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最近EF65PF型も古い機関車に感じるようになってきた。ここのところのEF210の大量増備で、ファンの間ではEF210熱が高まっているようだ。あれだけ大世帯に感じたEF65PFも、旅客会社と貨物会社とに分断され、それぞれの道をここまで歩んできた訳だが、旅客会社のPF型にはすでに定期運用は無く、貨物会社のPF型は、国鉄色に返り咲いている機番こそ多くなってきたが、所詮は2000番台という似合わない番号が与えられてしまった。しかし吹田区に続き、新鶴見区にも配属され始めたEF210-300番台の勢力は日ごとに増している。それはファンにあまり人気のないEF66 100番台が目立たなくなるほどの世帯数となっている。アントンKが今までも経験してきたように、古くなった機関車から淘汰されるとしたら、いよいよ今度はEF65PF型の順番ではないのかと、気を揉む日々が続いてしまうのだ。
アントンKにとってのEF65PF型を振り返ると、まずは東北線を走っていたブルートレイン「あけぼの」を思い出してしまう。そして「つばさ51号」として週末12系客車で走っていた列車もEF65PFけん引だった。当初は14系座席車が足りず、12系客車の特急使用で100円引き特急と揶揄されたことも懐かしい。そんな時代から、東海道ブルトレにEF65PFが新製配置され走り出した時のことは鮮明だ。EF65P型から代替され、ヘッドマークを付けて走る姿に憧れたもの。当時は東北スジの列車には、たとえブルトレでもヘッドマーク装着はなく、東海道に限られていたから、貫通扉付きの前面に付けられたマークは新鮮だったのだ。ここでは、当時最長距離を誇った特急「富士」を掲載しておく。考えてみれば、この後7~8年でEF66へとけん引機が変わってしまう訳で、けん引の歴史が最短なのはEF65PFということになるが、アントンKが最も撮影に気持ちを入れていた時代がちょうどこの時期と重なり、65PFのブルトレの思い出は多い。今後少しずつ書き出していきたいと思っている。
1980-05-03 8ㇾ EF651114 富士 東海道本線:戸塚-保土ヶ谷
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