2012年1月1日公開 イギリス
ヒトラーの台頭する1930年代のドイツ。ベルリンの大学の文学教授ジョン・ハルダー(ヴィゴ・モーテンセン)は、介護が必要な母(ジェマ・ジョーンズ)とそのせいでノイローゼ気味な妻のヘレン(アナスタシア・ヒル)に挟まれ、2人の子供たちの世話に追われる生活を送っていた。1937年4月、総統官邸に呼び出されたジョンは検閲委員長ボウラー(マーク・ストロング)から意外な申し出を受ける。彼が以前書いた不治の病に侵された妻を夫が安楽死させる内容の小説をヒトラーが気に入り、「人道的な死」をテーマにした論文を書くことになったジョンは、親衛隊少佐フレディ(スティーヴン・マッキントッシュ)に執拗に勧められたこともあり入党を決意する。母親をブランデンブルクの実家に帰し、ヘレンと別居。愛人の元教え子のアン(ジョディ・ウィッテカー)と暮らし始めたジョンは、学部長に昇進を果たすが、親友のユダヤ人精神分析医モーリス(ジェイソン・アイザックス)とは、入党を機に仲違いをする。1938年10月、アンと再婚し、親衛隊大尉になったジョンは、ベルリンで起きた反ユダヤの暴動にモーリスが巻き込まれることを案じ、パリ行きの切符を都合し、留守を預かるアンにそれを託すが、彼は現れず、消息は途絶えてしまう。1942年4月、親衛隊の幹部としてユダヤ人強制収容所の情報収集を命じられたジョンは、モーリスの消息を追い、あの夜何が起きたかを知り・・・。
題名である「善き人」の意味は一つではないですね
主人公のジョンは、妻と母の間でオロオロし、教え子からの誘惑を跳ね返すほど強くもなく、権力者の意向に逆らうことも出来ず、親友を気に掛けながらも積極的に守ることもしない、言ってみればごくごく普通の市井の人です。ただ一点、彼の書いた本の内容がヒトラーにとってユダヤ人迫害の正当な理由づけにぴったりだったということを除いては。
しかも、そのことにジョンが気づくのはずっと後、もう後戻りできない状況になってからなのです。
ジョンは家族のため、自分のために、ナチの要請を受け入れます。もちろんその結果として得られた贅沢に心浮き立つこともあったはずです。ストレスの元である家庭から逃げ出し、美しい愛人と再婚、党の中で名誉ある地位を与えられ、職場での出世も果たします。遅くやってきた人生バラ色の時期です。それでも母や元妻への気遣いも見せるあたりは彼なりに良心が咎めているからでしょう。浮気をされた元妻が彼を恨まず、それまでの彼を労わるような言動をするのも、ジョンが決してエゴイストではなかった証拠かもしれません。
彼はユダヤ人の親友モーリスの忠告にも真剣に耳を傾けませんでした。先の戦争で苦楽を共にし、腹を割って話せる友だったというのに・・。この時は既にジョン自身が朱に交わるというか、ナチの考え方を無意識に受容してしまっていたのかもしれません。それでもモーリスに国外脱出のチケットを頼まれると何とかしようとしますが、失敗するとあっさり断ってしまいます。けれど、やがてユダヤ人に対する迫害が深刻さを増していくと、危険を冒してチケットを用立てるのですが・・・
真実を見抜く目を持っていなかったこと、自分の幸せに目が曇ってしまったこと、ジョンの行動を非難するのは簡単です。でも自分が同じ立場でもきっとNO!と言う勇気も強さも持てなかったでしょう。だからといって彼を肯定するわけではありませんが。
ジョンが「あの夜」の真実を知ったのは数年後です。党本部の整然とした情報管理室で得た驚愕の真実が彼を打ちのめします。この管理室の恐ろしく整った情報が与える無機質さと、収容所の無残な現実の落差に震えが走ります。この地に来て初めて、ジョンは自分が何をしてしまったのか、何に手を貸してしまったのかを思い知るのです。
ジョンの良心の呵責を比喩しているような彼にしか聞こえない音楽(歌)がラストで一段と重みを増します。呆然と立ち尽くすジョンに、生涯を後悔と良心の呵責に囚われて生きる姿が重なりました。ヴィゴ、さすがの演技力です
ヒトラーの台頭する1930年代のドイツ。ベルリンの大学の文学教授ジョン・ハルダー(ヴィゴ・モーテンセン)は、介護が必要な母(ジェマ・ジョーンズ)とそのせいでノイローゼ気味な妻のヘレン(アナスタシア・ヒル)に挟まれ、2人の子供たちの世話に追われる生活を送っていた。1937年4月、総統官邸に呼び出されたジョンは検閲委員長ボウラー(マーク・ストロング)から意外な申し出を受ける。彼が以前書いた不治の病に侵された妻を夫が安楽死させる内容の小説をヒトラーが気に入り、「人道的な死」をテーマにした論文を書くことになったジョンは、親衛隊少佐フレディ(スティーヴン・マッキントッシュ)に執拗に勧められたこともあり入党を決意する。母親をブランデンブルクの実家に帰し、ヘレンと別居。愛人の元教え子のアン(ジョディ・ウィッテカー)と暮らし始めたジョンは、学部長に昇進を果たすが、親友のユダヤ人精神分析医モーリス(ジェイソン・アイザックス)とは、入党を機に仲違いをする。1938年10月、アンと再婚し、親衛隊大尉になったジョンは、ベルリンで起きた反ユダヤの暴動にモーリスが巻き込まれることを案じ、パリ行きの切符を都合し、留守を預かるアンにそれを託すが、彼は現れず、消息は途絶えてしまう。1942年4月、親衛隊の幹部としてユダヤ人強制収容所の情報収集を命じられたジョンは、モーリスの消息を追い、あの夜何が起きたかを知り・・・。
題名である「善き人」の意味は一つではないですね

主人公のジョンは、妻と母の間でオロオロし、教え子からの誘惑を跳ね返すほど強くもなく、権力者の意向に逆らうことも出来ず、親友を気に掛けながらも積極的に守ることもしない、言ってみればごくごく普通の市井の人です。ただ一点、彼の書いた本の内容がヒトラーにとってユダヤ人迫害の正当な理由づけにぴったりだったということを除いては。
しかも、そのことにジョンが気づくのはずっと後、もう後戻りできない状況になってからなのです。

ジョンは家族のため、自分のために、ナチの要請を受け入れます。もちろんその結果として得られた贅沢に心浮き立つこともあったはずです。ストレスの元である家庭から逃げ出し、美しい愛人と再婚、党の中で名誉ある地位を与えられ、職場での出世も果たします。遅くやってきた人生バラ色の時期です。それでも母や元妻への気遣いも見せるあたりは彼なりに良心が咎めているからでしょう。浮気をされた元妻が彼を恨まず、それまでの彼を労わるような言動をするのも、ジョンが決してエゴイストではなかった証拠かもしれません。
彼はユダヤ人の親友モーリスの忠告にも真剣に耳を傾けませんでした。先の戦争で苦楽を共にし、腹を割って話せる友だったというのに・・。この時は既にジョン自身が朱に交わるというか、ナチの考え方を無意識に受容してしまっていたのかもしれません。それでもモーリスに国外脱出のチケットを頼まれると何とかしようとしますが、失敗するとあっさり断ってしまいます。けれど、やがてユダヤ人に対する迫害が深刻さを増していくと、危険を冒してチケットを用立てるのですが・・・
真実を見抜く目を持っていなかったこと、自分の幸せに目が曇ってしまったこと、ジョンの行動を非難するのは簡単です。でも自分が同じ立場でもきっとNO!と言う勇気も強さも持てなかったでしょう。だからといって彼を肯定するわけではありませんが。
ジョンが「あの夜」の真実を知ったのは数年後です。党本部の整然とした情報管理室で得た驚愕の真実が彼を打ちのめします。この管理室の恐ろしく整った情報が与える無機質さと、収容所の無残な現実の落差に震えが走ります。この地に来て初めて、ジョンは自分が何をしてしまったのか、何に手を貸してしまったのかを思い知るのです。
ジョンの良心の呵責を比喩しているような彼にしか聞こえない音楽(歌)がラストで一段と重みを増します。呆然と立ち尽くすジョンに、生涯を後悔と良心の呵責に囚われて生きる姿が重なりました。ヴィゴ、さすがの演技力です
