日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

認識できた!

2015-03-25 21:20:23 | 発達応援
 久しぶりの5時半出勤。
信号が青になり、行こうとしたら救急車。
そのまま停車して、救急車を見送りました。

 こんな早朝に救急車を呼ぶ事態になった家の方は、さぞ心配だろうな、と
朝から知らぬ人のこととはいっても、胸がきゅっとなりました。
快方に向かわれますように。

 全く、大きさが変わらない同じ形を「同じ形!」と認識し、
向きが違っても、同じ形と認識する。

 そして、例えば正方形なら、1辺の長さが変わっても、
正方形は正方形と認識すること。

 こういうことを私たちは、どのような手順を経てわかるようになったのでしょうか。

 本を読んでいたら、
ものごとを認識するというと脳の認識という機能だけで解明しようとするが、
脳と身体、さらに身体と環境の相互の関係の中で認識というものを考えなくてはならない、
とい記述がありました。

 本当にそうだなぁ、と考えさせられる記述です。

 たとえば、毎日、自分が使っているご飯茶碗。
それはとは別に、お店に行って和食か何かを頼んでもご飯茶碗は認識できるし、
友人宅でも「ご飯茶碗取って」といわれれば、
並ぶ食器の中から、ご飯茶碗を取り出すことができると思います。

 それは、今までの経験から、家で使っているものと違うものでも、
だいたい、何となく、ご飯茶碗というものを頭の中で想像し、
その特徴をピックアップすることができるからだと思います。

 要するに、脳の機能だけの問題ではなく、
経験だったり、見る視点だったり、色々な認識による可能性であるわけです。

 認識のための具体的な方法も千差万別。
それをこつこつ考えるのも仕事のうちですね。


 
コメント
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