杏子の映画生活

新作映画からTV放送まで、記憶の引き出しへようこそ☆ネタバレ注意。趣旨に合ったTB可、コメント不可。

研修医純情物語―先生と呼ばないで

2012年08月06日 | 
川渕圭一 著 幻冬舎文庫

パチプロ、サラリーマン、引きこもりを経て、37歳で研修医になった僕。夢と希望を抱き大学病院に乗り込んだが、そこはおかしな奴らの巣窟だった。高額時給のバイトに勤しむ医師、夜な夜なナースの回診に出かける研修医、患者の受け入れより優先される教授回診…。実体験を基にハチャメチャな医療現場と新米医師の成長を描いたエンターテインメント。 (「BOOK」データベースより)

今春のTVドラマ「37歳で医者になった僕〜研修医純情物語〜」の原作本のうちの一つですが、主人公に著者本人の名前が付けられているということで、小説というよりエッセイに近い気がしました。ちなみに著者は東京大学工学部を卒業し大学院を中退後、会社勤務を経て、30歳で医師を目指し、37歳で京都大学医学部を卒業後4年間大学病院で研修医として働いたその実体験を元に書いたそうです。

「僕」の人生は父親の死をきっかけに変わってしまいます。父の死の理由が赤坂プリンスホテルの火災というのが、当時の事件を知る人にはちょっと衝撃的かも。
学業や仕事が長続きせずうつ状態に陥りますが、信頼出来る精神科医と出会えなかったことで逆に「医者になる」という出口を見つけるあたりただものではない
一回り以上年の違う同級生たちと医学を学ぶのも相当な勇気と信念と何より学力が無ければできないことですね

晴れて研修医となって大学病院に勤務した「僕」はそこで現実の医師の姿を知ることになります。もちろん大学病院という特殊な世界の事情なので、全ての医者がそうだということではないのですが、「僕」の思う医師のあるべき姿とはかなり落差があったのでした。

研修医の日常を書いた小説は他にもあるし、その過酷なまでの労働環境についても様々に書かれているので、今さら驚くことでもないのですが、最初から医師を目指したわけでない筆者の視点は、私たち一般人が業界を覗き見るのとそれほど変わらないようです。

大学病院で働く医師にとって大事なことは、患者に寄り添う医療を施すことよりも研究や教授の意向という現実に疑問を感じ、自分なりの医療を模索する姿は好感が持てます。
けれども、小説の主人公としては、あまり魅力的とは言えないかな
群れない一匹狼タイプといえばカッコイイけど、協調性のなさや頑固さに未熟さが透けて見えるんだよねぇ病院への不満や愚痴が何度も出てくるのもちょっとしつこいかも 人生回り道をしたとはいえ高学歴には変わりないし、医師としての自意識も相当に高いように感じられて、それが逆に読んでいて高慢に感じる時もありました。

元々ドラマが気に入って原作を読もうと思ったのですが、申し訳ないけど比較するとドラマの脚本の方が優れているように思いました

このシリーズは他に数作出ていますが、以後は主人公の名前こそ変わっているけれど、内容的には似たようなエピソードで、何だか同じ物語を何度も書き直して出しているようでちょっと残念

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善き人

2012年08月06日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)
2012年1月1日公開 イギリス

ヒトラーの台頭する1930年代のドイツ。ベルリンの大学の文学教授ジョン・ハルダー(ヴィゴ・モーテンセン)は、介護が必要な母(ジェマ・ジョーンズ)とそのせいでノイローゼ気味な妻のヘレン(アナスタシア・ヒル)に挟まれ、2人の子供たちの世話に追われる生活を送っていた。1937年4月、総統官邸に呼び出されたジョンは検閲委員長ボウラー(マーク・ストロング)から意外な申し出を受ける。彼が以前書いた不治の病に侵された妻を夫が安楽死させる内容の小説をヒトラーが気に入り、「人道的な死」をテーマにした論文を書くことになったジョンは、親衛隊少佐フレディ(スティーヴン・マッキントッシュ)に執拗に勧められたこともあり入党を決意する。母親をブランデンブルクの実家に帰し、ヘレンと別居。愛人の元教え子のアン(ジョディ・ウィッテカー)と暮らし始めたジョンは、学部長に昇進を果たすが、親友のユダヤ人精神分析医モーリス(ジェイソン・アイザックス)とは、入党を機に仲違いをする。1938年10月、アンと再婚し、親衛隊大尉になったジョンは、ベルリンで起きた反ユダヤの暴動にモーリスが巻き込まれることを案じ、パリ行きの切符を都合し、留守を預かるアンにそれを託すが、彼は現れず、消息は途絶えてしまう。1942年4月、親衛隊の幹部としてユダヤ人強制収容所の情報収集を命じられたジョンは、モーリスの消息を追い、あの夜何が起きたかを知り・・・。


題名である「善き人」の意味は一つではないですね
主人公のジョンは、妻と母の間でオロオロし、教え子からの誘惑を跳ね返すほど強くもなく、権力者の意向に逆らうことも出来ず、親友を気に掛けながらも積極的に守ることもしない、言ってみればごくごく普通の市井の人です。ただ一点、彼の書いた本の内容がヒトラーにとってユダヤ人迫害の正当な理由づけにぴったりだったということを除いては。
しかも、そのことにジョンが気づくのはずっと後、もう後戻りできない状況になってからなのです。

ジョンは家族のため、自分のために、ナチの要請を受け入れます。もちろんその結果として得られた贅沢に心浮き立つこともあったはずです。ストレスの元である家庭から逃げ出し、美しい愛人と再婚、党の中で名誉ある地位を与えられ、職場での出世も果たします。遅くやってきた人生バラ色の時期です。それでも母や元妻への気遣いも見せるあたりは彼なりに良心が咎めているからでしょう。浮気をされた元妻が彼を恨まず、それまでの彼を労わるような言動をするのも、ジョンが決してエゴイストではなかった証拠かもしれません。

彼はユダヤ人の親友モーリスの忠告にも真剣に耳を傾けませんでした。先の戦争で苦楽を共にし、腹を割って話せる友だったというのに・・。この時は既にジョン自身が朱に交わるというか、ナチの考え方を無意識に受容してしまっていたのかもしれません。それでもモーリスに国外脱出のチケットを頼まれると何とかしようとしますが、失敗するとあっさり断ってしまいます。けれど、やがてユダヤ人に対する迫害が深刻さを増していくと、危険を冒してチケットを用立てるのですが・・・

真実を見抜く目を持っていなかったこと、自分の幸せに目が曇ってしまったこと、ジョンの行動を非難するのは簡単です。でも自分が同じ立場でもきっとNO!と言う勇気も強さも持てなかったでしょう。だからといって彼を肯定するわけではありませんが。

ジョンが「あの夜」の真実を知ったのは数年後です。党本部の整然とした情報管理室で得た驚愕の真実が彼を打ちのめします。この管理室の恐ろしく整った情報が与える無機質さと、収容所の無残な現実の落差に震えが走ります。この地に来て初めて、ジョンは自分が何をしてしまったのか、何に手を貸してしまったのかを思い知るのです。

ジョンの良心の呵責を比喩しているような彼にしか聞こえない音楽(歌)がラストで一段と重みを増します。呆然と立ち尽くすジョンに、生涯を後悔と良心の呵責に囚われて生きる姿が重なりました。ヴィゴ、さすがの演技力です

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