杏子の映画生活

新作映画からTV放送まで、記憶の引き出しへようこそ☆ネタバレ注意。趣旨に合ったTB可、コメント不可。

善き人

2012年08月06日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)
2012年1月1日公開 イギリス

ヒトラーの台頭する1930年代のドイツ。ベルリンの大学の文学教授ジョン・ハルダー(ヴィゴ・モーテンセン)は、介護が必要な母(ジェマ・ジョーンズ)とそのせいでノイローゼ気味な妻のヘレン(アナスタシア・ヒル)に挟まれ、2人の子供たちの世話に追われる生活を送っていた。1937年4月、総統官邸に呼び出されたジョンは検閲委員長ボウラー(マーク・ストロング)から意外な申し出を受ける。彼が以前書いた不治の病に侵された妻を夫が安楽死させる内容の小説をヒトラーが気に入り、「人道的な死」をテーマにした論文を書くことになったジョンは、親衛隊少佐フレディ(スティーヴン・マッキントッシュ)に執拗に勧められたこともあり入党を決意する。母親をブランデンブルクの実家に帰し、ヘレンと別居。愛人の元教え子のアン(ジョディ・ウィッテカー)と暮らし始めたジョンは、学部長に昇進を果たすが、親友のユダヤ人精神分析医モーリス(ジェイソン・アイザックス)とは、入党を機に仲違いをする。1938年10月、アンと再婚し、親衛隊大尉になったジョンは、ベルリンで起きた反ユダヤの暴動にモーリスが巻き込まれることを案じ、パリ行きの切符を都合し、留守を預かるアンにそれを託すが、彼は現れず、消息は途絶えてしまう。1942年4月、親衛隊の幹部としてユダヤ人強制収容所の情報収集を命じられたジョンは、モーリスの消息を追い、あの夜何が起きたかを知り・・・。


題名である「善き人」の意味は一つではないですね
主人公のジョンは、妻と母の間でオロオロし、教え子からの誘惑を跳ね返すほど強くもなく、権力者の意向に逆らうことも出来ず、親友を気に掛けながらも積極的に守ることもしない、言ってみればごくごく普通の市井の人です。ただ一点、彼の書いた本の内容がヒトラーにとってユダヤ人迫害の正当な理由づけにぴったりだったということを除いては。
しかも、そのことにジョンが気づくのはずっと後、もう後戻りできない状況になってからなのです。

ジョンは家族のため、自分のために、ナチの要請を受け入れます。もちろんその結果として得られた贅沢に心浮き立つこともあったはずです。ストレスの元である家庭から逃げ出し、美しい愛人と再婚、党の中で名誉ある地位を与えられ、職場での出世も果たします。遅くやってきた人生バラ色の時期です。それでも母や元妻への気遣いも見せるあたりは彼なりに良心が咎めているからでしょう。浮気をされた元妻が彼を恨まず、それまでの彼を労わるような言動をするのも、ジョンが決してエゴイストではなかった証拠かもしれません。

彼はユダヤ人の親友モーリスの忠告にも真剣に耳を傾けませんでした。先の戦争で苦楽を共にし、腹を割って話せる友だったというのに・・。この時は既にジョン自身が朱に交わるというか、ナチの考え方を無意識に受容してしまっていたのかもしれません。それでもモーリスに国外脱出のチケットを頼まれると何とかしようとしますが、失敗するとあっさり断ってしまいます。けれど、やがてユダヤ人に対する迫害が深刻さを増していくと、危険を冒してチケットを用立てるのですが・・・

真実を見抜く目を持っていなかったこと、自分の幸せに目が曇ってしまったこと、ジョンの行動を非難するのは簡単です。でも自分が同じ立場でもきっとNO!と言う勇気も強さも持てなかったでしょう。だからといって彼を肯定するわけではありませんが。

ジョンが「あの夜」の真実を知ったのは数年後です。党本部の整然とした情報管理室で得た驚愕の真実が彼を打ちのめします。この管理室の恐ろしく整った情報が与える無機質さと、収容所の無残な現実の落差に震えが走ります。この地に来て初めて、ジョンは自分が何をしてしまったのか、何に手を貸してしまったのかを思い知るのです。

ジョンの良心の呵責を比喩しているような彼にしか聞こえない音楽(歌)がラストで一段と重みを増します。呆然と立ち尽くすジョンに、生涯を後悔と良心の呵責に囚われて生きる姿が重なりました。ヴィゴ、さすがの演技力です

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鉄の骨

2012年08月05日 | 
池井戸 潤 (著) 講談社(出版)

中堅ゼネコン一松組の建設現場で働く入社三年目の富島平太は、ある日突然本社の業務課へ転勤を命じられる。そこは談合課と呼ばれる尾形専務直属の課で、平太の異動は専務直々の推薦だった。何もわからないながらも業務課の先輩西田の指導の下、働き始めた平太だが、転勤をきっかけに恋人の銀行員、野村萌との関係もにもひびが入っていく。
一方、尾形に誘われて出かけた競馬場で、天皇の異名を持つ談合のフィクサー、三橋萬造と出会い、彼に気に入られた平太は、大型地下鉄工事の落札を巡り調整役の三橋との連絡役を務めることになるが・・・。


物語の主人公である平太は、入社まだ三年目の青臭い新人です。彼は現場での仕事が何より楽しくやりがいがあると感じていたのですが、突然畑違いの談合課へ転勤となるのです。
真面目で正義感の強い平太によって、裏の汚れ仕事である談合は受け入れることの出来ない性質の仕事ですが、いかんせんサラリーマンに過ぎない身の上では嫌と言えるわけもなく、渋々ながら正当化し折り合いをつけようとします。

平太が引き抜かれたのは、フィクサーである三橋と同郷であることが理由のようです。物語が進んでいくと、実は三橋と平太の母が幼馴染であることも判明するのですが、そこまで尾形が調べていて彼を使ったとは考えにくいな書き込みが足りないとも言える?

三橋の屋敷での茶会に呼ばれた平太が居合わせた大手ゼネコンの重役たちに持った印象はそのまま読者が彼らに感じるだろう思いと同一だと思います。逆に三橋や尾形に対する平太の畏怖の念もまた然りです。

業務課の面々(小心で青白い顔の兼松課長やお調子者の西田係長)は、普段はパッとしないのですが、その実凄い切れ者揃いだということがわかってきます。特に西田の起死回生のアイディアは、業界の技術的なことはわからないけれど、でした。

平太と恋人の萌の関係も双方向から書かれます。恋人の心変わりの理由がわからず戸惑うだけの平太が少し幼く感じられました。社会人の先輩であり、自分の知らない知識や世界を教えてくれる園田に惹かれて行くのも、逆に園田の欠落している資質に醒めていく萌の気持ちも同じ女性として理解できます。それにしても男性ってどんなエリートでも女性が絡むとガキっぽい嫉妬の虜になっちゃうのね園田の母が素敵な女性で、萌は彼女から大きく背中を押してもらうことになるのですが、この選択はですね。

大型公共工事を巡る談合話は当然東京地検の知れるところとなるのですが、彼らの狙いはゼネコンより談合を仕切る大物政治家城山の裏金を暴き彼を挙げることにありました。その糸口は実はかなり初めの方でさりげなく読者に示されているのですが、これはある種の趣味に通じている人なら比較的簡単に推測できるかも

それにしても建設業界の内情はこれほどまでに切迫してるのかしらん?
入札前夜の出来事とその描写に何だか哀れを通り越して情けない気持ちになります。

そして入札当日の嵐が収まった後・・・得をしたのは・・
わかってみれば、なるほど、だからかぁ!!と納得です
作者は旧態已然とした体質に風穴を開けたい、活を入れたいという思いがあるのかな。

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ルルドの泉で

2012年08月04日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)
2011年12月23日公開 フランス=オーストリア=ドイツ

不治の病により、長年、車椅子生活を送ってきたクリスティーヌ(シルヴィー・テステュー)は、奇蹟の水が湧き出ることで有名な聖地ルルドへのツアーに参加する。そこには、病を抱えた人や、家族を亡くして孤独な老人、観光目的の主婦たちなど、奇蹟を求めて様々な人たちが参加していた。そんな中、別段熱心な信者でもなかったクリスティーヌに奇蹟が起こる。立って歩けるようになったのだ。オシャレをして意中の男性とも急接近し、“普通の女性”としての喜びを実感する彼女だったが、その出来事は、周りの人々の羨望や嫉妬といった様々な感情を引き起こすこととなる…。(オフィシャルサイトより)


ルルドの泉とはカトリック教会が認めた聖母マリアの奇跡の起こる泉として世界中から信者・巡礼者の集まる場所ということです。日本だったら四国の霊場みたいなものかしらん?巡礼者の聖地であると同時に観光地でもあるので、立派な大聖堂の前ではツアー客たちが記念写真を撮ったり、洞窟ツアーや沐浴コースなんてものもあるのにはびっくり

クリスティーヌは多発性硬化症という難病に侵されていて四肢の麻痺があります。彼女の楽しみは聖地巡礼のツアーに参加する事ですが、取り立てて信仰心が篤いわけではなさそうに見えます。若い女性ですから、ボランティア(マルタ騎士団)の青年に好意も抱きます。彼女の世話役のボランティアはマリア(レア・セドゥ)という同年代の女の子ですが、彼女も自分の義務より青春を謳歌することの方がより大事なようです。

一方、ボランティアのリーダーのセシル(エリナ・レーヴェンソン)は自らも致死の病を抱えながら熱心にツアー参加者の世話を焼いています。篤き信仰心故の行動ですが、同時に他者の面倒を看ることで自らの徳を積み、神の恩寵を受けたいという気持ちもあったのかとも思えました。

クリスティーヌの手足の麻痺が解け、車椅子から立ち上がり杖をついて歩けるまでになると、周囲は奇跡と呼び喜び神を讃えます。彼女自身も喜びを隠そうともせず、女の子らしく髪や服装に気を使い、華やいで異性に接近もします。しかし、「何故彼女が?」という疑問もまた自他共に沸き起こってくるのです。彼女が熱心なカトリック教徒だったり、瀕死の重傷者だったらまた違っていたかもしれませんが・・・。奇跡は平等に起こるものではないとはいえ、自らがその恩恵にあずかれないとしたら、嫉妬心は当然持つのではないでしょうか。人間だもの

彼女の患っている病気は再発と寛解を繰り返すという特徴があることが医師の口から語られているので、ダンスの途中でくず折れたクリスティーヌの姿に、今回の出来事が奇跡なのか寛解なのかという判断は観る側に委ねられることとなります。
奇跡が起きたことが重要なのではなく、それによって変わる周囲の感情にこそ人間模様が透けてみえて興味深いということなのかな?
宗教問答には興味がないので、個人的にはもやもやが残る結末でした

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ダークナイト ライジング

2012年08月02日 | 映画(劇場鑑賞・新作、試写会)
2012年7月28日公開 アメリカ

『ダークナイト』から8年間後のゴッサム・シティーは、『デント法』の下、平和に酔いしれていた。ジョーカーとの死闘で最愛の女性を喪い、デントの罪を一身に引き受けて隠遁生活を送るバットマン/ブルース・ウェイン(クリスチャン・ベール))は、ヒーローとしてのアイデンティティーを失い心身共にボロボロとなっていた。しかし、凶悪なテロリスト、ベイン(トム・ハーディー)の出現によりゴッサムシティが再び危機にさらされた時、彼はキャットウーマン(アン・ハサウェイ)と共に立ち上がる・・・。

前作でダーティヒーローとして姿を消したバットマンことブルースは、屋敷で引きこもり生活を送っていました。彼の身を案じる執事のアルフレッドは、主人に普通の人間としての幸せを手に入れて欲しいと望んでいます。
しかし、デントの出現により、ブルースは再び戦うことを決意するのです。当然アルフレッドは心配します。自分が姿を消すことで思いとどまらせようとさえします。でも・・無駄だったんだなぁ

デントの前にブルースが出会ったのは謎の盗賊美女。彼女の狙いは真珠の首飾りではなく、ブルースの指紋採取でした。これが後に彼の破産の企みに使われるのです。元はブルースの商売敵であるダゲットの企みでしたが、その裏にベインの周到な計画があったのはいうまでもありません。

しかし、物語は更にどんでん返しが用意されています。本当の黒幕が暴かれるのは終盤。でも繰り返し登場する『奈落』脱出の子供の容姿端麗なことを考えれば、なるほどなぁと納得できちゃうのよねちなみに前作からの因縁のある相手の子供でしたそこにつながっていくのかぁぁわかった途端ベインへの印象が恐いから哀しいに変わってしまったよ

思えばブルースという男はこれまで女運がなかった気がします。
前作で愛した女性の心はデントにあり、今回もお相手が違うんじゃないの?とやきもきさせられます。 慈善家で環境問題に熱心なミランダ(マリオン・コティヤール)と心を通わせるのだけど・・・。
キャットウーマンとは出会いからとてもスリリングで刺激的ですが、二人の気持ちが通じ合ったのはゴッサムシティを守る戦いの時なんでしょうね

ともあれ、戦いのシーンは迫力、スピード感に溢れていて、やはりスクリーンで観るのが一番だね。バットモービルなどの乗り物も近未来感溢れるスタイリッシュな姿で目を楽しませてくれます。

もちろん、今作でもゴードン市警本部長(ゲーリー・オールドマン)は渋い魅力を振りまいてくれますし、若手刑事のジョン・ブレイク(ジョゼフ・ゴードン=レヴィット)の活躍もフレッシュででした。ブルースと同じ孤児という境遇にありながら、高潔さと不屈の精神を持つ彼はまさにバットマンの後継者となるべき運命の人ですね。
戦闘ツールの開発者のフォックス(モーガン・フリーマン)も健在でした。

ただ、沖合で核爆発させてシティが救われたという設定は、現実的には無理があり過ぎな気がします。普通見えるような場所でキノコ雲が確認されたら相当の被爆を覚悟しなければならないのでは??それで平和が戻ったなんてどの口が言うんだよ~~。まぁ、いかにもアメコミらしい収束の仕方ではありますが

結末がアルフレッドの「夢」の通りってのも・・・ま、ハッピーエンド好きな私としては許せるけど、これもいかにもハリウッド的楽天主義の成せる技ですかね。

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七夜物語(上)(下)

2012年08月01日 | 
川上弘美 (著) 朝日新聞出版

小学校四年生のさよは、母親と二人暮らし。離婚した父とは、以来、会っていない。ある日、町の図書館で『七夜物語』という不思議な本にふれ、物語世界に導かれたかように、同級生の仄田くんと共に『七夜物語』の世界へと迷い込んでゆく。大ネズミ・グリクレルとの出会い、眠りの誘惑、若かりし両親、うつくしいこどもたち、生まれたばかりのちびエンピツ、光と影との戦い……七つの夜をくぐりぬけた二人の冒険の行く先は?


2009年9月から2011年5月まで朝日新聞に連載された新聞小説です。連載を途中から読んだので、単行本となったと知って無性に読みたくなりました。連載時に載っていた酒井駒子さんの挿絵も入っていて嬉しかったのですが、ページ左下の小さなスペースなので、出来たらもっと大きくして欲しかったかなぁだって、この挿絵の子供たちがとっても可愛くて好きだったんだもの。

さよと同級生の仄田くんはどちらも片親家庭です。さよのお母さんは仕事で遅くなることもあり、寂しい思いを抱えながらも彼女は母を気遣い進んでお手伝いをしています。けれど本当は両親がもう一度仲良くしてくれないかなと願ってもいます。仄田くんはお母さんがいなくてお祖母さんに甘やかされて育ったせいで、クラスの中では少しばかり浮いた存在です。二人とも本が大好きですが、さよはファンタジー、仄田くんは「すべてシリーズ」と好みのジャンルは違ってます。

そんな二人が図書館で『七夜物語』という本と出会ったことで、冒険の扉が開かれます。
本を手に取った瞬間、体の中をびりびりとしたものが走り抜ける感覚を二人とも味わうのですが、それこそがこの冒険に出かける資格のある者のしるしでした。またこの本は、一旦閉じてしまうとそれまで読んだあらすじも登場人物も忘れてしまうけれど、また開くと普通に先を読み進めることができるという不思議な特徴がありました。

初めにこの本を読み始めたのはさよです。図書館好きな彼女のもう一つのお気に入りは、近所の高校を金網の外から観察することで、そこで定時制の南生と麦子という高校性と友達になり口笛を教えてもらいます。(この口笛の曲「いのちの歌」が彼らの危機を何度も救ってくれるのです。)それがきっかけで仄田くんと一緒に高校に出かけて理科室で不思議な世界に入り込んでしまうのです。そこには巨大なネズミそっくりの生きものがいましたが、さよにはそれが『七夜物語』に出てくるグリクレルだとわかってしまったのです。

この夜、二人はグリクレルからある課題を与えられます。濃いはちみついろのかたまりをしたミエルを口笛で追い払って、二人は無事に課題をこなしグリクレルの台所から帰ってきます。

さよは本のことを仄田くんに教えます。
次の夜の冒険では、心地よい館で眠りに囚われそうになります。二人は今まで目を背けていたものと向き合う勇気を試されますが、同じ場所に留まって惰眠を貪るより、辛くても前に進もうとする方がずっと良いのだと二人は気付きます。

その次の夜の冒険は、二人別々です。
さよは若い日の両親に出会いますが、二人の間に交わされる親密な空気に疎外感を抱き反発します。それは現実の世界で母が父以外の男性と仲良くなるかもしれない不安が作用したのでしょうか?それとも・・・。仄田くんは気づかないふりをしていた自分の心にある願望と向き合います。勉強もスポーツも出来るクラスの人気者という立場に立った彼は、クラスメートの野村君に酷いことをしてしまうのです。けれど、そんな傲慢な自分に腹が立って後悔します。二人とも今の自分への不満を自覚し、変わることを決意するのです。

こうして、現実と『七夜物語』の世界を行ったり来たりしながら、二人は冒険を続けます。

五つめの夜には、しゃべるエンピツや黒板と出会い、自分たちがモノたちより優れているのか?好きと嫌い、愛すると憎むはどう違うのか?との難題を突き付けられます。モノに命を与えて現実世界を夜の世界に引きこもうとするウバたちを、グリクレルに貰った懐中電灯で消そうとした二人ですが、彼らを消し去ることに迷いが生じて実行できませんでした。これまでは、自分の中の問題でしたが、今度は世界と自分の関わりに広がったのです。

最後から二番目の夜には、グリクレルの台所で「さくらんぼのクラフティー」を作り、今まで出会った夜の世界の住人たちと素敵なお茶会をします。どうやらパイの一種のようだけど、読んでいるだけでも美味しそうなのよね皆で一つのものを分けあい一つの曲を奏でた夜の安らかさ・楽しさ・喜ばしさの記憶は、読む者の中にもしっかり受け継がれていく気がします。

そして最後の夜。
二人は不思議な子供たちに出会います。美しい外見を持つけれど心が伴わない光の子どもたちと、寒そうでみすぼらしいけれど、心の温かな影の子どもたち。元は一つだったこの子どもたちのためにも二人は夜の世界の乱れを正さなければならないのです。太古の昔から生きているというマンタ・レイに導かれて最後の戦いを迎えた二人の前に現れたのは、彼らにそっくりな光と影の子たち。倒すことを躊躇う二人は傷つき倒れてしまいます。二人の前に今まで知り合った夜の世界の住人たちがお別れにやってきては消えて行き・・でも最後にやってきたチビエンピツは消えることを拒むの。
そんなチビちゃんが真っ二つにされた時、二人が感じた憤りと悲しみが、この冒険を終わらせたのでした。

もちろん、彼らは大人になり、冒険の記憶は失くしています。仄田くんは地球物理学者になり、さよはこどもの物語の作者です。けれど、クラス会で再開した時にさよが感じた懐かしさは、きっと仄田くんも同じように感じていたことでしょう。

この物語はずっとずっと前から何人もの「さよ」と「仄田くん」に読み継がれ、その数だけ夜の世界の冒険があったのです。その中には南生と麦子もいました。もしかしたらさよの両親もいたかもしれません。きっといたのだと私は思っています

子供には難し過ぎるような問いかけが次々と出てきますが、案外子供たちの方が物事の本質を直感で言い当ててしまうのかもしれませんね。本が大好きだった昔子供だったアナタにもお薦めします。

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家族の庭

2012年08月01日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)
2011年11月5日公開 イギリス 129分

地質学者のトム(ジム・ブロードベント)と、心理カウンセラーのジェリー(ルース・シーン)は誰もがうらやむおしどり夫婦だ。彼らは30歳になる弁護士のジョー(オリヴァー・モルトマン)にも恵まれ、私生活は非常に充実していた。ある晩、ジェリーは同僚メアリー( レスリー・マンヴィル)を夕食に招待するが、彼女は酔ってしまい自分には男運がないと愚痴っていて……。 (goo映画より)

冒頭、ジェリーの元にイメルダ・スタウントン演じる不眠症の患者がやってきます。でも彼女の出番はここだけで、単なる脇役というより通りすがりのエピソードの一つでしかなかったのがちょっと肩透かし。「ハリー・ポッター」のドローレス・アンブリッジ 役とは正反対の内向的で地味なキャラでした。

さて、物語はある一家の一年を描いています。春・夏・秋・冬の章に分けられていて、トムとジェリー(有名な漫画を連想させる組み合わせですね)夫婦の元に集う友人たちとの交流が淡々と描かれます。この夫婦は共に健康で仲が良く、二人で台所に立って料理を楽しみ、市民菜園を借りて野菜も作っています。庭付きの家を持ち、友人を招いての食事会もします。絵に描いたような理想の夫婦です。そんな彼らの元に集うのは、赤ちゃんに恵まれた職場の医師や30歳で未だ独身だけど素直に育った息子(彼は後に作業療法士のケィティ(カリーナ・フェルナンデス)とバーで知り合い意気投合して恋人関係になります)・・・だけじゃなく、喫煙し酒を飲む人生に不満をしこたま抱え込んだ友人たちです。この対比が何とも・・・。彼らがこの夫婦の家に集うのは、信頼関係で結ばれたこの夫婦の家が彼らの憩える港のような存在だからなのかしら?

目が行ってしまうのは独身を謳歌する年齢を過ぎたことに気付き、孤独なまま老いを迎えることに不安を感じてもがいているメアリーです。若い頃は異性にもてはやされ、それなりに楽しい思いもしてきたのでしょうけれど、今や隣に寄り添う人もない孤独な身を酒と煙草で紛らせているの。毎度ジェリーの円満で幸福そうな生活を見せつけられては落ち込んで帰るのに、それでも行くのを止められないメアリーの孤独が、物語が進むにつれて浮き上がってきました。

メアリーはジェリーを心の拠り所として頼っているようだけど、騙されて中古のポンコツ車を買わされたり、ジェリーの息子に色目を使ったり、おバカな振舞いばかりのメアリーのことをジェリーは友人として遇してはいるけれど、心許しているようには見えなかったなぁ。
最後は自分以外のカウンセラーの助けを求めるよう言いさえするんだものね。
まぁ、息子に言い寄られた時点でメアリーに失望するのはわかるんですけどね

ちなみにジョーはメアリーにはこれっぽっちも恋愛感情なんかないんですね。そりゃ母親くらいの年齢の叔母さんみたいな女性に迫られてもねぇ若づくりしたメアリーが「私いくつに見える?」と聞いた時「さぁ・・・60?70?」と答えるジョー。これは傷つくねぇこの会話だけでも彼にその気がないことは丸見えなのに、そういうことに気付かないメアリーのおバカさが、彼女のこれまでの人生を物語ってもいるようでした。

トムの幼馴染のケン( ピーター・ワイト)も寂しい独身男です。太った汗っかきの大酒飲みで、過ぎた昔を懐かしんでばかりで現在を受け入れようとしないの。メアリーに好意を持ってアプローチしようとしますが、彼女にけんもほろろにつき放されてしまいます。客観的には似た者同士なんだけど・・だからメアリーは外見への生理的嫌悪感の他に、傷口を舐めるようで嫌悪感があったのかな。

トムの兄のロニー(デヴィッド・ブラッドリー)も、妻を亡くし一人息子とは疎遠な老人です。夫妻の留守中突然訪れたメアリーの相手をしますが、メアリーはロニーに対しては好意的です。その日はジョーが彼女を伴って来る日で、6人は食卓を囲みますが、家族の話で盛り上がる中、所在無げなロニーとメアリーの視線が絡みあったところで物語は終わってしまいます。そこにあるのは幸福な一家族の団欒とその輪の外にいる孤独な男女の図。ハッピーエンドでもなく、かといって特別不幸なわけでもない、何とも宙ぶらりんな終わり方ですが、受け取る側の感じ方次第ってことかな。

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