客車列車の場合、走行する路線によってけん引する機関車がおのずと決められていたものだが、その最も解りやすいケースが、急行「越前」ではなかったか。アントンKが知っている時代、75~76年くらいのことだが、上野と福井を結んでいた寝台急行「越前」は、信越線経由であり、あの碓氷峠を行き来していた。当然のことながら、峠ではEF63の力を借り、本務機はEF62が当てられていた訳である。いま思い起こせば、EF57が生きていた時代でもあり、当時はまだEF62と言えば新しい電機として認知していたもの。しかし、新型電機でも、台車がC-C配置で個性的であり、また面影がどこか穏やかで優しい印象をもち、一発で興味が沸いた電機であることには違いなかった。かといって、EF62を狙いに遠征までは出来なかった思い出がある。時代が変わって、この寝台急行も「能登」と名称が変わり、どの列車も同じように寝台車の連結もなくなり消滅していったのだった。
掲載写真は、EF57狙いで出向いていた西日暮里付近でのもの。鶯谷よりは、随分と撮りやすく感じていたが、それでも一応写っている記録だけというもので情けない。ただ編成は素晴らしく、マニ37から続くオロネ+スハネ+スハネ+オロ・・は、いつ見てもやはり豪華で旅情をそそる。
1976-04-25 606ㇾ EF62 22 越前 東北本線:西日暮里付近
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