宇宙へのツイッター

踏まれた足を退けることが出来るまで
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なんか変

2020-06-06 12:22:05 | 日記
母が花好きだったから 私が育った家の庭には 季節の移り変わりに沿って花が咲いていた
その中の 私が大人になってから名前を知ったアガパンサスは 名前を知らなかっただけで見慣れた花だから 花を育てる楽しみを覚えてからも 取り立てて興味を持つことはなかった花である

ところが あれは一昨年の秋だったか 出かけたついでに立ち寄った郊外のホームセンターで アガパンサスには違いないけれど ネームプレートの どこかアガパンサスとは違う画像が気になり 花が終わって処分価格となっていた子を連れて帰った

どこが? と言われれば 集まって咲く小花の数が多いのか 集まり方が雑と言うか なにか秘密のある品種のような気がしたのだ

好みで言うと さほど魅かれることはなく どこでも見られるアガパンサスとは違うというだけの興味だったので あまり手をかけなかったせいか 去年は咲かずじまい

家康よりも信長が好きではあるけれど 咲かぬなら咲くまで待つ気で生かしておいて 再び訪れた今年の花期

ようこそ~!





こんな喜びがあるから やめられない 


ネット上で中傷されたタレントさんが自ら命を絶つという報道があって何日か経過した今も 「ネット上の中傷」 に関するニュースが続いている

いつも 日中は 聞いても聞いてなくても点いているラジオから 新型コロナウイルスの情報に交じって流れたのは 中傷した側の発信元を特定するための対策を進めるというニュースだった

加害者である中傷した側を特定する対策とは 中傷された被害者側を守るための対策であることは 言うまでもない
それなのに 
誹謗中傷した加害者となっている私は逃げも隠れもしないで ここにいて 私に中傷された被害者だと言い続けている人は 「中傷されたという思いは変わらない」 と言いながらも 「このことは忘れましょう」 と言い残して去ることの繰り返し 


5月のある日 「体調・・・」 について述べられるらしいタイトルを目にして もしや? という不安により注目していたところ やはり そのタイトルで綴られた三日目に 私の危惧したことが現実となった

5月23日に公開された その文面を 胸の動悸を抑えながら熟読して 「もうブログなんか辞めよう」 という思いと 「こんなことに負けてはいけない」 という意地のような思いが交差する私の本音はどこにあるのか 自分でも分からない


私は 私自身に自覚のない誹謗中傷の加害者として ここ数年の間 惑わされている

私に中傷されたと譲らない被害者は ときに その辛さを公開しながらも 日常の出来事や日々の思いを閲覧者に向けて公開する様子からは 中傷された事への苦痛があるとは思えず 揚々とブログライフを楽しんでいように伺える

むしろ 加害者とされた私の方が 命を絶とうと考えるほどのことは無いにしても そのつど 「中傷の加害者」としての視線を感じながら 憂いを伴ったブログライフを送っているのだ 
  
弱い立場の被害者を守るための 加害者を特定するために講じた策ならば 加害者とされた私は逃げも隠れもしないで ここにいる私であることを知って欲しい


数年前の事
私が書いたことを正確に読み取れず ネット上で私が他人を傷つけた という 無記名の抗議コメントに怯えた私は 吐き気と嘔吐に苦しむということがあった

他人に成りすました辛口のコメントは 相手の読み間違いだったことから 謝罪の追加コメントがあって 終わった

そのコメントの文面から 私は 過去に関わったことのある人のコメントと一致するものを感じ取り コメント主を特定する行動に出て 他人に成りすました人物を突き止めた
後に このことに触れることがあったとき 相手からの 「謝ったのに これ以上 土下座でもしろと・・・」と 開き直りとも思える言葉に 唖然としたものだった 
 
成りすましを見抜かれた その人は 「(麦の)執念が恐ろしくてブログを続けられなくなった」 という意味の言葉を残してブログを閉じたけれど さほど間を置かず新しいブログを立ち上げ やはり 何事もなかったようなブログライフを楽しんでいるように察せられる



法的に守られるはずの被害者が 「麦に中傷されました」 と 言いっぱなしで逃げるのは 変


春蒔きの種が ビスカリア・ブルーエンジェルを筆頭に次々と開花中

1年草のカスミソウ




ミックスのマリーゴールドから咲いた名無しの珍色



そろそろウェルカムフラワーに昇格ですね

季節外れのコスモス・ピコティ



切戻して秋まで咲かせ続けられるかな