東海道線からブルートレインが消滅して随分時間が経ってしまったが、アントンKにとって最も思い出が多く懐かしいブルトレは、EF65PFけん引の時代だ。結果としてブルトレけん引期間が最も短い機関車がEF65PFになってしまったが、この1978年から1985年の約7年間は、アントンKの鉄チャン人生で最も充実していた時期と言えるだろう。ちょうどEF65P型からピカピカのPF型に代わった時期は、本格的に撮影を始めた時期と重なる。いつもターゲットとしてそばにいた列車が、東海道のブルートレインだったのだ。当初は、EF58も最後の活躍をしていた時期だったが、振り返ってみると、撮影の中心はブルートレインに置いていたように思える。東海道線沿線で撮影する場合、急行「銀河」スタートで、特急「さくら」までの撮影を楽しむことが多かった。また現在のように、目的の列車の通過とともに撮影地を立ち去ることはほとんどなく、「さくら」までの午前の部はだいたい一か所に居座っていたように思う。そして午後の部へと展開していた。この時代、つまり国鉄末期の頃、全国に寝台特急列車は走っていたが、ヘッドマークを掲げて走っていたのは、この東京区のEF65PFだけだったから、EF65PFでも暖地型の機関車は好まないとはいえ、盛んに撮影していたのかもしれない。
ここではトップを切って上がってくる特急「あさかぜ4号」の写真を掲載。(ここで言うトップは早朝の出雲・瀬戸・あさかぜ2号を除く第二集団を指す)ブルトレけん引機交代の噂が出始めた頃、超望遠が仲間内で流行っていた向こうを張って、短いレンズで対抗していた時のもの。
1984-12-08 10ㇾ EF651112 あさかぜ4号 東海道本線:平塚付近
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