿命が尽きたのだ、「もうお前は自立して一人前になる時なのだ」と雛に訓示することもなく。
小雀は急に親鳥が消えてしまったのだから、親を探しながらチッチと泣きまくる。子別れの場面で、ちょっとかわいそうな感じがするが、一人前になるための通過儀礼だ。
やがて成人(成鳥)になり、夏、秋、冬を過ごし、春には子孫を生み育て、役目を終えたら静かに消えるというのが雀の一生だ。1年ちょっとの寿命、人間から見れば短いが、雀は短いなんて思うわけがないし、大体、生き物はそれぞれの都合で寿命があるのだから、異種で比較する意味はない。
人間は概ね不老長寿を願うが、「長生きは何かをなすための手段で、長生きそれ自体に意味があるとは思えない」のだが・・・どうなんだろう。医療ジャーナリスト・宇山恵子氏「不老不死と狂気から始まったアンチエイジング」(Webナショジオ)から。
<アンチエイジングの原点は「不老不死」への憧れ。紀元前2000年頃の古代メソポタミア作品「ギルガメッシュ叙事詩」に登場する「不老不死の薬草」が(登場する)最古の文献。主人公が不老不死の秘薬を求めて旅をするが、あと一歩のところで手に入れることができず、最後は普通に死んでいく。
ほかにもギリシャ、北欧、インドなどに不老不死伝説は残っている。例えば16世紀のドイツの画家、クラナハによる『青春の泉』には、老人たちが泉に入ると若返っていく様子が描かれている。ヨーロッパの伝説が題材になっているのだが、現在でも若さと健康のために温泉は世界中で人気だ。最近では「温泉療法」という医学的に効果が実証されている治療法も保険適用され、リウマチなどの患者を中心に広まっている。
不老不死への憧れは、人を狂気の世界へと誘う。日本の不老不死にも多大な影響を与えたのが紀元前3世紀の秦の始皇帝。幼少から病弱だった始皇帝は死を恐れ、永遠の命を手に入れることに執着して、最後は水銀を不老不死の仙薬と信じて飲み、中毒死したとされる。
始皇帝は日本を不老不死の国「蓬莱」だと信じて、徐福という使者を日本に派遣し、仙人や仙薬を探させた。これが、今でも日本各地に残る「徐福伝説」。徐福が日本中を探し回った時に見つかったといわれる不老不死の水や薬草、食物などが、全国30ヵ所以上の場所で語り継がれている。
正倉院には奈良時代に60種類以上の薬物が収められ、1300年以上のときを経て、今でも38種類が現存する。その中には、マンモスやサイ、ゾウといった動物の歯・角・化石、さらに現在では使われなくなった鉱物性の生薬が8種類もあり、ヒ素を含んだ「雄黄」も残っている。使い道は不明だが、始皇帝の不老不死思想を思い起こさせる。
奈良時代は日本でも道教をベースにした不老不死の研究がさかんで、鉱物や化石の生薬が実験に用いられた可能性も高い。
不老不死、永遠の命への探究心は、過激になれば人の命を奪うが、一方で漢方薬、フィトセラピー(植物療法)、アロマテラピー、香道など、マイルドな形に変化して、貴族社会を中心に広く社会に受け入れられ、定着していった。
その後、永遠の命を求める思想よりも、社会に蔓延する伝染病をはじめとする病気の治療に関心が高まり、医学がめざましいスピードで進歩していった・・・>
日本NMN研究会によると「アンチエイジング(anti-aging)」とは、体の老化を抑え、可能な限り若々しい体を維持する取り組みで、「抗加齢」や「抗老化」を意味する、とある。
気持ちは分かるけれど、あまり長生きすると後進に大きな負担を課すから70歳の古希以降は「オマケ」、いつくたばっても悔いないように毎日をボーっとではなく「それなりに」充実して過ごした方がいいのではないか。
「それなりに」の中身は千差万別だが、サイトを見ると――温泉旅行、音楽鑑賞、スポーツ、ボードゲーム、シニア割引での映画/博物館/航空機利用での旅行、ジムでのスポーツ、庭いじり、ボランティア活動、余裕があれば海外旅行・・・「暇な時間を作らない」「お金を使わずに時間を消費する」のがキモとか。
人は好き好きだから本人が楽しめるのなら結構だが、18歳頃から50年ほど生きてきたのだから、その経験、ノウハウを活かして社会や後進に貢献する方が充実感があるのではないか。定年退職して毎日が日曜日・・・多摩川河川敷ではローンゴルフや釣り、スポーツサイクリングが人気だが、現役時代に蓄積したノウハウを「社会とのかかわり」で活かす方が絶対に面白い、価値があると思う。
散歩コースの生田緑地や森林公園、地元の二か領用水桜堤保存会などではボランティアがずいぶん活動している。小生も参加したいなあと思わないでもないが、性格が悪いから上手くいかないだろう。
俺には俺のやり方があるという頑迷固陋、トップでないと我慢できないという異常なプライド、当然、協調性がない。集団行動には向かない嫌われるタイプで、結局誰も相手にしてくれないので孤立、集団から離れる=捨てられるが、反省するどころか「バカとは一緒に仕事はできん」なんて思っている。我が身を見れば「嫌な性格だなあ、絶対嫌われる」タイプ。
もしかしたら、こういうヂイサン、好々爺でなく“頑固ヂヂイ”、例外ではなくてむしろ多数派で、加齢とともにますます頑固になったりして。小生のような頑迷固陋のヂヂイが高齢化でどんどん増えていく・・・おお、嫌だ! 脳内科医・加藤俊徳先生の話(tayorini 2021/8/11)。
<なぜ頑固になるかというと、人は年を取るにつれてその分の経験が増えるため、若い人よりも知識と体験が多いという自負があるからです。自分の経験に照らし合わせてみて、違うと思ったら譲れない。
ただ「年を取ると頑固になる」とは一概には言えない。頑固になるか否かは、加齢そのものより、本人の経験や思考が影響しています。「年を取って丸くなった」という話もあります。
「頑固」と「怒り」はまた別で、なぜ高齢になると怒りっぽくなるのかというと、言われたことに対して自分の過去の記憶と相違がある場合と、難聴により聞こえが悪くなる場合が考えられます。
難聴により、目の前のコミュニケーションがうまくいかずにイライラすることもあれば、周囲とのコミュニケーションそのものが億劫になり、認知機能が低下して認知症になることもあります>
小生は難聴だし頑固だし・・・できるだけ意識的に寛容を心掛け、好々爺を目指した方がいいかな? しかし好々爺、「やさしくて気のいい老人」って現実にいるのか?
小生にとっては優しい“座間のお爺ちゃん”は、小生の父母(両養子)にとっては厳しく過酷な舅(しゅうと)で、小生が4歳の時に父母は爺さんと別居した。その後、爺さんは加齢による穏やかさや、戦意喪失、損得勘定などで父母に対しても好々爺になっていったようだが、「若い時から成仏するまで穏やかで優しい人格だった」などというのはまずあり得ないのではないか。
外面と内面は違う、世間では人格者と言われているが家族から見ればとんでもない暴君だった、なんていう話は珍しくない。プーチンも習近平も夫婦仲は破綻した。知性も良心もない自己肥大、頑固、残虐、欲望、猜疑心の「俺は正義」病、狂犬独裁・・・人類の敵、地球の汚染源だ。クーデターの出番だが、将軍たちにはキン〇マがないのか? 怖くて勃起、蜂起もできないか? 命惜しむな、名こそ惜しめ! 大和魂の古人は偉かった。勇武の精神が世界を救う、日本を救う。
小生は好々爺=天使みたいなヂイヂになるのは絶対に無理だが、頑固でボケが疑われていても「それなりに言論の筋が一貫している、主義主張が明白だ、論拠もそこそこ確かである、精神疾患も近年では安定し、喜怒哀楽が強いものの他罰、自罰傾向は抑制されている、閉鎖病棟に隔離する必要はない」あたりの“クソヂヂイ”ならいいか。バイアグラほどの効用は望むべくもないが、ちょっと愛して、長ーく愛してと読んでいただければ幸甚だ。
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目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646
https://note.com/gifted_hawk281/n/n9b3c7f4231f9
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“シーチン”修一 2.0
【雀庵の「大戦序章」46/通算478 2022/5/25/水】庭の雀は3月中旬から賑やかになる。前年生まれの青年が恋の季節を迎え、雄が雌を追いかけ回り、雌もそのゲームを楽しんでいる。この頃になると世代交代で旧世代は静かに消えて行く。
小生とコミュニケーションをとっていた、というか、「ヂイサン、メシまだ? おれら腹減ってるんだけど」と催促する、おでこに白いぽっちのある「シロ」。常連の雀は50羽ほどだが、2年に1羽は“親・人間雀”がいる。しかし「シロ」は4月下旬に姿を消した。野生の雀の寿命は1年ちょっとだ。
4月中旬から5月中は雛がかえり、親鳥(雌?)は口いっぱいに餌を含んで必死に巣に運ぶ。それを何回も繰り返す。大変な作業だ。5月には親鳥が黄色いくちばしのひな鳥を連れて餌場にやってきて、口移しで餌をやる。雛は概ね1羽だが、2羽もある。いずれも「もっとちょうだい」と体をブルブルさせてねだる。2週間くらいで雛の口ばしから黄色が消え、見様見真似で食べ方を覚える頃になると、親はどこかへ消えてしまう。寿命が尽きたのだ、「もうお前は自立して一人前になる時なのだ」と雛に訓示することもなく。
小雀は急に親鳥が消えてしまったのだから、親を探しながらチッチと泣きまくる。子別れの場面で、ちょっとかわいそうな感じがするが、一人前になるための通過儀礼だ。
やがて成人(成鳥)になり、夏、秋、冬を過ごし、春には子孫を生み育て、役目を終えたら静かに消えるというのが雀の一生だ。1年ちょっとの寿命、人間から見れば短いが、雀は短いなんて思うわけがないし、大体、生き物はそれぞれの都合で寿命があるのだから、異種で比較する意味はない。
人間は概ね不老長寿を願うが、「長生きは何かをなすための手段で、長生きそれ自体に意味があるとは思えない」のだが・・・どうなんだろう。医療ジャーナリスト・宇山恵子氏「不老不死と狂気から始まったアンチエイジング」(Webナショジオ)から。
<アンチエイジングの原点は「不老不死」への憧れ。紀元前2000年頃の古代メソポタミア作品「ギルガメッシュ叙事詩」に登場する「不老不死の薬草」が(登場する)最古の文献。主人公が不老不死の秘薬を求めて旅をするが、あと一歩のところで手に入れることができず、最後は普通に死んでいく。
ほかにもギリシャ、北欧、インドなどに不老不死伝説は残っている。例えば16世紀のドイツの画家、クラナハによる『青春の泉』には、老人たちが泉に入ると若返っていく様子が描かれている。ヨーロッパの伝説が題材になっているのだが、現在でも若さと健康のために温泉は世界中で人気だ。最近では「温泉療法」という医学的に効果が実証されている治療法も保険適用され、リウマチなどの患者を中心に広まっている。
不老不死への憧れは、人を狂気の世界へと誘う。日本の不老不死にも多大な影響を与えたのが紀元前3世紀の秦の始皇帝。幼少から病弱だった始皇帝は死を恐れ、永遠の命を手に入れることに執着して、最後は水銀を不老不死の仙薬と信じて飲み、中毒死したとされる。
始皇帝は日本を不老不死の国「蓬莱」だと信じて、徐福という使者を日本に派遣し、仙人や仙薬を探させた。これが、今でも日本各地に残る「徐福伝説」。徐福が日本中を探し回った時に見つかったといわれる不老不死の水や薬草、食物などが、全国30ヵ所以上の場所で語り継がれている。
正倉院には奈良時代に60種類以上の薬物が収められ、1300年以上のときを経て、今でも38種類が現存する。その中には、マンモスやサイ、ゾウといった動物の歯・角・化石、さらに現在では使われなくなった鉱物性の生薬が8種類もあり、ヒ素を含んだ「雄黄」も残っている。使い道は不明だが、始皇帝の不老不死思想を思い起こさせる。
奈良時代は日本でも道教をベースにした不老不死の研究がさかんで、鉱物や化石の生薬が実験に用いられた可能性も高い。
不老不死、永遠の命への探究心は、過激になれば人の命を奪うが、一方で漢方薬、フィトセラピー(植物療法)、アロマテラピー、香道など、マイルドな形に変化して、貴族社会を中心に広く社会に受け入れられ、定着していった。
その後、永遠の命を求める思想よりも、社会に蔓延する伝染病をはじめとする病気の治療に関心が高まり、医学がめざましいスピードで進歩していった・・・>
日本NMN研究会によると「アンチエイジング(anti-aging)」とは、体の老化を抑え、可能な限り若々しい体を維持する取り組みで、「抗加齢」や「抗老化」を意味する、とある。
気持ちは分かるけれど、あまり長生きすると後進に大きな負担を課すから70歳の古希以降は「オマケ」、いつくたばっても悔いないように毎日をボーっとではなく「それなりに」充実して過ごした方がいいのではないか。
「それなりに」の中身は千差万別だが、サイトを見ると――温泉旅行、音楽鑑賞、スポーツ、ボードゲーム、シニア割引での映画/博物館/航空機利用での旅行、ジムでのスポーツ、庭いじり、ボランティア活動、余裕があれば海外旅行・・・「暇な時間を作らない」「お金を使わずに時間を消費する」のがキモとか。
人は好き好きだから本人が楽しめるのなら結構だが、18歳頃から50年ほど生きてきたのだから、その経験、ノウハウを活かして社会や後進に貢献する方が充実感があるのではないか。定年退職して毎日が日曜日・・・多摩川河川敷ではローンゴルフや釣り、スポーツサイクリングが人気だが、現役時代に蓄積したノウハウを「社会とのかかわり」で活かす方が絶対に面白い、価値があると思う。
散歩コースの生田緑地や森林公園、地元の二か領用水桜堤保存会などではボランティアがずいぶん活動している。小生も参加したいなあと思わないでもないが、性格が悪いから上手くいかないだろう。
俺には俺のやり方があるという頑迷固陋、トップでないと我慢できないという異常なプライド、当然、協調性がない。集団行動には向かない嫌われるタイプで、結局誰も相手にしてくれないので孤立、集団から離れる=捨てられるが、反省するどころか「バカとは一緒に仕事はできん」なんて思っている。我が身を見れば「嫌な性格だなあ、絶対嫌われる」タイプ。
もしかしたら、こういうヂイサン、好々爺でなく“頑固ヂヂイ”、例外ではなくてむしろ多数派で、加齢とともにますます頑固になったりして。小生のような頑迷固陋のヂヂイが高齢化でどんどん増えていく・・・おお、嫌だ! 脳内科医・加藤俊徳先生の話(tayorini 2021/8/11)。
<なぜ頑固になるかというと、人は年を取るにつれてその分の経験が増えるため、若い人よりも知識と体験が多いという自負があるからです。自分の経験に照らし合わせてみて、違うと思ったら譲れない。
ただ「年を取ると頑固になる」とは一概には言えない。頑固になるか否かは、加齢そのものより、本人の経験や思考が影響しています。「年を取って丸くなった」という話もあります。
「頑固」と「怒り」はまた別で、なぜ高齢になると怒りっぽくなるのかというと、言われたことに対して自分の過去の記憶と相違がある場合と、難聴により聞こえが悪くなる場合が考えられます。
難聴により、目の前のコミュニケーションがうまくいかずにイライラすることもあれば、周囲とのコミュニケーションそのものが億劫になり、認知機能が低下して認知症になることもあります>
小生は難聴だし頑固だし・・・できるだけ意識的に寛容を心掛け、好々爺を目指した方がいいかな? しかし好々爺、「やさしくて気のいい老人」って現実にいるのか?
小生にとっては優しい“座間のお爺ちゃん”は、小生の父母(両養子)にとっては厳しく過酷な舅(しゅうと)で、小生が4歳の時に父母は爺さんと別居した。その後、爺さんは加齢による穏やかさや、戦意喪失、損得勘定などで父母に対しても好々爺になっていったようだが、「若い時から成仏するまで穏やかで優しい人格だった」などというのはまずあり得ないのではないか。
外面と内面は違う、世間では人格者と言われているが家族から見ればとんでもない暴君だった、なんていう話は珍しくない。プーチンも習近平も夫婦仲は破綻した。知性も良心もない自己肥大、頑固、残虐、欲望、猜疑心の「俺は正義」病、狂犬独裁・・・人類の敵、地球の汚染源だ。クーデターの出番だが、将軍たちにはキン〇マがないのか? 怖くて勃起、蜂起もできないか? 命惜しむな、名こそ惜しめ! 大和魂の古人は偉かった。勇武の精神が世界を救う、日本を救う。
小生は好々爺=天使みたいなヂイヂになるのは絶対に無理だが、頑固でボケが疑われていても「それなりに言論の筋が一貫している、主義主張が明白だ、論拠もそこそこ確かである、精神疾患も近年では安定し、喜怒哀楽が強いものの他罰、自罰傾向は抑制されている、閉鎖病棟に隔離する必要はない」あたりの“クソヂヂイ”ならいいか。バイアグラほどの効用は望むべくもないが、ちょっと愛して、長ーく愛してと読んでいただければ幸甚だ。
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