日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

どこ見てる?

2016-03-02 15:53:39 | 発達応援
 九州の味噌の作り方を聞かれて、
10年以上前に、友人のお母さんの味噌作りにお邪魔したときのノートを読み返しました。

 麦に麹をつける作業のため、たしか、夜中の3時頃お邪魔したように思います。

 猫のお腹ぐらいにあたたかくなった麦と麹が混ざったものの、
温度に気をつけながらもろぶたを空けたり閉めたりし。
お茶を飲みながら、麹の付き具合を見て、
朝になって、朝食をいただいて、というような色々なことを思い出しました。

 そういうのは、楽しいですね。

 学校で、家で、勉強をしているときに、
「教科書を見て!」とか「プリントを見て」とか「数字を見て」「漢字を見て」と、
教えるほうは子どもに良かれと思い、色々な声をかけます。

 その言葉で、子どものほうはちゃんと教科書を見たり、
「見てるよ!」と反抗したり様々なことと思います。

 でも、子どもに「教科書を見て」と言ったとき、
子どもがどこを見ているかは、しっかりとつかまなくては、
この指示は、ただの言葉をかけたに過ぎない、お粗末なものになります。

 大抵の子どもは、授業なり、宿題なりをするときに、
「教科書見て」と言われたり、「漢字ちゃんと見なさい!」と言われると、
教科書の授業に関係する部分や書いている漢字をちゃんと見ます。

 ですが、一部の子どもは、
なぜか、教科書のページ数に見入っていたり、教科書の厚さを見ていたり、
なんだか習っていない漢字のページを一心不乱に見ていることがあります。

 たしかに、教科書は見ているのですが、
それでは授業でやっているところが、突然、とんでしまうし、
漢字も書くべき漢字はどうだったかわからなくなります。

 算数のドリルなども見ていると、
「25+16」を筆算で書くときに、1を書いて、5を書いて、
6、2と枠を埋めるように書いたりしている子もいます。
まとまりの数字としての意味が抜け落ちている感じです。

 そういうことがなるべくないように、
子どもは指示されたことの意味を汲み取って、行動をしているか、
よく見ることが必要ですね。

 形が整っていると、できていると思いがちですが、
何をしているのかな、と黙って、じっくり見ることも大切ですね。
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