日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

LD。

2016-02-04 15:03:58 | 発達応援
 昨日の節分の海苔巻きは、
海苔大好きな桃ちゃんに邪魔をされつつも、無事に巻きました。

 

 来年は、一晩経って味が落ち着いた海苔巻きが味わえるように、
食べる分より5本多く巻こう!と思った立春です。

 昨日は、「治ってますか?発達障害』や『LDは僕のID』『僕は字が読めない』の本で知られる、
南雲明彦さんのことが取り上げられるということで、
「世界仰天ニュース」を観ました。

 

 字が読めないことの大変さやまわりの子どもと自分の違いに、
こんなにも苦しむものなのだなぁ、ということを、
映像仕立てになっていることで、知っている子どものことのようにヒリヒリと感じ、
人の人生の歩みを本とはまた違う味わいで観ることでした。

 今から20年ほど前のことです。
私が関わった子で字が読めない、書けないという高校生の子がいましたが、
その頃の私には「学習が追いついていなくて読めないのだろう」という判断しかできず、
ルビをつけたり、一緒に字の練習をしていました。

 もし、LDだったのであれば、
字を覚えることはもちろん、お手本を見ながら書くことも大変なことだっただろうと思います。

 教える側がものを知らない、見る目がないということは、
本当に罪作りですね。

 それにしても、番組を観て思ったのは、
子どもという存在は、こんなにも弱みを見せずにがんばる存在なのか!ということです。

 まわりの同級生ができることが、できないのは自分がおかしいんだ。
字が書けないこと、音読ができないことは自分の努力がたりないのだ。

 自分ができないことのすべての責任を小さな背中で引き受け、
状況を好転させるべく、どうにかしようと努力する姿には、
胸が締め付けられるような気持ちになりました。

 そうやって、自分が悪いともがく姿に、
私自身が出会った、色々な困難をもつ子どもたちの姿がだぶる思いがしました。

 私たち大人は、時として、
子どもの無邪気さと天真爛漫な振舞いに甘えて、
子どもに対してとても無神経な言葉を発することがあります。

 その言葉をすべて引き受けようとする子どももいる、
ということを心に留めておかなければならないなぁ、と思うことでした。

 2月の末の南雲さんの講演会、楽しみなことです。


 


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