私が毎日通勤に使うバイクを留守中に夫がメンテナンスしてくれました。
朝、ありがたいことだなぁ〜と思いながら、バイクにキーを差し込むと…。
あれ?おかしい、バイクのキーがはいりません。
私はいつもバイクのキーをぶら下げているところからキーをとったのですが、
よく見ると、別のバイクのキーでした。
キーの大きさもキーホルダーも違うのに、バイクにさすまで気がつかないとは…。
朝って、やっぱり、ぼーーーっとしているんですね。
愛甲さんの質問会で、私はごっこ遊びから格闘技系の遊びに移行したお子さんのことをお聞きし、
「象徴遊びからルール遊びになったってことですよ。」と教えていただきました。
あ!そういうことか〜と納得したのですが、
質問会を主催してくださった花風社の浅見さんが、今日のブログでこんなことをおっしゃっていました。
格闘技系のぶつかり合いを愛甲さんはルール遊びととらえていたけど、
それはそうかもしれないけど、感覚遊びの面があって、
なんの感覚かというと固有受容感覚なんですよね。
それがずしりと入らないと落ち着かない子っていると思うの。
ソースは私。
治しやすいところから治すーー発達障害への提言 「やはり即効性が」
そうだ!と再び、納得。
そのお子さんと象徴遊びの段階でもアニメのヒーローになりきって、
対戦ごっこをしていたのですが、そのときはとにかく、手が、足が、私の体に当たっていました、
まだ、ひょろっと細いお子さんで、そう痛くはなかったのですが、
私「当たると痛いでしょ!当てないでよ!」
子「ごめ〜〜ん!」
と言いつつ、また、ぴしゃっと当たるの繰り返しでした。
お子さんに悪気はないのですが、
距離感や力のさじ加減ができないので、当たるときも力は0か100という感じでした。
そこで、ケリやこぶしでの連打などその子の100%の力を出させるときは、
私は大きなバランスボールでそれを防御しながら凌ぐことにして、
対戦ごっこをしていました。
また、そのお子さんは象徴遊びの段階では、
体同士をぶつけたり、くっつけ合うような遊びは避け気味でしたが、
お互いにバランスボールを両手で持って、バランスボールを介してのぶつかり合いが好きでした。
私もその子もぶっ飛びながら、
バランスボールを持ってぼよよーーーんとぶつかる遊びを何度も繰り返していました。
そんなときを経て、その子はある時期から、
「どっちが強いか勝負しよう!」と言いはじめて、
単なるプロレスのような、相撲のような、レスリングのような遊びをするようになりました。
そして、また、久しぶりにアニメのヒーロー遊びをするというので、
主人公になりきって、対戦をしました。
ヒーローになりきると私に手や足が当たります。
力も強くなっているので「痛いじゃん!」と抗議すると、
「じゃあ、寸前で止める感じにするから」と言って、
私に当たらないようにケリや連打をするフリができるようになっていました。
しかも、力いっぱい空手のようなボクシングのような連打のフリができていて、
私はびっくりしました。
今日の浅見さんのブログでそんなことを思い出しました。
その子にとって、最初の対戦ごっこは象徴遊びだけど単なる象徴遊びではなく、
連打したりぶつかったりして遊ぶ中で固有受容感覚が入っていく
感覚遊びの側面があったのではないでしょうか。
また、プロレスや相撲、レスリング的な遊びは勝敗を決めるルールがあるのだけど、
生身の体でぶつかりあって、力を入れる感覚遊びの側面があります。
そうやって感覚が育っていくと、
再び戻った象徴遊びでは寸止めしたり、手加減ができたのかなぁ、と
思ったのですが、どうなのでしょう。
子どもの発達の本などでは、
摸倣遊びだ、ごっこ遊びだ…と子どもの遊びの表面を見て、
遊びの発達段階を図るピラミッドをつくり、子どもの発達の目安にするのだと思います。
でも、遊びのピラミッドの上を目指しながらも、
子どもたちはピラミッドを行きつ戻りつしながら、
自分に必要な身体の感覚を獲得し、育んでているのだなぁと思うことでした。
朝、ありがたいことだなぁ〜と思いながら、バイクにキーを差し込むと…。
あれ?おかしい、バイクのキーがはいりません。
私はいつもバイクのキーをぶら下げているところからキーをとったのですが、
よく見ると、別のバイクのキーでした。
キーの大きさもキーホルダーも違うのに、バイクにさすまで気がつかないとは…。
朝って、やっぱり、ぼーーーっとしているんですね。
愛甲さんの質問会で、私はごっこ遊びから格闘技系の遊びに移行したお子さんのことをお聞きし、
「象徴遊びからルール遊びになったってことですよ。」と教えていただきました。
あ!そういうことか〜と納得したのですが、
質問会を主催してくださった花風社の浅見さんが、今日のブログでこんなことをおっしゃっていました。
格闘技系のぶつかり合いを愛甲さんはルール遊びととらえていたけど、
それはそうかもしれないけど、感覚遊びの面があって、
なんの感覚かというと固有受容感覚なんですよね。
それがずしりと入らないと落ち着かない子っていると思うの。
ソースは私。
治しやすいところから治すーー発達障害への提言 「やはり即効性が」
そうだ!と再び、納得。
そのお子さんと象徴遊びの段階でもアニメのヒーローになりきって、
対戦ごっこをしていたのですが、そのときはとにかく、手が、足が、私の体に当たっていました、
まだ、ひょろっと細いお子さんで、そう痛くはなかったのですが、
私「当たると痛いでしょ!当てないでよ!」
子「ごめ〜〜ん!」
と言いつつ、また、ぴしゃっと当たるの繰り返しでした。
お子さんに悪気はないのですが、
距離感や力のさじ加減ができないので、当たるときも力は0か100という感じでした。
そこで、ケリやこぶしでの連打などその子の100%の力を出させるときは、
私は大きなバランスボールでそれを防御しながら凌ぐことにして、
対戦ごっこをしていました。
また、そのお子さんは象徴遊びの段階では、
体同士をぶつけたり、くっつけ合うような遊びは避け気味でしたが、
お互いにバランスボールを両手で持って、バランスボールを介してのぶつかり合いが好きでした。
私もその子もぶっ飛びながら、
バランスボールを持ってぼよよーーーんとぶつかる遊びを何度も繰り返していました。
そんなときを経て、その子はある時期から、
「どっちが強いか勝負しよう!」と言いはじめて、
単なるプロレスのような、相撲のような、レスリングのような遊びをするようになりました。
そして、また、久しぶりにアニメのヒーロー遊びをするというので、
主人公になりきって、対戦をしました。
ヒーローになりきると私に手や足が当たります。
力も強くなっているので「痛いじゃん!」と抗議すると、
「じゃあ、寸前で止める感じにするから」と言って、
私に当たらないようにケリや連打をするフリができるようになっていました。
しかも、力いっぱい空手のようなボクシングのような連打のフリができていて、
私はびっくりしました。
今日の浅見さんのブログでそんなことを思い出しました。
その子にとって、最初の対戦ごっこは象徴遊びだけど単なる象徴遊びではなく、
連打したりぶつかったりして遊ぶ中で固有受容感覚が入っていく
感覚遊びの側面があったのではないでしょうか。
また、プロレスや相撲、レスリング的な遊びは勝敗を決めるルールがあるのだけど、
生身の体でぶつかりあって、力を入れる感覚遊びの側面があります。
そうやって感覚が育っていくと、
再び戻った象徴遊びでは寸止めしたり、手加減ができたのかなぁ、と
思ったのですが、どうなのでしょう。
子どもの発達の本などでは、
摸倣遊びだ、ごっこ遊びだ…と子どもの遊びの表面を見て、
遊びの発達段階を図るピラミッドをつくり、子どもの発達の目安にするのだと思います。
でも、遊びのピラミッドの上を目指しながらも、
子どもたちはピラミッドを行きつ戻りつしながら、
自分に必要な身体の感覚を獲得し、育んでているのだなぁと思うことでした。