最後の最後まで秩父鉄道で残っていた元祖国電である101系がとうとう引退したらしい。先日特別列車が走ったという記事をどこかで読んだが、この101系は、その成り立ちにおいても価値があるのでやはり残念でならない。
アントンKの101系の思い出といえば、鉄道写真の原点であった三鷹電車区や、付近の中央線で使用されていた快速電車たちまで遡ってしまう。当時は、あまりに日常過ぎて、101系よりむしろ新製仕立ての103系の方が関心があったように思うが、まだ勢力は圧倒的に101系の天下で、カナリヤ色の総武101系とともに、まだまだ腕が未熟だった当時の撮影の練習電車(と言っては失礼な話だが)になっていた。
101系と言えば、開業して間もない武蔵野線に試乗しに行ったこともある。府中本町からだったと思うが、ここから続く長いトンネルのために改造された1000番代に乗ってみたくて、始発から先頭の運転室にへばりつき終点まで行った。当時の武蔵野線は、まだ貨物列車主体で、電車本数は限られていたように思うが、千葉県まで随分遠く感じて、帰路は常磐線で帰った記憶がある。また学生時代鉄研の学友には、101系のマニアがいて良く議論したことも良い思い出だ。彼曰く、「101系は、103系より乗り心地が良い!」のだそうだ。そのことを検証しに、101系に二人に乗りに行ったことも懐かしい。
写真は、青梅線に週末になると乗り入れていた、特別快速「みたけ」号。当時は、行楽シーズンになると当たり前のように、何本も特快が乗り入れてくる。拝島でうしろ3輌を切り離し、7両で御嶽まで入線していたように思う。冷房装置など無く、グローブ型ベンチレーターが並び、デザインはシンプルだが存在感があり、一番身近な電車のイメージがまだあるのはどうしたことか・・・
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1976(S51)-04-18 885H 特別快速「みたけ」 Mc100-60ほか7連 青梅線:沢井-軍畑
Nikon FTN MF NikKor 105mm f/2.5S KODAK ネガカラー