日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

恥ずかしいから予習。

2016-04-13 21:40:04 | 日記
 早朝の積込みの仕事から帰ると、
バイクの音を聞きつけているのか、まずは、ちぃが走ってお出迎えをしてくれます。

 「あー、さびしかったよー」といわんばかりにごろごろ言いながら、
ばたん、ばたんと行く手で倒れて、「なでて!」と「抱っこ!」の猛烈アピールをします。

 その後、小さな声か、空気だけ出す感じで鳴きながら桃ちゃん登場。
甘えまくる9歳ほど年上のちぃを刺すような視線で見つめつつ、甘えてきます。

 そして、最後に「梅ちゃんですよー!」とアピールしながら梅ちゃん登場。
中腰になった私の背中に、「いまだ!」と飛び乗ってきます。
そのうち、これでぎっくり腰になるんではないかと思っています。

 そんな背中に乗る梅ちゃん。
今日は試しに、おりるまで乗せとこうと、梅ちゃん任せにしていたら、30~40分ほど乗っていました。

 でも、猫の温さを背中で感じるのは、そのしっとりした重さとぬくさに癒されます。

 今日は、友人が遊びにきて、色々な話しをしました。
話しをしていて、子どもの頃の私は、ちょっとした覚えておくことができない子だったなぁ、と
しみじみ実感したのでした。

 今もそういう子はいると思いますが、
私は小学生のとき、笛を吹くのが得意で発表のメンバーにも選ばれたり、
先生にも褒められたりで、音楽の笛の実技で苦労したことはありませんでした。

 ところが、私はいっさい、楽譜は読めず、ちんぷんかんぷん。
テストもできませんでしたが、音楽の授業で音階で歌うのは、歌詞を覚えるように音階を覚えたり、
家での予習で、自分で「ドレミ~」を書いていったりしていました。

 なーんだ、予習が自分でできるじゃん!とお思いでしょうが、
音符ひとつひとつを前に歌った歌の音符を書いてあるものと確認していっていたので、
とても時間がかかっていました。

 そんなに苦労して書いたのに、「シャープだから、フラットだから、」などと言われると、
もう、目の前真っ暗で、音符で歌いながら、それを間違えないように書きなぐっていました。

 そんな私が、「同じ音は、同じ場所にある、かもよ。」と気がついたのは、
小学校も高学年になってからだと思います。

 それはそれは、衝撃的で、
「わ!ドから、線の下、線の上、線の上、線の下…て、すればいいんだ!」と気がつき、
おそるおそる、音符の下にドレミを書いて、音楽の時間に応え合わせをすると、
「合ってる!」胸がすぅ~っとしたのを覚えています。

 こわいですね、こんな風なのにバイオリンも習ってたのですから。
音符は読めないので、指番号でした。

 こんな子どものときの私は、ワーキングメモリが弱かったのか、
ピンポイントで見ることができなかったのか、
授業を聞いていなかったからなのか、
しるよしもがな、です。

 でも、何かの拍子に、「あ!」っと気がつくことがあったのは、覚えています。

 女子で音符が読めない子って、あまりいなかったから、
はずかしいなぁ~と思っていたのも記憶しています。

 はずかしいから、予習してたんですもん。
はずかしいなぁ、と自分で思うことやら、笑われないように、と予習することや、
子どもながらに色々考えていた気がします。

 子どもって、忙しいですね。

 

 
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