日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

できた〜い!

2016-10-07 21:53:00 | 養生・薬膳
 今日は振替のトランポリン教室でした。
Facebookに練習中の「ドンキーキック」をアップしたら、
あまりのヘタさにあちこちから突っ込みが!

 教えてくださっている先生もそれを見たようで、
「正解に辿り着きましょうね!」と力強く言ってくださった。

 となりで幼児の体操教室をしていたのだが、
そこでの準備体操がトランポリンなしのドンキーキックみたいな感じだったので、
私も見ながらチャレンジ!

 今月中には、きっとできるぞ

 身体のつくりは、基本的に見た目ではほぼ皆同じです。
ただ、使い方には、それぞれ使いやすさや使いにくさがあるのでしょう。

 だれかに難なくできることが、ある人には、まったく歯が立たないことだったりします。

 例えば、球技などにしても、手のひらに吸盤でもついているのか、というくらい、
手に持つボールを自在に操る人がいます。
「かっこいいなー」「マネしたいなー」と思って、
ボール投げたり、片手取りしたり、手のひらにボール載せて手首返したり、
色々、試して、自分もできるようになるために、色々してみたりすることって、ないでしょうか。

 私は跳び箱、逆上がりが、クラスで最後から2番目くらいに、
やっとできるようになった子どもでした。

 跳び箱は、クラスの担任が
「できるようになるまで、戻ってこなくて良い」といって、
体育の授業のサドンレスみたいな形をとり、だんだん、みんなが跳べるようになる中、
何度も何度も繰り返して、やっとできるようになりました。
今なら、問題になりそうですね。

 逆上がりも体育の授業だけではできず、公園でやったり、休み時間にやったり。
できる友だちが教えてくれたり、母が公園にいっしょにいたき奥もあります。
これも、あるとき、くるりとできたのを覚えています。
それにしても、鉄棒の練習で、手のマメをどれだけ作ったことか!

 私は子どもの頃から、身長も高く、そうなると、
運動神経も良さそうに見えるのですが、運動はできることとできないことが、
極端にあったように思います。

 でも、みんなができるんだから、私にもできる!と思い、
できないことも、ただただ、やることでできるようになっていきました。

 どうして、卑屈にならなかったのかな、と考えたら、
「どうせ私は…」と卑屈を発動させても、できるようにはならないので、
ただただ、できたい!の一心で練習や工夫をしていたように思います。

 発達の凸凹の子どもたちと接していると、不器用でできないことも多くあります。
そして、それは、身体の発達のヌケやら未発達な感覚があるからなのだと、
こちらは学んでいて、知っていたりもします。

 ヌケているから、あとでね、ではなく、
あなたは土台を強化しているんだから、そんな難しいことは、あとで、でもなく。

 ヌケを埋めつつ、満足する、満足だぁ〜と
にこにこできる戦略を周りの大人は、しれっと立てなくては、と思うことです。

 策を練りつつも、策におぼれず。
がんばろーっと。




コメント
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