2011年12月23日公開 フランス=オーストリア=ドイツ
不治の病により、長年、車椅子生活を送ってきたクリスティーヌ(シルヴィー・テステュー)は、奇蹟の水が湧き出ることで有名な聖地ルルドへのツアーに参加する。そこには、病を抱えた人や、家族を亡くして孤独な老人、観光目的の主婦たちなど、奇蹟を求めて様々な人たちが参加していた。そんな中、別段熱心な信者でもなかったクリスティーヌに奇蹟が起こる。立って歩けるようになったのだ。オシャレをして意中の男性とも急接近し、“普通の女性”としての喜びを実感する彼女だったが、その出来事は、周りの人々の羨望や嫉妬といった様々な感情を引き起こすこととなる…。(オフィシャルサイトより)
ルルドの泉とはカトリック教会が認めた聖母マリアの奇跡の起こる泉として世界中から信者・巡礼者の集まる場所ということです。日本だったら四国の霊場みたいなものかしらん?巡礼者の聖地であると同時に観光地でもあるので、立派な大聖堂の前ではツアー客たちが記念写真を撮ったり、洞窟ツアーや沐浴コースなんてものもあるのにはびっくり
クリスティーヌは多発性硬化症という難病に侵されていて四肢の麻痺があります。彼女の楽しみは聖地巡礼のツアーに参加する事ですが、取り立てて信仰心が篤いわけではなさそうに見えます。若い女性ですから、ボランティア(マルタ騎士団)の青年に好意も抱きます。彼女の世話役のボランティアはマリア(レア・セドゥ)という同年代の女の子ですが、彼女も自分の義務より青春を謳歌することの方がより大事なようです。
一方、ボランティアのリーダーのセシル(エリナ・レーヴェンソン)は自らも致死の病を抱えながら熱心にツアー参加者の世話を焼いています。篤き信仰心故の行動ですが、同時に他者の面倒を看ることで自らの徳を積み、神の恩寵を受けたいという気持ちもあったのかとも思えました。
クリスティーヌの手足の麻痺が解け、車椅子から立ち上がり杖をついて歩けるまでになると、周囲は奇跡と呼び喜び神を讃えます。彼女自身も喜びを隠そうともせず、女の子らしく髪や服装に気を使い、華やいで異性に接近もします。しかし、「何故彼女が?」という疑問もまた自他共に沸き起こってくるのです。彼女が熱心なカトリック教徒だったり、瀕死の重傷者だったらまた違っていたかもしれませんが・・・。奇跡は平等に起こるものではないとはいえ、自らがその恩恵にあずかれないとしたら、嫉妬心は当然持つのではないでしょうか。人間だもの
彼女の患っている病気は再発と寛解を繰り返すという特徴があることが医師の口から語られているので、ダンスの途中でくず折れたクリスティーヌの姿に、今回の出来事が奇跡なのか寛解なのかという判断は観る側に委ねられることとなります。
奇跡が起きたことが重要なのではなく、それによって変わる周囲の感情にこそ人間模様が透けてみえて興味深いということなのかな?
宗教問答には興味がないので、個人的にはもやもやが残る結末でした
不治の病により、長年、車椅子生活を送ってきたクリスティーヌ(シルヴィー・テステュー)は、奇蹟の水が湧き出ることで有名な聖地ルルドへのツアーに参加する。そこには、病を抱えた人や、家族を亡くして孤独な老人、観光目的の主婦たちなど、奇蹟を求めて様々な人たちが参加していた。そんな中、別段熱心な信者でもなかったクリスティーヌに奇蹟が起こる。立って歩けるようになったのだ。オシャレをして意中の男性とも急接近し、“普通の女性”としての喜びを実感する彼女だったが、その出来事は、周りの人々の羨望や嫉妬といった様々な感情を引き起こすこととなる…。(オフィシャルサイトより)
ルルドの泉とはカトリック教会が認めた聖母マリアの奇跡の起こる泉として世界中から信者・巡礼者の集まる場所ということです。日本だったら四国の霊場みたいなものかしらん?巡礼者の聖地であると同時に観光地でもあるので、立派な大聖堂の前ではツアー客たちが記念写真を撮ったり、洞窟ツアーや沐浴コースなんてものもあるのにはびっくり

クリスティーヌは多発性硬化症という難病に侵されていて四肢の麻痺があります。彼女の楽しみは聖地巡礼のツアーに参加する事ですが、取り立てて信仰心が篤いわけではなさそうに見えます。若い女性ですから、ボランティア(マルタ騎士団)の青年に好意も抱きます。彼女の世話役のボランティアはマリア(レア・セドゥ)という同年代の女の子ですが、彼女も自分の義務より青春を謳歌することの方がより大事なようです。
一方、ボランティアのリーダーのセシル(エリナ・レーヴェンソン)は自らも致死の病を抱えながら熱心にツアー参加者の世話を焼いています。篤き信仰心故の行動ですが、同時に他者の面倒を看ることで自らの徳を積み、神の恩寵を受けたいという気持ちもあったのかとも思えました。
クリスティーヌの手足の麻痺が解け、車椅子から立ち上がり杖をついて歩けるまでになると、周囲は奇跡と呼び喜び神を讃えます。彼女自身も喜びを隠そうともせず、女の子らしく髪や服装に気を使い、華やいで異性に接近もします。しかし、「何故彼女が?」という疑問もまた自他共に沸き起こってくるのです。彼女が熱心なカトリック教徒だったり、瀕死の重傷者だったらまた違っていたかもしれませんが・・・。奇跡は平等に起こるものではないとはいえ、自らがその恩恵にあずかれないとしたら、嫉妬心は当然持つのではないでしょうか。人間だもの

彼女の患っている病気は再発と寛解を繰り返すという特徴があることが医師の口から語られているので、ダンスの途中でくず折れたクリスティーヌの姿に、今回の出来事が奇跡なのか寛解なのかという判断は観る側に委ねられることとなります。
奇跡が起きたことが重要なのではなく、それによって変わる周囲の感情にこそ人間模様が透けてみえて興味深いということなのかな?
宗教問答には興味がないので、個人的にはもやもやが残る結末でした
