少し前に コロナ鬱という病名を聞いたことがあったので もしや私の この症状は? と思い コロナ鬱をググって見た
てっきり精神的な病気だと思っていたら 実際に発熱や喉の痛みが現れるとあったので ホッと一安心
肉体的な症状なら薬で抑えられても 精神的なものだとしたら 私は回復できる自信が無いのだ
ここのところは免疫力アップを心掛けて たっぷりの睡眠時間をとっているし 食欲もあるけれど なんとなく活力が失せ気味なのはコロナ鬱なのかな と思ったんだけど ね
なんとなくの脱力感で 書くことにも意欲が欠ける今日このごろ
めぐみさんのお父様が亡くなったというニュースには 「会えないままに とうとう・・・」 という思いで胸が詰まり言葉が無かった私であるが
このニュースを知ったときに おそらく大多数の人が 同じように思ったでしょうことが 見事に纏められた文面を拝見した
著者の優しさが溢れる綴りの文字を追うにつれて そうそう そうですね 私もそう思う という共感に 著者の文章力への敬服が重なる
こんなに優しい人なのに ・・・
なぜ ?
他人の傷みに接して こんなに思いを寄せることが出来る貴女なのに
ブログの読者から批判されるのは ハイレベルな生活への嫉妬だと分析なさるかたも居られたけれど 私には ときおり拝見する食卓やら タイマーを巧みに利用した計画性のあるお暮らしぶりは 主婦として賞賛されるライフスタイルと お見受けする
ご家族に恵まれ 老いに向かって 不安のカケラもなく豊かな日々を送っていらっしゃるようにも思えるのに
なぜ?
そんな自覚は全くない私が 何度も訴えているのに 分かろうともしないで私から逃げ回るのか
めぐみさんの お父様の無念さとは比べ物にならないけれど 私は 「他人の体調を壊させるような誹謗中傷をしたという冤罪」 を消すことが出来ないままで この世から去りたくない
このブログのブログ主が 他人を誹謗中傷したという疑惑
私には 「誹謗中傷」 という単語すら 安易に口に出せないほど 恐れる行為である
私が予感した 「(麦の)中傷が原因による2年間の体調不良」 という公開記事が発端となって 私には無記名の抗議コメントにより嘔吐と吐き気に見舞われたという 古い経験が蘇った
このところの コロナ鬱という病気に罹ったかな と思うような脱力感に見舞われて書く気にならないでいたとき 「書かずにはいられない」 という衝動に駆られて 今日 書く気になったのは 無記名が明らかになった抗議コメント主のブログの文面に目を奪われたから ・・・
少し前に そのブログを拝読した時 「書き込まれたコメントは姉に伝えれば良い事なので削除します」 と述べられて コメントの公開が事前承認制となっていた
コピーではないので 正しい文章かは分からないけど その説明書きは 私の見間違いでなければ 今は削除されている
他人のブログの取り組み方に 他人の私が とやかく言うことでは無いけれど
今日は 「おねえさま」 へ向けた内容のコメントなのにもかかわらず 妹さんのブログに表示されている
おねえさま宛てなら 「おねえさまへ伝えれば済む事」 だから削除されるはずなのに そのまま表示され 妹さんの好意的な返信も書き込まれて公開されているのだ
「おねえさまへ伝えれば済む事」 という理由では同等のコメントが 一方は表示され 一方が削除されたことの食い違い
削除するのはブログ主の自由かもしれないけれど 一方が公開されている現状を拝見する限り 一方のコメントを削除した真の理由は 「姉に伝えれば済む事だから」 ではないということになる
このような嘘が コメント欄を設けなかったり コメントの承認制という方法で操作され まかり通る世界
私がブログを始めたのは 正直者がバカを見る社会で 嘘つきに惑わされて生きているのが嫌になったからだった
しかし 健康な身体と正常な精神では 地球から消えることも出来ず 神様に 『明日も生きていたいのに 今日 死んでいく人と 私とを代わらせてください』 と祈りながら 世間から逃げるようにネットの世界へ飛び込んだ
事実が証明できないことを事実のように公開してコメント欄を閉じたり コメントの公開を承認制にして コメント欄までも嘘で作り上げるネットの世界
ここも社会の縮図だった
てっきり精神的な病気だと思っていたら 実際に発熱や喉の痛みが現れるとあったので ホッと一安心
肉体的な症状なら薬で抑えられても 精神的なものだとしたら 私は回復できる自信が無いのだ
ここのところは免疫力アップを心掛けて たっぷりの睡眠時間をとっているし 食欲もあるけれど なんとなく活力が失せ気味なのはコロナ鬱なのかな と思ったんだけど ね
まだ いまほどコロナ禍が厳しくなかったころに蒔いた コリアンダーに花
パクチ―と言われる香菜は 大好き! と 絶対ムリ! の 両極端に別れる独特の香り
料理に使える時期が短いから 花を見ることも楽しみに種を蒔く
浅春に 雑草の中からコボレダネの芽を見つけては胸弾む ハーブである
パクチ―と言われる香菜は 大好き! と 絶対ムリ! の 両極端に別れる独特の香り
料理に使える時期が短いから 花を見ることも楽しみに種を蒔く
浅春に 雑草の中からコボレダネの芽を見つけては胸弾む ハーブである
なんとなくの脱力感で 書くことにも意欲が欠ける今日このごろ
めぐみさんのお父様が亡くなったというニュースには 「会えないままに とうとう・・・」 という思いで胸が詰まり言葉が無かった私であるが
このニュースを知ったときに おそらく大多数の人が 同じように思ったでしょうことが 見事に纏められた文面を拝見した
著者の優しさが溢れる綴りの文字を追うにつれて そうそう そうですね 私もそう思う という共感に 著者の文章力への敬服が重なる
こんなに優しい人なのに ・・・
なぜ ?
他人の傷みに接して こんなに思いを寄せることが出来る貴女なのに
ブログの読者から批判されるのは ハイレベルな生活への嫉妬だと分析なさるかたも居られたけれど 私には ときおり拝見する食卓やら タイマーを巧みに利用した計画性のあるお暮らしぶりは 主婦として賞賛されるライフスタイルと お見受けする
ご家族に恵まれ 老いに向かって 不安のカケラもなく豊かな日々を送っていらっしゃるようにも思えるのに
なぜ?
そんな自覚は全くない私が 何度も訴えているのに 分かろうともしないで私から逃げ回るのか
めぐみさんの お父様の無念さとは比べ物にならないけれど 私は 「他人の体調を壊させるような誹謗中傷をしたという冤罪」 を消すことが出来ないままで この世から去りたくない
パクチーを存分に
スワンラータンもどき
スワンラータンもどき
このブログのブログ主が 他人を誹謗中傷したという疑惑
私には 「誹謗中傷」 という単語すら 安易に口に出せないほど 恐れる行為である
私が予感した 「(麦の)中傷が原因による2年間の体調不良」 という公開記事が発端となって 私には無記名の抗議コメントにより嘔吐と吐き気に見舞われたという 古い経験が蘇った
このところの コロナ鬱という病気に罹ったかな と思うような脱力感に見舞われて書く気にならないでいたとき 「書かずにはいられない」 という衝動に駆られて 今日 書く気になったのは 無記名が明らかになった抗議コメント主のブログの文面に目を奪われたから ・・・
少し前に そのブログを拝読した時 「書き込まれたコメントは姉に伝えれば良い事なので削除します」 と述べられて コメントの公開が事前承認制となっていた
コピーではないので 正しい文章かは分からないけど その説明書きは 私の見間違いでなければ 今は削除されている
他人のブログの取り組み方に 他人の私が とやかく言うことでは無いけれど
今日は 「おねえさま」 へ向けた内容のコメントなのにもかかわらず 妹さんのブログに表示されている
おねえさま宛てなら 「おねえさまへ伝えれば済む事」 だから削除されるはずなのに そのまま表示され 妹さんの好意的な返信も書き込まれて公開されているのだ
「おねえさまへ伝えれば済む事」 という理由では同等のコメントが 一方は表示され 一方が削除されたことの食い違い
削除するのはブログ主の自由かもしれないけれど 一方が公開されている現状を拝見する限り 一方のコメントを削除した真の理由は 「姉に伝えれば済む事だから」 ではないということになる
このような嘘が コメント欄を設けなかったり コメントの承認制という方法で操作され まかり通る世界
私がブログを始めたのは 正直者がバカを見る社会で 嘘つきに惑わされて生きているのが嫌になったからだった
しかし 健康な身体と正常な精神では 地球から消えることも出来ず 神様に 『明日も生きていたいのに 今日 死んでいく人と 私とを代わらせてください』 と祈りながら 世間から逃げるようにネットの世界へ飛び込んだ
事実が証明できないことを事実のように公開してコメント欄を閉じたり コメントの公開を承認制にして コメント欄までも嘘で作り上げるネットの世界
ここも社会の縮図だった