地元のデパート山形屋が黄札市という、
普段は割引しない商品を割り引くバーゲンをやっているので、
雨の中出かけてきました。
目的は、手を滑らせて割ってしまったヨーグルト用のボウル購入です。
以前、ヨーグルトやサラダのボウルにいいなぁ~と思っていたものがありましたが、
まだ、皿を割る前でしたので我慢しました。
今回、いそいそと出かけると、
なんと、「こちらの商品は正規値札です」と断りがありました。
がっくり。
欲しい色のものもなかったので、手ぶらで帰りました。
もうしばらくは、我慢!
今日はフォイヤーシュタインの日でした。
何かができるようになるためには、経験が必要です。
その経験も1度の体験で次ぎに活かせるようになる人もいれば、
数回やればできる人もいるし、数週間やればできる人もいるし、数ヶ月の人もいます。
数年という時間がかかる場合もあるかもしれません。
でも、とにかく、0の状態から動かさずんば認知力というのはつかないものだと思います。
今日、フォイヤーシュタインをした子どもとは、
「2辺の長さが同じだね。」
「90°、直角ね。」と言いながら、
ときには、復唱させながら、Lに似た3つの点をつなぐ問題の下準備をしました。
まだ、問題を解くために開ける引き出しの中身が少ない子どもは、
その中身を繰り返し、繰り返し、問題を解いて実践して、
自分の引き出しの中身を充実させなくてはなりません。
そして、引き出しの中身の充実を図る手伝いをする大人は、
中身のバリエーションも考えながら導いていかなくてはなりません。
子どもはとても素直です。
今日も、
「2辺の長さは、どうだったっけ?」というと、
「同じ!」
「角度は?」
「90°!」
「90°の別の名前は?」
「直角!」とちゃんと答えてしてくれます。
質問をちゃんと聞いて、適切な答えを言っているのです。
これだけ言えるのだから、少し難しいことでも大丈夫!と
チャレンジすると、引っかかってしまいます。
でも、それは少年のせいではなくて、
媒介者である私が飛躍をしすぎて、
わかりかけていた少年の頭の中を引っ掻き回したからです。
自分が何気なくできたことは、
そのできるようになるためのプロセスを忘れてしまって、
自然とできたように思ってしまいがちです。
でも、何かができるようになるには、
プロセスがあって、どんなプロセスを辿るかは個人個人で違うのだと思います。
もし、丁寧で膨大なプロセスが必要だと思ったら、
手を抜かずに1つ1つ積み上げて、ときには戻って確認してまた進むことを
倦まず弛まずやることが必要ですね。
子どもの中のある引き出しが充実し溢れたときに、
別の引き出しが開くのでしょう。
そして、以前いっぱいにしたその引き出しも、
開けて使っていくことを、大人は意図しなくてはならないのだと思います。
一生懸命がんばった子どもの顔を思い出しながら、
その子のプロセスはどういうう風に組み立てるのか、と考えることです。
普段は割引しない商品を割り引くバーゲンをやっているので、
雨の中出かけてきました。
目的は、手を滑らせて割ってしまったヨーグルト用のボウル購入です。
以前、ヨーグルトやサラダのボウルにいいなぁ~と思っていたものがありましたが、
まだ、皿を割る前でしたので我慢しました。
今回、いそいそと出かけると、
なんと、「こちらの商品は正規値札です」と断りがありました。
がっくり。
欲しい色のものもなかったので、手ぶらで帰りました。
もうしばらくは、我慢!
今日はフォイヤーシュタインの日でした。
何かができるようになるためには、経験が必要です。
その経験も1度の体験で次ぎに活かせるようになる人もいれば、
数回やればできる人もいるし、数週間やればできる人もいるし、数ヶ月の人もいます。
数年という時間がかかる場合もあるかもしれません。
でも、とにかく、0の状態から動かさずんば認知力というのはつかないものだと思います。
今日、フォイヤーシュタインをした子どもとは、
「2辺の長さが同じだね。」
「90°、直角ね。」と言いながら、
ときには、復唱させながら、Lに似た3つの点をつなぐ問題の下準備をしました。
まだ、問題を解くために開ける引き出しの中身が少ない子どもは、
その中身を繰り返し、繰り返し、問題を解いて実践して、
自分の引き出しの中身を充実させなくてはなりません。
そして、引き出しの中身の充実を図る手伝いをする大人は、
中身のバリエーションも考えながら導いていかなくてはなりません。
子どもはとても素直です。
今日も、
「2辺の長さは、どうだったっけ?」というと、
「同じ!」
「角度は?」
「90°!」
「90°の別の名前は?」
「直角!」とちゃんと答えてしてくれます。
質問をちゃんと聞いて、適切な答えを言っているのです。
これだけ言えるのだから、少し難しいことでも大丈夫!と
チャレンジすると、引っかかってしまいます。
でも、それは少年のせいではなくて、
媒介者である私が飛躍をしすぎて、
わかりかけていた少年の頭の中を引っ掻き回したからです。
自分が何気なくできたことは、
そのできるようになるためのプロセスを忘れてしまって、
自然とできたように思ってしまいがちです。
でも、何かができるようになるには、
プロセスがあって、どんなプロセスを辿るかは個人個人で違うのだと思います。
もし、丁寧で膨大なプロセスが必要だと思ったら、
手を抜かずに1つ1つ積み上げて、ときには戻って確認してまた進むことを
倦まず弛まずやることが必要ですね。
子どもの中のある引き出しが充実し溢れたときに、
別の引き出しが開くのでしょう。
そして、以前いっぱいにしたその引き出しも、
開けて使っていくことを、大人は意図しなくてはならないのだと思います。
一生懸命がんばった子どもの顔を思い出しながら、
その子のプロセスはどういうう風に組み立てるのか、と考えることです。