負の言葉は 日常の会話でも ブログでも できるだけ使わないよう心がけている
誹謗中傷 など その最たるもの
その私が 誹謗中傷の加害者と拡散されて 久しい
私のブログを特定し [このブログ主に誹謗中傷された] とする発言には
[このブログを見つけて戦慄が走った] とあった
文字を目にしただけで身震いがする 戦慄という漢字の成り立ち
私が 使いたくない言葉の中の一つである
その誹謗中傷の被害者と言い続けている その人
その人が綴る日本語に驚かされることは たびたびあった
発端となった [愚者の戯言] で 泣く子と地頭には勝てぬ と思い知らされ ご縁を切った
そのはずの人が
[私は このブログ主に誹謗中傷された]として 再び関わり合うことになった
けれど
[愚者の戯言]と同様に 同じ土俵で話せる人ではないと再認識したその人
その人の今日の綴りで 戦慄を覚えた
恐らくこの記事以外、誹謗中傷に触れた記事は、渦中にいた時以外、長年にわたって私はほとんど書いていないと思います。
よく平気で普通の記事が書けると度々非難された程ですから
遡って調べたわけではないので、記憶違いだったらごめんなさい。
心は元気でも、体は正直で、ストレスを抱えていると体に異変となっていろいろ現れます。
両親を介護している時、ネットの揉め事の時に、このことを実感しました。
私には余りに印象的な出来事でしたので、この話をするときに、触れたことがあると思います。
昨日と 違う
遡って調べたわけではないので、記憶違いだったらごめんなさい。
これは 昨日は無かった
長年にわたって私はほとんど書いていないと思います。
これが まぎれもなく嘘であることが 昨日の 私の記述によって証明されたから
心は元気でも、体は正直で、ストレスを抱えていると体に異変となっていろいろ現れます。
両親を介護している時、ネットの揉め事の時に、このことを実感しました。
私には余りに印象的な出来事でしたので、この話をするときに、触れたことがあると思います。
これが追加されたのだ
それを知って
背中に 氷水が流れた ような
これを 体中に戦慄が走った というのだと思う
キーを叩く腕に 鳥肌が立っている
公開のブログを書く上で 私が守っていることの中に
一度 公開した文面を あとになって 削除 訂正をしないこと というのがある
もしも 削除なり 訂正を必要とするときは
削除する文面を表示した上で [この文面を削除しました] と加筆する
訂正する場合は 訂正した個所と その理由を述べる
一度 公開された事柄は そのブログから消えたり 書き換えられたりしても
それを目にしたかたの記憶には 残っている
その記憶と食い違いがあることで 閲覧者様の混乱を招かないために
[公開した事柄の削除 訂正をしない] やむなく その必要がある時は [その理由を加筆する]
公開のブログを書く私の ポリシーである
最近では
これが その一例である
間違ったことを指摘されて
その間違いを こっそり削除なり こっそり訂正するようなことは 私はありません
トラブルを好む人の言動 - 宇宙へのツイッター (goo.ne.jp)
※ 追記して訂正
>昨日と 違う
私が、昨日、拝読した時点と違う、と言う事です。
私は、今日、追加された部分を確認しましたが、昨日の時点で書き加えられていた、と、メッセージがありましたので追記いたします。
久しぶりに読ませていただきました。
私は麦さま達の事件のことは存じませんのと、自分に降り掛かっている災難で手一杯でございますので、記事をお見かけしても拝読することを遠慮させていただいておりました。
そのことは麦様にも麦様のブログに誘導してくださった紬様にも失礼してしまったかもしれません。
が、私も齢74歳になり、残された年月も少なくなってまいりましたので、本当は、前のブログからfollowくださっていた麦様と現在の水仙ブログでも交流させていただきたいのは山々でございますが、諸般の事情からご遠慮させていただいております。
それで揉め事になる原因はできるだけ取り除いてまいりたいとの思いから、先日も記事に書き加えました箇所を削除いたしました。それはわたしの同窓生とのことを書き加えた文でございました。
私の母校はLEVELはさほどでございませんが、高知県ではお嬢様学校として名門で通っております。
この同窓生がブログをしていることは、たまたま知りまして、以来なかよく交流しておりました。
が、過去少し行き違いが生じまして、それ以後は離れておりましたが、私の同窓生に対する信頼感は消えておりませんでした。
そのことを自分のブログに書き加えましたところ、書き方が上から目線と非難する人がいると、Followerさんに教えていただいたので、これ以上揉め事はまっぴらごめんと、その文章を削除いたしました。
すると今度は削除したと言われていると知らせてくださる方がいましたが、私のブログですので、放っておいてほしいと思いました。
そうでなくても、この同窓生とは仲直りしかけておりましたのに、全く関係ない方のコメント欄に何者かの成りすましで、私達の仲を撹乱するcommentを入れられましたので、せっかく仲直り仕掛けていた同窓生との仲が、決定的に破綻してしまいました。
が、私は同じ学び舎で学んだ者同士、またいつか仲直りできると信じています。
会う機会も作ろうとすれば作れないこともございませんから。
話は変わりますが、
紬様と言えば、最近、私も参加させていただいておりますポエット・M様の主催されておられます「水曜短歌サロン」に出詠されたご様子です。
なかなかな詠みぶりであられましたから、かなり長く短歌をなさってこられた方という印象を持ちました。
さすが、麦様を贔屓なさる方と感服したところでございます。
ということで、麦様にも紬様にも、ご無沙汰申しあげておりますお詫び方々、comment差しあげました。
紬様にもくれぐれもよろしくお伝えおきくださいますよう、伏してお願い申し上げる次第でございます。
長文失礼いたしました。
神鳴り 改めまして 水仙 拝
こんにちは。
書き込みと異なりますが、水仙さんと呼ばせていただいて、よろしいですよね?
手一杯のお気持ち、よく分かります。
ご覧くださった通り、私も手一杯の状態です。
右手を骨折したことで、育ち始めていた苗が、ほとんど結果を見ること無く過ぎてしまったので、記録に残すほどの生長記録も無いのですが、水仙さんともご縁のある、中傷の被害者とされるブログ主が発信なさる虚言を正すことに、精一杯というところでしょうか(^-^;
当時の、びこさんのブログを初めて拝見した時、正直すぎるくらい純粋なかたと言う印象でした。
ご存知の通り、私には、[誹謗中傷の加害者]というレッテルが貼られているため、積極的に私の方から読者登録をすることができません。
びこさんのブログに出会い、きっと私を信じて下さるかただと思えたので、フォローさせていただき、公開される旅日記などを楽しんでまいりました。
しばらくして、更新が途絶えたので、どうなさったのかな、と思っていたとき、[中傷は嫉妬によるもの]と公開された、水仙さんのブログを知りました。
その節は、[中傷は嫉妬によるもの]という発言に対する異論の申し出を受け入れて下さいましたこと、ありがとうございました。
それぞれに考え方はあっても、自分の考え方が正しいとは限らない、という脳の柔らかさが必要だと思っています。
その思いが水仙さんに通じたことを、大変うれしく思いました。
水仙さんとは友好関係にある、そのブログ主さんは、[麦に誹謗中傷された]と固執しておられて、思い違いか、誤解か、と考え直す脳のゆとりは、お持ちでないようです。
びこさんが中傷されて困っておられるころ、ブログの更新が途絶えて見失い、その後、水仙さんに再会するまでの間のことは、私には分りません。
ただ、私が言えるのは、コメント欄の無いブログで一方的に、誹謗中傷の被害者に成りすまし[麦に誹謗中傷された]と言い続けている人への疑問が、最近、知ることになったブログ主さんの立場と重なることです。
コメント欄というものの在り方で、一人の人間の人格を、事実と異なった形でネットに浸透させてしまう事の怖さです。
私は、一人の人のコメントを阻止するために、コメント欄を承認制に設定しておりますが、基本は、誰でも書き込み、全てが表示される形で開放できるブログ主でありたいです。
個人的なことを書き留めて静かに保存するブログは別として、コメント欄を閉じ、他人の声をシャットアウトしながら、閲覧者との交流を求め、閲覧者に訴え、閲覧者に問いかけるブログ主さんに嫌悪感を覚えることは有っても、好感を抱くことは有りません。
びこさんのブログを見失ってから、水仙さんのブログと出会うまでの間のことは、私には分りません。
ただし私のブログを書く者のポリシーとして、コメント欄というシステムにより、[加害者が被害者になり、被害者が加害者になる] と言う私の経験から、コメント欄が開放されているブログ主への信頼度は高い、ということです。
今は、私と同じように、被害者という立場にありながら加害者として拡散されているというブログ主さんの発信により、事実を知り得るために、注目させていただいています。
このような時に、書き込みをなさるには、どんなにか勇気を必要としたことでしょう。
その様な水仙さんの一面も、私が、びこさんに魅かれた要因のように思います。
ありがとうございました (*^-^*)
麦様もお忙しいことと存じますが、お暇な折に、私の現在のブログを通してお読みいただきたく存じます。
今朝差し上げたコメントにも書かせていただきましたが、私どもは母校で淑女であれという教育を受けてまいりましたので嘘は書いておりません。
その私のことを嘘つきと言っている人がいるとFollowerさんが教えてくださいましたが、私は今朝のコメントでも書かせていただきましたように残された時間にも限りがございますから、そんな人の言うことは耳に入れずに残された時間を楽しく安らかに過ごしたいと望んでおります。賢明な麦様には、私のこの気持はお汲み取りいただけるものと追伸させていただきました。
これからは、ときどき読ませていただきにまいりますね。
麦様も、こころやすらかにお過ごしくださいますよう陰ながら祈らせていただきます。かしこ
鋭い心理描写していますね。
花育てはタネから、その過程を楽しむ麦さん。
ガーデニングと言いつつ、ガーデナーさんにお任せし、
高いだの、気に入らないだの…。
それに作り事(ウソ)が多い彼の方。
全く価値観が違いますね。
私が見てきた「愚者の戯言」での経緯について、書かせて下さい。
というのは、愚者の戯言でのコメントの交流は、
麦さんとK.S.さんだけではなかったはずです。
K.S.さんは、今のブログの前に、ブログを持っていたと聞いています。
また、その前に、相場関係での掲示板での交流があったとも聞いています。
そこでもトラブルがあり、逃げた(言い方は悪いですね)ようですね。
相場では多額の損失を出したと、ご自分のブログで記事にしていました。
多額な金額は、家1件、次にひと財産と、徐々に大袈裟になっていきます。
まぁ、それはそれとして…
そこで関わりのあったナ〇さんは、
「愚者の戯言」を「やっと見つけた」と、いって書き込みを始めたのです。
そのナ〇さんは、相場の花道の掲示板を公開して下さいました。
そこには、その人とは思えない別人がいましたね。
次のブログで交流のあった方も書き込みを始めました。
同じような被害を被った方々の出現でしたので、良かったと思いました…。
他にも4、5人の方々の書き込みがありました。
ですので、
麦さんとK.S.さんだけでの話し合いにはならなかったのです。
結果、「麦に誹謗中傷された」とは言えないと思います。、
そんなこんなの「愚者の戯言」でした。
横レスになりますが、anさんのコメントに対して、
よくぞここまで読み取って下さったと嬉しく思いました。
おおよその捉え方に賛同です。
特に、妹の、自分の悪は全て相手に責任転嫁するそのスタンスには、
呆れています。
夕食タイム。
残りはまたいつの日か…(#^.^#)
水仙さん、こんばんは。
ブログの楽しみ方にしても、人はそれぞれですから、水仙さんのように、残された時間を大切に守るのも意義ある生き方だと思います。
私は、納得できないまま疑問に蓋をすることは、残り少ない人生とは言え、これからも変わりなく、このブログに現れてる通りの生き方を続けると思います。
現に、今、「麦に誹謗中傷された」 と、言い続けているブログ主さんに、
>けれど平気でうそをつき、事実と異なることを書いて私を非難する。
>こんなつらい事はありません。
>私には彼女たちの虚言癖は異常に映ります。
↑
このように、公開されています。
そのブログに、コメント欄はありません。
私は、嘘で事実と異なることを書き、その人を非難したことは有りません。
虚言癖と言う体質でもありません。
しかし、そのブログの閲覧者は、麦と言う虚言癖のある人間が、その人を非難している、とインプットしますよね。
妹さんと、[あの人たちは、死ぬまで私たち姉妹を中傷し続けるのでしょう] と言う会話を交わしたこともある、と発信されたことも、一度だけではありません。
貴女こそ、生きてる限り「誹謗中傷された経験」をブログで蒸し返すことでしょう! と返したくてもコメント欄がありません。
その様な状態を、水仙さんは、ご存知なくて、[中傷は嫉妬によるもの]と判断なさったのでしたね。
この場合は、私の友人が、水仙さんへ疑問を投げかけてくれたから、事実が判明しました。
しかし、[虚言癖のある麦の中傷]という公開発言を信じている閲覧者は、今も実在するわけです。
その人も、、
>でも無視できるように、心をもっともっと強くしたいです。
>今後、ひたすら努力するつもりです。
↑
このように宣言して、事実無根の私の悪評を公開したまま、逃げ去るようです。
コメント欄の無いブログ主の一方的発言や、承認制により、表示・非表示の選択を悪用することで、加害者が被害者に成りすます、という理不尽な現実を、私は見過ごすことは出来ません。
もちろん、水仙さんが選んだ生き方もあって良いと思います。
そのうちに、私も私らしいブログを綴る日が来ると思います。
水仙さんも、お好きな旅と、お料理と、ときどきご家族との風景など、楽しいブログライフを楽しまれますように (*^-^*)
相変らず、黙っていられないのですよ。
私には、価値観という甘い段階ではなく、違う星の人、というくらい、生き方が違いますね。
中傷と言う石ころと、非難と言う草花と、嘘というペットが生息する星で、お暮らしになっているのではないかと・・・これは、間違いなく中傷かもしれませんね。
もう、これくらい言っても、マナー違反ではない、と思うようになりました。
虚言癖?
私が、どこに嘘を書いているのか、このブログから一個一個、拾い出して、私に提出していただきたいものです。
[愚者の戯言] については、私が繰り返さなくてもいいですね。
相場の掲示板では、今のブログとは別人のような言葉使いで、トラブルがあった、と聞きましたが、直接、私が確かめた訳ではありません。
でも、[愚者の戯言]から、今まで関わってきた経緯から、トラブルは多いのではないかな、と勘繰ってしまいます。
お身内の方が、どなたも、「愚者の戯言」において、擁護なさらなかったことからも、誹謗中傷のブログではなかった、と言い切れます。
皮肉に感じたことは有ったでしょうね。
しかし、それは、あの人の言動に基づいて、私がドラマ風に綴った事実ですから、中傷だとして擁護できる要素は無かったのでしょう。
にもかかわらず、いつまで、「麦に誹謗中傷された」 と、言い続けるのでしょうね。
anさんのブログは、私が見つけて、一方的に読者登録しました。
お花のブログと、びこさんと、anさんが3番目、最近になって、もう一つ、読者登録させていただきました。
深夜のネットタイム (*´▽`*)
コメントありがとうございました。
滋賀県まで出掛け、帰ってから資料のまとめなどをして、実はヘロヘロだったのですが、
麦さんところをお訪ねすれば何とっ!!
あのシャープな明日葉さんに(私の勝手なイメージです)褒めていただいたわっ!
と調子に乗っているワタクシでございます(^^♪
もうね、あの方大丈夫?と思うばかりで、心配してあげますわ、逆に。
ちょっと焦ってる感じがして。
嘘ばっかりですね。私にでも判る。
来ない来ないと言いながら気になって仕方ないみたいだから見に来てるし。
私が思う、あの方が何故コメント欄を設けないか。
それはね、コメント欄があれば非難ごうごうだからですよ、きっと。
麦さんだってコメントしに行くでしょ?
諸々が誰の目にも明らかになるから。
荒れるよね。公開したらの話ですが。
そして、麦さんにもコメントよこして来ないでしょ?ボコボコにされるからじゃない?
そんな自信と言うか勇気は無いのでしょう。
なので、自分のところでちまちまと、言いたいことだけを書く。
自分は悪くないと自分の場所で主張する。自分の正当性を叫ぶ。だけ。
そうすれば、あの方のブログを見に来る方には”ああ、被害者なのね”と思ってもらえる。からじゃないでしょうか。
コメント欄開けて、自分ちは荒らされたくないのでしょうね。
何だかね、本当に自分の都合だけよね。他人のことなんか全く構ってない。ズルいね。
めっちゃワガママな人なんだろうなと言う気がします。
嘘を書かないでと言うけれど、嘘言ってるのは一体どっちなの?と。
やめとけばいいのに、旗色悪いですよ。
本人もそう感じているのじゃないでしょうか。
お疲れのところを、黙っていられない私に巻き込まれてしまったようですね (*^^)
終わらせるとのことで、もう私のブログは読まないと言われてます。
終わるも終わらないも、私は、嘘については、永遠に黙っていられないでしょうけど(*^-^*)
おそらく私のブログにフィルターをかけるのだと思うので、その設定が済んでから、anさんのコメントを公開してお返事しようかな、と思ったのですが、
もう遅いかも知れませんが、むしろ、あの人に読んで頂いた方が、あの人のためにも良い事かな、と思って、今、公開しました。
キラリと光る、シャープな明日葉さんの発言ですね。
私が思うには、意外にも書かれる文章とは違って、現実は繊細で、争う事を嫌い、大きな声を出されると怯んでしまう、というイメージなんですね。
正直だから、思っていることを飾ることなくキーを叩く、だから、あの人が明日葉さんに対して、あのような感情を抱くのも致し方ないかな、と、常々思っています。
ブログを開設した時は、コメント欄があったそうですが、anさんも思われるように、非難ごうごう、というようなことがあって閉じられたと何かで知りましたが、私は、「お返事が大変だから閉じている][最初から開いてない」 と聞いています。
でも、ブログを拝見すると、明らかに閲覧者との交流を求めたブログですよね。
[愚者の戯言]のコメント欄は、承認制でもなく、開放していましたから、最初は無視していた、あの人も、ナ〇さんのコメントが入った途端に、コメントが入るようになりました。
[逆鱗に触れた] という発言に対して話し合うためのブログでしたが、その事も加わって、[ボコボコにされた]です。
ボコボコと言われる内容は、文章は一般的でしたが、あの人への反対意見、否定、だったので、あの人には、[中傷]という表現になるのですね。
突然、[戦慄が走った。誹謗中傷された。] と言う事だったので、どのような中傷があったのかお聞きしても、[思い出せない]とのことですから、話になりません。
もうフィルターをかけちゃったとしたら残念だけど 私からも、[嘘言ってるのは一体どっちなの?]と、お伝えして、あの人との関りを終わりたいと思います。
あの人に伝えたいコメントです、ありがとうございました。
今朝のSさんの「追記」の内容というか、締めくくりの言葉は、前にも読んだ気がするのは私だけ?
「麦さんのブログを見えなくする。今後一切関わらない。静かなブログライフに移行する。」的な・・・?
わざわざ見えなくしなくても、覗かなきゃ済む話だと思いつつ・・・
以前は、見てない筈なのに妹が教えてくれた!といっては何度も登場なさってましたね。
私は「妹さんは何故、見ないことで心の平安を保とうとするおねえさまに、わざわざ告げ口するのかしら・・・。」と思ったものでした。
ところで、
今朝のSさんの文の中に「辞書」を「次女」と誤変換している部分がありまして・・・
私は自分の誤字・脱字は棚に上げ、ひとさまの些細な誤字が気になってしまう悪い癖があります。
(まるで他人には酷いこと書くのに、己が書かれるとヒボーチューショー!と騒ぐSさんと同じ? いやん♪)
あ!脱線及び悪ふざけをお詫びします。
で、先ほど「辞書」と書き直されていました。書き直すにこしたことはありませんから良かったですね^^
ついでに老婆心ながら、Sさんのブログが自慢ブログと言われる原因の一つに、形容詞の使い方の問題がありますよね。
普通、自分のこと身内のことに触れる時「上等な、ブランドの、一流企業の、」等々の形容詞は使いませんよね。
教養ある方に無教養の平場の身で指導めいたこと申し上げる非礼をお許しください。
あ、もう見てくれないんだった。
でもな~んか見られてる視線を感じてしまうのは、やっぱりデジャブのせいかしら・・・(^^)
ドアは、いつも開いていますから、鍵も、ご挨拶も要りません (*^-^*)
いきなり、デジャブにビックリでしたが、なるほど、そう言うことでしたか。
そうですね、もう来ません、最後にします、終わります、は、何度もありましたが、[麦さんのブログを見えなくする〗つまり、フィルターを掛けると言うのが今回もそうなのかはわかりませんが、たしか、有料なので家計に響くと言うことで、外すとか、掛けるとか、そんなようなこともありました。
普段は見てないけど、今日は離れた場所で見た、と言う事もありましたが、見る、見ない、って、どうでもいいのですけどね。
脱線、大歓迎ですよ~♪
むしろ、それを望んでいるかたも居そう・・・
都合が良い悪いに関係なく、削除、訂正に疑問を思う私ですが、誤字脱字のについては言うまでも無く問題ない事ですね。
>自分のこと身内のことに触れる時「上等な、ブランドの、一流企業の、」等々の形容詞は使いませんよね。
↑ そうですね。
間違いなく、自慢になる誇らしい形容詞ですから。
ご本人は、自慢のツモリではない、とのことですから、書く時に「これを自慢しよう」 と思って書くのではないかもしれませんね。
ただ、
ご自身が誇らしく思うことを、みんなに知って欲しいという潜在意識があって、無意識に書くことになるのかな、女古畑は推理してみましたが(^-^;
自慢と思われて批判されるのが気になるのなら、書かなければいいし、書きたければ、自慢だといわれる批判を気にせず、批判された、批判された、という発言は控えたらいいのにな、と思うのですよ。
誇らしければ、堂々と自慢したらいい、と。
外野さんが、指導めいたこと、と思ってのアドバイスでも、それは〖中傷〗となってしまうことを、ご承知おき頂いた上で公開しますよ。
既に、麦のブログを見られないように設定済みかも知れませんが、それはそれで、外野節が楽しみな皆様へ (^^)/