昨日は早朝の仕事の同僚に誘われて、同僚が作る畑に行きました。
たくさんの野菜を無農薬で育てていて、私も玉ねぎをとらせていただきました。
自分が食べる野菜を自分で作る畑はとても気持ちの良い場所でした。
さて、数日前、鹿児島県内の児童クラブで支援員が、自己紹介の言葉がうまく言えず声が小さいお子さんに大きい声で圧がある言葉をかけ、お子さんが泣いて怯えているような動画がSNSでアップされ、批判や電話での苦情が相次いでいるというニュースがありました。
動画を見ると、この支援員の方は本当にこのお子さんに自己紹介させたいのか疑問に思うもので、晒し者にしたいだけではないかととても嫌な気持ちになりました。
周りのお子さんの映っている足先からも緊張が伝わります。
こんな支援員のいる児童クラブは嫌だねぇ、と思うと同時に、動画を撮っている他の大人の方にも大いに違和感を感じました。
どうしてこのとき動画を撮影していたのかはわかりません。
動画をネット上にアップしたことで、この児童クラブで指導という名の元に、指導でもなんでもない支援員の感情任せの支配が横行していることがわかったことは良いことなのかもしれません。
でも、おそらく、複数名いた他の大人は、この支援員の言い方に対して「もういいんじゃないの」と諫めるか「ちゃんと聞こえるよ」とお子さんを庇うとかできなかったものでしょうか。
動画を見ながら、泣いているお子さんは後で支援員に謝られても、怖い思いは残るでしょう。
また、何も行動してくれなかった他の大人への不信感や「私の味方はいない」というような気持ちの縮んだ部分もなかなか大きいのではないかな、と思うことでした。
おかしいこと、違和感を感じたことにその場で「おかしいよ」「やめたら?」という瞬発力は、自律し、自分の頭でものを考える大人には必要なことではないかな、と思います。
今は動画を撮って、ネットに出せば多くの人から成敗されて、より物事が大きく改善するということも大いにある世の中です。
でも、おかしいと感じた時に即言う瞬発力が、時として、自分自身やお子さん、身近な人を守ることにも繋がっていくのではないかなぁと思うことでした。