陰になりひんやりとするリビング。
涼しいところを猫はよく知っていますね。
昨日の廣木先生がお話の中で、「ただただ子どもを自由にするのはダメじゃないかな」というようなことを言われました。
これは、要するに「野放しにしない」ということでお話の最後の方にも言われたので、印象に残った言葉でした。
廣木先生がお子さんに絵画療法をと思ったものの、お子さんは全く興味を示さない。
それで、お子さんの手を持って、描き方を指南していたら、あるとき堰を切ったよう絵を描き始めたというお話には驚きました。
教室にいらっしゃった親御さんの相談をお聞きしている時に、今のお子さんの発達段階でできるだろうということと、親御さんが求めるお子さんにできて欲しいことに差があることがあります。
確かに年齢的には小学校に通っているのだけれど、体を使う感じはまだ年中さんくらいの部分があって、うまくいかない、そんな感じのときです。
認知面は年相応の部分もあるし、そうでない部分もある。
そういうとき、私は親御さんがさせたいことの必要性はわかるのだけれど、体の使い方の土台を作って、できるように道筋を立てませんか?という提案をさせていただきます。
どちらかと言うと、今のお子さんに無理なことは避けて、できるところをもっと使い、自由にさせる中で土台を作る感じです。
でも、それだけが正しい方法ではないな、とも思った瞬間でした。
もしかすると、廣木先生のお子さんは、もう自分で描けるだけのものをそれまでの廣木先生のお家での取り組みで得ていて、だからこそ爆発したように絵を描き出したのかもしれません。
そうだとしたら、やはり親御さんの熱量に勝る療育はないのですよね。
昨日のお話の中で「一つの型で成功する体験が得られるのは大事」という話を聞きながらそんなことを思いました。
また、絵を描くことを仕事にし、体が整っているお父さんに手を取ってもらって、丸を描いたり、線を引くことは、お子さんは心地よい体の刺激になっていたのではないかなぁとも思い、親御さんの体が整っていることや得意分野でお子さんにアプローチすることの大切さにも思いを馳せました。
やはり、エピソードというのは、本でまとまっている知見とはまた違う思考をもたらしてくれるものだなぁと思うことです。