古い画像を見返していると、やたらと大宮駅へ入り浸っていた時期があることに気が付く。当時は、EF57という電気機関車を初めて認知し、魅力に捕りつかれつつあった時期と重なっている。もちろん、上野の方が近くてアクセスもしやすいはずだが、残されたコマは、圧倒的に大宮駅が多いようである。以前にもここで書いたと思うが、親戚が大宮市にいることで、より身近に感じていたこともある。まだキハで行き来していた川越線には、よく乗車していたからだ。
この年の夏休みは、毎日のように出向いていることが、我ながら恐ろしい。ま、今にして思えば、人生で一番バイタリティ溢れる年頃であり、好き勝手に遊んでいたことを実感できてしまうのだ。行けば行くほど、ゴーナナが好き、鉄道が好き、大宮が好きになることがわかったのだ。こうなると当時のアントンKは、止まらなかったのかもしれない。若人の情熱は凄まじいのである。今でも変わらない東北と上信越との分岐点。変わったのは、在来線の列車たちだが、当時は日本一と思えるほど、次々と優等列車が入線しては、発車していき、一日ホームにいても実際飽きることは無かった。ホームで録音をしながらカメラでスナップを撮り、上下のホームを行き来した青春時代は、まさに一瞬の出来事に感じられる。こんな時代を生きられて本当に良かったと思い返しているところだ。
掲載写真は、突然、時刻表にない列車が入線。それもEF57でやってきた。いつも慌ただしい下りホームが、さらに活況を浴びてくる。とは言っても、現代のような殺伐な雰囲気は一切なく、それを思えばゆっくりとした空気が流れていることがわかる。
時間になり、ゆっくりとゴーナナはホームを離れていった。アントンKは、ゴーナナのこの後ろ姿がとても好きで、何度も狙ったシーン。写真は情けないが、気持ちだけでも・・・感じて欲しい。
1975-08-23 8403ㇾ 臨時列車 EF57 3 東北本線:大宮駅にて