昨日の節分の海苔巻きは、
海苔大好きな桃ちゃんに邪魔をされつつも、無事に巻きました。
来年は、一晩経って味が落ち着いた海苔巻きが味わえるように、
食べる分より5本多く巻こう!と思った立春です。
昨日は、「治ってますか?発達障害』や『LDは僕のID』『僕は字が読めない』の本で知られる、
南雲明彦さんのことが取り上げられるということで、
「世界仰天ニュース」を観ました。
字が読めないことの大変さやまわりの子どもと自分の違いに、
こんなにも苦しむものなのだなぁ、ということを、
映像仕立てになっていることで、知っている子どものことのようにヒリヒリと感じ、
人の人生の歩みを本とはまた違う味わいで観ることでした。
今から20年ほど前のことです。
私が関わった子で字が読めない、書けないという高校生の子がいましたが、
その頃の私には「学習が追いついていなくて読めないのだろう」という判断しかできず、
ルビをつけたり、一緒に字の練習をしていました。
もし、LDだったのであれば、
字を覚えることはもちろん、お手本を見ながら書くことも大変なことだっただろうと思います。
教える側がものを知らない、見る目がないということは、
本当に罪作りですね。
それにしても、番組を観て思ったのは、
子どもという存在は、こんなにも弱みを見せずにがんばる存在なのか!ということです。
まわりの同級生ができることが、できないのは自分がおかしいんだ。
字が書けないこと、音読ができないことは自分の努力がたりないのだ。
自分ができないことのすべての責任を小さな背中で引き受け、
状況を好転させるべく、どうにかしようと努力する姿には、
胸が締め付けられるような気持ちになりました。
そうやって、自分が悪いともがく姿に、
私自身が出会った、色々な困難をもつ子どもたちの姿がだぶる思いがしました。
私たち大人は、時として、
子どもの無邪気さと天真爛漫な振舞いに甘えて、
子どもに対してとても無神経な言葉を発することがあります。
その言葉をすべて引き受けようとする子どももいる、
ということを心に留めておかなければならないなぁ、と思うことでした。
2月の末の南雲さんの講演会、楽しみなことです。
海苔大好きな桃ちゃんに邪魔をされつつも、無事に巻きました。
来年は、一晩経って味が落ち着いた海苔巻きが味わえるように、
食べる分より5本多く巻こう!と思った立春です。
昨日は、「治ってますか?発達障害』や『LDは僕のID』『僕は字が読めない』の本で知られる、
南雲明彦さんのことが取り上げられるということで、
「世界仰天ニュース」を観ました。
字が読めないことの大変さやまわりの子どもと自分の違いに、
こんなにも苦しむものなのだなぁ、ということを、
映像仕立てになっていることで、知っている子どものことのようにヒリヒリと感じ、
人の人生の歩みを本とはまた違う味わいで観ることでした。
今から20年ほど前のことです。
私が関わった子で字が読めない、書けないという高校生の子がいましたが、
その頃の私には「学習が追いついていなくて読めないのだろう」という判断しかできず、
ルビをつけたり、一緒に字の練習をしていました。
もし、LDだったのであれば、
字を覚えることはもちろん、お手本を見ながら書くことも大変なことだっただろうと思います。
教える側がものを知らない、見る目がないということは、
本当に罪作りですね。
それにしても、番組を観て思ったのは、
子どもという存在は、こんなにも弱みを見せずにがんばる存在なのか!ということです。
まわりの同級生ができることが、できないのは自分がおかしいんだ。
字が書けないこと、音読ができないことは自分の努力がたりないのだ。
自分ができないことのすべての責任を小さな背中で引き受け、
状況を好転させるべく、どうにかしようと努力する姿には、
胸が締め付けられるような気持ちになりました。
そうやって、自分が悪いともがく姿に、
私自身が出会った、色々な困難をもつ子どもたちの姿がだぶる思いがしました。
私たち大人は、時として、
子どもの無邪気さと天真爛漫な振舞いに甘えて、
子どもに対してとても無神経な言葉を発することがあります。
その言葉をすべて引き受けようとする子どももいる、
ということを心に留めておかなければならないなぁ、と思うことでした。
2月の末の南雲さんの講演会、楽しみなことです。