日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

東田直樹さん講演会。

2015-07-05 20:56:44 | 日記
 週間天気予報では、来週もずっと雨。
天井の雨じみが気になります。

 今日は東田直樹さんの講演会に行きました。
去年、テレビで「自閉症の僕が跳びはねる理由」を観て、
その後、本も読み、改めて東田さんの内面の豊かさを知りました。

 東田さんのブログも、
ああ、そんな風に考えるのかぁ~とか、そういう見方もあるなぁ~と、
私とは違う視点に新鮮さを感じ、とても楽しみに読んでいます。

 東田さんの講演会で、はじめに驚いたのは、
原稿を読む東田さんの声の大きさです。

 緊張しているからなのか、それが通常の声の大きさなのか、
マイクを通しているといっても、迫力のある声でした。

 そして、私が印象に残ったのは、

誰もがそうだと言われるかもしれないが、たぶん多くの人は
自分が人であることに疑問を持たず、成長するのではないだろうか。
僕の場合、人であるという事実を知ったときのことは、今でもこころの傷として残っている。
<略>僕は自分が人にならなければいけないことを悟った。
世界には美しいものがこんなにあるのに、人にならなければいけない、
その事実に打ちのめされた。 以下略


 という部分でした。

 私は、人であることに疑問を持ったことがあったかな、と。

 小さい頃に「実は内の家族以外は宇宙人だったら・・・」とか、
少し大きくなってから「今やってることが、夢の中だったら別の次元に寝ている人がいて・・・」とか
空想することはありました。
また、なれるとしたら、風になりたいな、と思ったことはあります。

 でも、それとても、自分が人であることに疑問も持たず、揺らぎもなかったので考えられたことだと思います。
それが、良いことか、ただ単に鈍感なことなのかも、私にはわかりません。

 東田さんは、もっと自然の美しいものになりたくて、人になりたくなかったのか。
それとも、鋭敏な感覚を持つ彼は、周りと自分の違いに打ちのめされて、
自分が人であるという事実に愕然として、人になりたくなかったのか。
他にも色々考えられかもしれません。

 東田さんの考え方の幅の広さが、
私に正岡子規を思い出させてくれました。

 病牀六尺の世界で、世界のことを考え、俳句界のことを考え、
死ぬということを考え、と果てしなく思考が広がっていく正岡子規。

 自分の感覚を見つめ、過去を振り返り、未来を思う東田さん。

 どちらもむずかしくない言葉で、
物事の本質を自分の頭で考え、自分の言葉で表現する表現者だと思います。

 新刊も買って読もうと思います。

コメント
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