台風で雨戸を閉めていると、麻でも昼でも夕方のようで、
時間の感覚がなくなりますね。
そして、昼でも夕方のようだと、思いながらふと時計を見ると、
本当の夕方に近い時間になっていてびっくり!
間の抜けた一日になりました。
何かを学習するとき、それに対して学習する側の子どもと果たして、同じ方向を向いているのか、
そんなことを今更ながら、きちんと意識しなくてはいけないな、と教室に来る子どもさんとの
学習で感じることがあります。
お互いが「今、こういうことやってるんだな」という視点を共通でもっていないと、
学習というのは難しいことなのだなぁ、ということをしみじみと思うことがありました。
具体的には書きませんが、ごくごく「簡単なこと」と私が思ったことが、
一緒に学習している子どもさんには、簡単ではなかった。
簡単ではなかった理由は、
やっていることを見ていても、同じことを自分が再現するためには、
「何を見て、どこを覚えなくてはいけないか」について焦点を合わせられなかった、ということかな、
私は思いました。
この学習のとき、「どこが肝か」を自分でつかむというのは、
凸凹っ子たちにとっては、難しいことなのかもしれませんね。
特に、得意、不得意のある、お子さんたちでは、
得意なことでは、パッ!とひらめくように問題の本質がつかめるのに、
不得意な部分では、学習のスタートラインにも着けないほどにグダグダな感じかもしれません。
そこまでやるの?というくらいやっている学習に対する、視点を明らかにする作業が必要かもしれません。
言葉の繰り返しは、混乱を招く子もいます。
なにをどう、分解し、説明し、本人の知識や知恵に結びつけるか…。
教えるほうの頭次第。
自分の頭の広がりの足りなさを痛感する日々です。
時間の感覚がなくなりますね。
そして、昼でも夕方のようだと、思いながらふと時計を見ると、
本当の夕方に近い時間になっていてびっくり!
間の抜けた一日になりました。
何かを学習するとき、それに対して学習する側の子どもと果たして、同じ方向を向いているのか、
そんなことを今更ながら、きちんと意識しなくてはいけないな、と教室に来る子どもさんとの
学習で感じることがあります。
お互いが「今、こういうことやってるんだな」という視点を共通でもっていないと、
学習というのは難しいことなのだなぁ、ということをしみじみと思うことがありました。
具体的には書きませんが、ごくごく「簡単なこと」と私が思ったことが、
一緒に学習している子どもさんには、簡単ではなかった。
簡単ではなかった理由は、
やっていることを見ていても、同じことを自分が再現するためには、
「何を見て、どこを覚えなくてはいけないか」について焦点を合わせられなかった、ということかな、
私は思いました。
この学習のとき、「どこが肝か」を自分でつかむというのは、
凸凹っ子たちにとっては、難しいことなのかもしれませんね。
特に、得意、不得意のある、お子さんたちでは、
得意なことでは、パッ!とひらめくように問題の本質がつかめるのに、
不得意な部分では、学習のスタートラインにも着けないほどにグダグダな感じかもしれません。
そこまでやるの?というくらいやっている学習に対する、視点を明らかにする作業が必要かもしれません。
言葉の繰り返しは、混乱を招く子もいます。
なにをどう、分解し、説明し、本人の知識や知恵に結びつけるか…。
教えるほうの頭次第。
自分の頭の広がりの足りなさを痛感する日々です。