まだ都内にデッキ付きの茶色い電気機関車が縦横無尽に走っていた頃、厳つい顔つきで迫ってくる青い電気機関車があった。今にして思えば、その電機こそロクヨンEF64だったのだ。当然1000番台など生まれる前の話で、側面いっぱいの大きなフィルターが誇らしく思い、とても力強く頼もしく思えたものだった。まだ当時は中央線沿線にカメラを持って出歩くことが日常で、オレンジの101系電車に混じって時よりやってくる貨物列車が楽しみだったことが思い出せる。その当時は、大部分の貨物列車が茶色のEF13やEF15だったが、ある時時間をいつもより遅く出掛けてみたら、ロクヨンがやってきて驚嘆した覚えがある。山の機関車がこんな都会にまでやってくるなんて驚いたのだろうか。しばらくそんなロクヨンの列車スジを狙って通った想いが蘇っている。
アントンKがカメラを持ち出した時代は、新宿まで乗り入れていた普通客車列車が消滅した後だから、その頃はロクヨン自体が珍しく思えたはず。こうした想いから、臨時列車となっていた夜行急行「アルプス」や、その折り返しである急行「たてしな」「アルプス」(8404列車)をよく狙っていたのは必然なことかもしれない。比較的後年まで残っていた列車だと思うが、旧客や12系客車を牽くEF64は、アントンKには当時から特別だったように思える。こうしてアントンKにとってのEF64との出会いがあり、中央東線や西線、そして伯備線へと出会いの場を広げていった訳だが、今振り返ってみると、一番の衝撃は、一時ではあるが長岡区へ配置されたEF64が特急「あけぼの」をけん引したことだろうか。流行で茶色にされた37号機は可哀想にも思えたが、38号機とともに誇らしくヘッドマークを掲げブルトレを牽く姿は、ロクヨンファンには掛けがえのない贈り物になったに違いない。とうとう稼働車が37号機1台となっていたここ最近、多くのファンに見送られながら旅立ったと聞く。思えばアントンKが鉄道写真を撮り始めた1975年以来、頭の片隅にいつもいた機関車が、このEF64 0番台だったように思えてならない。ゴーナナやゴハチはカッコよく、いつでもスター機関車だったが、ロクヨンは最後まで武骨な山の機関車だったように感じるのである。
掲載写真は、駆け出しの当時、偶然遭遇したロクヨンの貨物列車を何度も撮影しに沿線に繰り出たときのもの。都内高架線を走る山の機関車ロクヨンのアンバランス感が溜まらなかった。
1975-10-16 487列車 EF64 19 中央東線:阿佐ヶ谷付近