日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
人生を大いに楽しむために言いたい放題、書きたい放題!!
読者のコメント歓迎いたします。

好物は 鮨に赤福 とろろ汁

2016年05月08日 09時19分56秒 | グルメ
 折角のゴールデンウィークであったが何処へも出かけることなく、近回りをうろちょろしているうちにたちまち日にちが過ぎてしまった。

 隣町の焼津魚センターには構内に鮨屋が数店あるが、私が贔屓にしているのはカネトモの直営店である。

 勿論、普通の寿司ネタもあるのだが、特にマグロが美味いので、決ってマグロの握りを摘まむことにしている。

 6個載って850円は私のような貧乏人でも安心して食べられる良心的価格ではないかと思っている。

 写真の赤いのはマグロの赤身、白っぽいのはトンボマグロである。

 店に設置してあるビデオ画面で見る限りマグロは地中海スペイン沖の蓄養マグロのようであるが赤身でも軟らかくて舌の上でとろけるような食味である。

 読者の皆さんでこちら方面へおいでになる機会があったら焼津魚センターへ立ち寄って是非一度お試しいただきたいと思う次第である。

 焼津魚センターは東名高速道路焼津インターチェンジを降りて直ぐのところです。
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駿河路は 新茶の香る 季節です

2016年04月24日 09時48分05秒 | グルメ
 緑茶は、渋みの一種であるタンニンを多く含む。この中にポリフェノールの一種であるカテキンを含む。
苦味の成分であるカフェイン。旨みの成分であり、アミノの酸の一種であるテアニン。ビタミンC,E,カロチン カリウム、リン、カルシウムなどのミネラル成分その他にも、食物繊維、葉緑素といった豊富な成分が含まれている。

 緑茶の効能を、成分ごとにみてみると・・・

 カテキン  抗菌作用・・・緑茶うがいで風邪予防

       殺菌・抗毒作用・・・食中毒の予防(O-157にも有効!)

       抗酸化作用・・・虫歯予防 口臭予防

       脂肪分解促進作用・・・ダイエット効果

       血圧上昇・コレステロール上昇抑制作用…高血圧予防 動脈硬化予防
 
 カフェイン 覚醒作用・・・頭スッキリ 記憶力や集中力のアップ!

       新陳代謝促進・・・疲労回復 

       大脳刺激作用・・・眠気覚まし

       血液循環促進作用…低血圧の予防

 テアニン   血圧上昇抑制作用・・・高血圧の予防
  
       脳 神経機能調整作用・・・ストレス解消 リラックス効果

 ビタミンC 美肌効果 シミ ソバカスの予防 ストレス解消

 ビタミンE 老化防止効果


 その他にも食物繊維たっぷりな茶葉を食べれば、便秘解消 整腸にも効果があるとされている。


 私たちが普段飲んでいるのは、所謂、煎茶や番茶と呼ばれるもので、急須などに茶葉をいれ、熱湯を注いで淹れるものである。この場合、残った茶葉のほとんどは捨てられることが多い。

 一方、抹茶は、茶の葉を蒸してから乾燥させた碾茶を茶臼でひいたものである。 抹茶の種類には、黒味を帯びた濃緑色の濃茶(こいちゃ)と鮮やかな青緑色の薄茶(うすちゃ)がある。

 茶道では、濃茶は茶杓に山3杯を1人分として、たっぷりの抹茶に少量の湯を注ぎ、茶筅で練ったものを供する。薄茶は茶杓1杯半を1人分として、柄杓半杯の湯を入れ茶筅で撹拌する。茶道では茶を「点(た)てる」というが、濃茶は特に「練る」という。

 濃茶・・・亭主を中心とした少人数の茶事ではひとつの碗の濃茶を主客より順にまわし飲む。菓子は生菓子で、「主菓子」(おもがし)と呼ばれるもの。

 薄茶・・・「おうす」ともいう。大寄せの茶会や禅寺のもてなしには、一人一碗ずつの薄茶を点てる。茶事の折には薄茶の前に「干菓子」(ひがし)を出すが、濃茶を出さない茶会やもてなしでは生菓子を出すこともある。
     
 この飲料としての抹茶を茶筅で撹拌する際に、流派によって点てかたが異なる。三千家ではそれぞれ、たっぷりと泡を立てるのが裏千家、うっすらと泡立てるのが表千家、もっとも泡が少ないのが武者小路千家といわれる。
 
 煎茶や抹茶とは別に、中国を中心にチベット・モンゴル・ネパールなどでは磚茶(だんちゃ)というのがある。「磚」は煉瓦(れんが)の意味で、紅茶または緑茶を円形・方形などに蒸し固めた茶である。少しずつ削ったりほぐしたりして、煎じたり湯に溶かしたりして飲む。  

 私に茶道の心得は全く無いが、茶筅で薄茶の泡を立てることはできるのでもっぱら抹茶を愛飲している。夏場は冷水で点てられる冷用抹茶も市販されているので便利である。抹茶で一番許せるのは茶殻がでないことで、菓子を食べられるのも楽しみである。

 近所にあった和菓子屋の主人が亡くなってからは気の利いた生菓子も手に入らないので、コンビニのスイーツが干菓子の代わりになることも多い。

 静岡県の主要農産物である緑茶の生産・販売に翳りがみえているという。緑茶の消費量が低迷しているのだと聞く。若者たちは茶殻の処分が面倒だから飲まないのだという。茶農家は高齢化して価格の下がった茶園を耕作放棄している。

 私は自分が抹茶を好きだから考えたのであるが、抹茶を茶道の呪縛から解き放つことが抹茶の需要を喚起し、延いては茶業の振興に寄与するのではないかと思っている。これは伝統ある茶道を否定するという意味ではない。茶道は茶道で大いに茶を点てていただけばよい。

 抹茶をもっと身近なものとして消費を促進するためには高価な茶道具や茶室を使い着物や履物まで整えなければならない茶道から切り離して、茶碗一つ茶筅一本で気軽にお茶を点てることができなければなるまいと考える次第である。
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芹摘んで 七種粥を 賑やかす

2016年01月09日 14時26分17秒 | グルメ
 芹(せり)はいわずと知れた「春の七草」の一つである。 春の七草とは、正月七日に粥に炊いて食べ、一年中の邪気をはらうという七種類の若菜のことである。



 七種粥の歴史は古く、「若菜の節」或いは「七草の節句」と呼ばれる年中行事で五節句の一つである。五節句とは、正月七日の人日、三月三日の上巳、五月五日の端午、七月七日の七夕、九月九日の重陽をいう。

 春の七草は次の歌を暗唱すると憶えやすい。「せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ・これぞななくさ」これを五・七・五・七・七の調子で四、五回も口ずさめば間違いなく憶えることができよう。

 因みに、七草の植物学的な分類は以下のとおりである。7種のうちの3種がアブラナ科(キャベツや白菜の類)、2種がキク科(春菊やレタスの類)、セリ科(セロリ・パセリの類)、ナデシコ科(カーネーションやカスミソウの類)それぞれ1種である。



せり(芹)・・・・・・・・・・・・・しろねぐさ(白根草・・・・・・・・・・・・セリ科。
なずな(薺)・・・・・・・・・・・ぺんぺん草・・・・・・・・・・・・アブラナ科。
ごぎょう(御形)・・・・・・・・・ははこぐさ(母子草)・・・・・・・・・キク科。
はこべら(繁縷)・・・・・・・・こはこべ(小繁縷)・・・・・・・ナデシコ科。
ほとけのざ(仏の座)・・・こおにたびらこ(小鬼田平子)・・・・キク科。
すずな(菘)・・・・・・・・・・かぶ(蕪)・・・・・・・・・・・・・・・アブラナ科。
すずしろ(蘿蔔)・・・・・・・だいこん(大根)・・・・・・・・・・アブラナ科。

≪注≫「仏の座」は、シソ科のホトケノザとは別のもので「ホトケノザ」という名は、ロゼット葉の姿からつけられたものと思われる。すずな、すずしろに関しては異論もあり、辺見 金三郎は‘食べられる野草(保育社)’の中で‘すずな’はノビル、‘すずしろ’はヨメナとしている。

 早春の田圃の畦や水辺で芹を摘むことは昔の人も好んだらしい。芹特有の香気が春の訪れを一層強く感じさせるようである。芹の中でも特に珍重されるのが所謂、寒芹である。寒中の陽だまりなどに生えている芹で香気も一段と強い。

 用水路のコンクリート化や除草剤の散布などに因り昔に比べて田圃の畦の芹も減った。しかし、減反政策という愚策の結果、無造作に放置された田圃一面に芹が生えているといった光景にも稀には遭遇する。

 ここ数年、私が芹を採る場所もそうした田圃の跡である。長期間にわたり放置されているため、無惨にも蒲などが蔓延っているが、その枯れた蒲の間から芹を採るのである。

 芹には、ビタミンA・B・Cが豊富に含まれており栄養価も高いので所謂「野菜」としても優秀な食品である。

 芹は胡麻和えやお浸し、鍋物の添え野菜にするのが普通であるが、特に秋田の郷土料理きりたんぽ鍋や山形の納豆汁には欠かせない一品である。

 芭蕉の句にもある芹飯は、出汁と醤油で味をつけて炊き上げた飯に、軽く茹でてアクを抜いた芹を手ごろに刻んで混ぜたものらしい。

 土筆飯は俳句の先輩のお宅でご馳走になった。大変残念なことだが芹飯は未だ食したことがないのである。

◆余所行きの靴を汚して田芹摘む  白兎


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追憶の ほのかに甘し 玄圃梨

2015年12月11日 20時45分29秒 | グルメ
 山梨県南巨摩郡南部町にある道の駅「とみざわ」は、静岡市清水区興津から山梨県甲府市に到る国道52号線に設けられている。私はこの道の駅を身延山まで甘養亭の「みのぶまんぢゅう」を買いに行く道中でしばしば利用させてもらっている。

 道の駅「とみざわ」は、名産の筍のモニュメントで有名なところであるが、そのモニュメントの脇に俳人・松崎鉄之介氏の句碑がある。黒御影石に「枳梖散るなり南巨摩郡」と刻んであったと記憶している。「枳梖」は元来漢方生薬の名前で通常は「きぐ」と読むそうであるが、この句の場合は「けんぽなし ちるなり みなみこまごおり」と読むようである。

 ケンポナシはクロウメモドキ科ケンポナシ属の落葉高木で玄圃梨と書くのが普通である。英語名はジャパニーズ・レーズン・ツリーと云い、食べられる果実の形状を干し葡萄に見立てた命名である。因みに、中国では鼠李(ソリ)科の拐棗(カイソウ)というのだそうだ。東南アジア温帯一帯に広く分布し、日本では北海道の一部から九州まで自生する。

 樹高は15メートルから25メートルに達し、古木の幹の直径は1メートル以上にもなる。広葉樹であるが木材としても有用で床の間材として床柱、床板、落とし掛けなどに珍重される。木理は一般的に直通だが、もめた杢目は美しいことから指物家具、テーブル、化粧単板などに利用されている。また、造作材、装飾材、家具材、器具材、彫刻材などとして広く利用されるほか、三味線の胴などの楽器材としても使われている。

 花は初夏に5弁で星形の約7ミリ程度の緑白色の小花を集散花序につける。花序の軸は花後ふくらみ多肉質になる。集散花序というのは花の脇からまた枝が出て花が咲くといった状態をいう。

 果実は核果で直径は約9ミリ程度、秋に紫褐色に熟す。核は直径約4ミリ程度、黒褐色で光沢がある。

 秋に多肉質の果柄を集めて日干しにして乾燥させたものを生薬名で枳梖(きぐ)と呼ぶ。有効成分としては蔗糖、ブドウ糖、硝酸カリ、リンゴ酸カリ、酵素ペルオキシダーゼなどが知られている。薬効は利尿作用と二日酔いに有効であるとする。この肥大して不思議な形に曲がった果柄の部分は甘くて梨に似た味がすることからケンポナシと呼ぶのである。



 名前の由来は、肥大して曲がった果肉を中国の俗名で癩漢指頭と呼び、ハンセン病に侵されて曲がった指という意味である。日本ではハンセン病で曲がった指などをテンボウ或いはテンポなどと呼んだことからテンボノナシが転訛してケンポナシになったというのが有力である。勿論、近年の特効薬の開発によってハンセン病は制圧されたのであり、この病気に対する誤解と偏見は排除されなければならないことは言うまでもない。

  さて、いつもの悪い癖が出て能書きが長くなってしまったが、いよいよこれからが本題である。

 私が小学生の頃のことであるが、夏休みになると毎日のように通う場所があった。ゲンちゃんの山のコナラの木である。ゲンちゃんとは隣集落の農家の当主海野源一氏の愛称である。

 山裾の斜面に生えた幹の直径が20センチほどのコナラの木にはカミキリムシの幼虫が入った痕があって樹液が滲み出ていたため、カブトムシやクワガタムシやカナブンやスズメバチや蝶などが樹液を吸いに集まるのであった。その場所へ行けば必ずといってよいほど獲物にありつけたのである。

 ゲンちゃんの山は雑木林になっていてコナラの他にもリョウブや樫や椎の木やヤマザクラなど多くの樹種が混在していたが、コナラの木の近くに幹の直径が30センチばかりのケンポナシの木があった。

 晩秋の頃、この木の下へ行くと「けんぷん」を拾うことができた。私の故郷ではケンポナシの果実を「けんぷん」と呼んでいた。未熟な果肉には渋味が強かったと思うが、そろそろ初霜が降りようという頃になるとほんのりと甘い果汁を存分に味わえたものである。私の場合「けんぷん」は食べるというよりも口中で噛み潰して果汁を吸って残った滓は吐き出していた。

 「けんぷん」を噛んだのはもう50年以上も前のことであるが味覚の記憶というものは思ったよりも鮮明である。

 ◆ 半世紀忘れぬ甘さ玄圃梨  白兎



 
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暇だから鮨に薀蓄傾ける

2015年05月14日 09時48分14秒 | グルメ
 鮨は大好物である。大好物ではあるが鮨は高価な食物である。

 昭和40年代の初めごろ、私は東京の銀座で働いていたが、当時、銀座に10円鮨というのがあってしばしば通ったものである。10円鮨はいかにも安いと思われるだろうが初任給が月給1万6000円の時代である。一つ10円の握り鮨であっても鱈腹食べるのにはそれなりの覚悟が必要だった。

 最近では一皿105円の回転寿司が全盛で「スシロー」や「かっぱ寿司」へも気が向けば食いに出かけるが、私の贔屓にしているのは回転寿司ではなくて焼津魚センター内の「カネトモ」直営店である。

 「カネトモ」は遠洋漁業の町焼津でも屈指のマグロ問屋で、本マグロは地中海あたりの蓄養マグロのようである。

 写真の赤いのがマグロの赤身、白いのはトンボマグロである。6個で850円は良心的価格であると思うから、遠方から来た友人などにも自信をもって薦めている。

 私を訪ねて静岡へきて、焼津の「カネトモ」へ連れて行かれた友人は数多いが、このゲタを2枚食べると大概は満足してくれる。もっとも、中には更にアナゴの1本握りを追加で食べて、帰りに弥勒町の石部屋で安倍川餅も食べたという豪傑もいる。

 私は回転寿司へ行くと、先ず、”出花”ということでお茶を用意する。そして”御手塩”に”ムラサキ”と”ナミダ”を用意する。回転寿司のネタで一番好きなのは”きずし”である。〆鯖を食べるときにはサービスの”ガリ”を遠慮なくいただく。

 次に手を出すのが”草”で捲いた”軍艦”で蛸サラダなどは特に好きである。回転寿司で食べるのはそのほかに”ゲソ”の握りなどが多い。

 回転寿司でも値段の高い”ネタ”もあるが私は105円の皿以外には絶対に手を出さないことにしている。


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金谷まで菜飯田楽喰いにゆく

2015年04月30日 12時15分13秒 | グルメ
 金谷宿 (かなやじゅく) は、東海道五十三次24番目の宿場で遠江国最東端の宿場町である。

 現在の静岡県島田市金谷。大井川の右岸(京都側)にあり、牧之原台地が迫る狭隘な場所であるが、増水で大井川の川越が禁止されると、江戸へ下る旅客が足止めされ、島田宿と同様、さながら江戸のような賑わいをみせた。

 この金谷町泉町にある「よし善」へ名物の菜飯田楽を食べに行ってきた。SLで有名な大井川鉄道の新金谷駅近くである。

 お膳の写真を撮る前に碗の蓋を取るのを忘れたが、だし汁で炊いたご飯に大根の葉の粉をふりかけた菜飯に漬物、吸い物、豆腐の田楽、胡麻豆腐、煮物に甘味がついた定食である。

 菜めし田楽は、大変手間のかかる料理だ。大根の葉っぱを湯掻いて冷水にさらし、ざるにあげて切り刻み、厚手の鍋で一時間ほど空煎りしてからご飯に混ぜるのだ。

 菜飯などというものはそもそも先人が米を節約するために考え出した方法である。豆腐の田楽だって鰻の蒲焼とは比べようもない。しかし、こうして整った料理として供されるとそれはそれで十分に味わえるものである。

 金谷宿と日坂宿の間の菊川は、小夜の中山という難所をひかえて急な坂が続くため中世には宿場として栄えたが、江戸時代には「間の宿(あいのしゅく)」とされ、旅人の宿泊は固く禁じられていた。大井川の川留めがあっても、金谷宿の許可がなければ泊めることができず、本格的な料理を出すこともできなかった。そんなことから生まれた軽食が、菊川の菜飯・田楽である。

 菊川名物の菜飯・田楽とは、菜を混ぜた飯へ豆腐田楽を菜としたもので、菜飯は大根の葉または小松菜の湯通ししたものを焙烙(ほうろく)鍋で煎り、粉状にして少し塩味をつけ、炊きあがりの飯へ混ぜこんだものだ。

 田楽は、豆腐を軽く絞って、丸く切って二本の串に刺し、味をつけた味噌にまぶして炉の灰の中に立て、あぶって焼いたものであった。この焼豆腐は、その形が平安時代から田植えおどりとして流行った田楽舞に似ていたところからこの名がでたといい、のちに豆腐の形は四切に切ったまま串に刺したものに変わった。

 田楽に用いた焼豆腐が、江戸時代から当地の名物であったことは、『西遊紀行』や『明暦三年の道中記』など多くの書物に記されている。大永二(1522)年『宗長日記』には、「田楽豆腐の盃たび重なりて」とあり、田楽は酒の肴や飯の菜として好まれていたようである。また、『嬉遊笑覧』に、飯の中に野菜を炊き込み、豆腐でつくった田楽をそえて食べることが記されており、菜飯に田楽を添えた「菜飯・田楽」は、寛永時代(1630~)には食されていたことがわかる。

 この菜飯・田楽は、一度途絶えていたが、最近地元料理人の手によって復活し、伝統食として紹介されるようになった。金谷の郷土料理店「よし善」で食することができる。

郷土料理店
島田市金谷町泉町1806-4
TEL:0547(46)1869 。

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タケノコを塩漬けにして保存する

2015年04月22日 19時32分23秒 | グルメ
 サクラの花が散る頃になるとタケノコもちょっと食い飽きてくる。走りの頃には値段も高くてタケノコ飯に炊いて大事に食べるのだが、最盛期になるとタケノコなどはにっこり笑えば幾らでも貰える。

 私の従兄弟はアパート経営などをしていて裕福な暮らしぶりだが、元々は農家だから3箇所ほどの竹林を所有していて季節にはタケノコの販売もしている。

 彼の販売方法は生ではなくて湯がいてアク抜きしてからビニール袋に詰めて販売している。スーパーなどでも茹でたタケノコを販売しているが、固い根元のほうも付いていて、軟らかで美味しい部分は全体の半分以下のこともある。

 従兄弟は別宅の庭に、石川五右衛門を釜茹でにしたような大きな鉄鍋を据えた竈を作ってあって、薪を燃やして米糠でゆっくりタケノコを茹でるから茹で加減も良くて美味しいのである。

 負け惜しみかどうかは知らないがタケノコの固い部分が好きだなどという変わり者も稀にはいる。が、大部分の人は根元の固い部分より先っぽの軟らかいところを好むだろう。私は先端の甘皮の部分が一番好きである。

 従兄弟はそのあたりを心得ているから、彼の商品は固いところは取り除いて軟らかで美味しい部分だけを袋に詰めてある。だから、店先に並べるとたちまち売切れてしまうのである。言い忘れたが従兄弟の奥方は学生相手に焼きソバなどを食べさせる店を開いている。

 そんな従兄弟夫婦から例年通りのお誘いがあったので妻を同道して先日タケノコ掘りにいってきた。

 実は、一昨年は山まで従兄弟と一緒に登ったのだが、竹林の中で滑って転んで危ない目に遭った。竹の落ち葉は滑りやすくて脚力の弱い老人には危険である。去年は幸いにも背負っていた竹篭が竹の間に挟まって転げ落ちずに済んだ。

 今年は従兄弟が既に山の竹林から掘って来てくれてあったので助かった。従兄弟も背負い籠で運ぶのだが、固い根元や皮は掘ったところで切り捨ててくるので、そのまま茹でるだけの状態になっていた。その数およそ50~60本もあったろうか。

 ラーメン屋がダシをとるような大きな寸胴鍋で何回もに分けて一日がかりで茹でた。この寸胴鍋は静岡刑務所前の日吉屋さんという食器屋で購入した。茹でたタケノコは節の方を下に向けて水を切ってから、真っ白になるくらいに塩を塗して漬物樽に漬け込んだ。食酢も入れて重石を掛けてある。

 夏場を過ぎたころから食べ始めるのだが、十分に塩抜きしてから胡麻油で炒めて出し汁で煮ると、メンマのような感じのしんなりした食感でとても美味いのである。
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味自慢 我がふるさとの とろろ汁

2014年10月14日 14時06分53秒 | グルメ
 私が初めて山芋を掘ったのは八歳の頃である。場所は生家の正面の山で通称を「ウバガミさんの山」という。山の突先に「ウバガミ」を祀った小さな祠がある。「ウバガミ」が姥神なのか乳母神なのかは定かではない。祠の前には古い碾臼が置いてある。なんでも昔は乳の出ない女衆がお参りしたものらしい。

 この山は今日では開墾されて一面の茶畑に変貌しているが当時はまだ雑木林になっていて其処此処に山芋が生えていた。山腹の傾斜の具合や土質が手ごろだったので子供の手でも案外と簡単に山芋を掘ることが出来た。

 秋もようやく深まる頃になると山芋の葉は鮮やかに黄葉する。山芋は周囲の草木よりも黄葉するのが少し早いので慣れた者には見つけ易い。鮮黄色のハート形をした葉を目当てに探す。山芋の地上部は蔓草である。蔓の色には変化があって一概には言えない。蔓は陽当たりの良いところまで一気に伸びてから葉を広げる。従って、地面からしばらくの間は葉が一枚も無い。蔓には節があって、節のところに上向きの丸みのある膨らみを持つのが山芋の特徴である。

 近似種の野老(ところ)では鉤状の突起が下向きについている。葉のハート形にも特徴がある。トランプのハートに近い形、所謂、芋っ葉のものは通称「馬鹿芋」とよばれるもので正式な和名はニガカシュウである。担根体、つまり芋は蒟蒻芋に髭根をつけたような丸い形状を呈する。

 オニドコロともいう野老(ところ)はハート形の輪郭が角張っていて、葉脈の流線に滑らかさを欠く。蛇足だがヤマノイモ科は単子葉植物だから葉脈は網目にならない。芋は節くれ立った塊で一面に髭根を有する。この髭根を翁の白髪に見立てて正月の縁起物にするわけである。

 山芋は蔓の太さから芋の大きさを判断する。当たり前のことだが、蔓が太くて長く、広範囲に蔓延っているものほど芋が大きい。

 さて、手ごろな蔓を見つけたら、最初に蔓をたどって生えている場所を確認する。次に、付近の草や潅木を鎌で刈り払う。作業環境を整える訳である。刈り取った草や潅木は纏めて斜面の下側へ置く。掘った土石が直ちに崩れ落ちないように塞き止める役目である。これで山芋掘りの準備完了である。

 続いて、蔓の根元を丁寧に掘って臍(ほぞ)を探す。山芋は臍を中心にして放射状に根を伸ばしている。慣れてくると、この根から臍の位置を読めるようになる。臍の位置を確認したら、臍から幾らか離れた下側から鍬を入れる。山の勾配と予想される芋の長さから大体の掘削深さを決めるのである。山芋は臍から概ね垂直に伸びている。穴は幅三〇センチほどで底が水平になるように形よく掘るのが良い。

 粗方掘れたら、次には先を削って尖らせた棒切れで芋の周りの土を取り除く。この際に山芋を傷めないよう注意することが肝要である。特に、山芋の先端は柔らかくて傷めやすいので注意を要する。山芋に細い根っこなどが絡んでいるのを見落とすと、最後のところで思わぬ失態を招き、大事な芋を折ってしまう。周囲の土石や根っこを丁寧に取り除き、先端から徐々に土から外しておいて、最後に臍(ほぞ)を切って穴から取り出す。臍は穴の中か穴の上側に埋めておくと、次の春には芽を出して、数年もすれば元の大きさの山芋に戻る。

 掘った山芋は手ごろな蔓を探して副え木に括る。この時、薄(すすき)を刈って簡単に包むとよい。山芋の苞(つと)は古来、薄(すすき)が相場である。薄が無い場合には野茶(ひさかき)などに括ってその枝葉で包む手もある。山芋の掘り穴は山石などを積み、土で埋め戻しておくのが礼儀である。

 ここまで話した序でに美味しいトロロ汁の作り方を紹介しよう。先ず、準備する道具であるが、肌理の細かな下し金と大振りの擂鉢、それに擂粉木が必需品である。昔ながらの焼き物の下しがあれば最適だが無ければ擂鉢で直接磨り下ろすこともできる。この場合は山芋を布巾などで包んで磨ると滑らなくてよい。トトロ汁を作るときの擂粉木は山椒のものよりタラの木で作った太めのものがよい。

 次に材料である。山芋は肌の奇麗なすんなりしたものがよい。色で言えば黒っぽいものは避けたほうがよい。端的に言って山芋も色白がよい。土質の悪いところで掘った山芋は磨り下ろすとアクが出て黒くなってしまう。調味料は田舎味噌と鰹節があればよい。鰹節がなければ鯖節でも雑節でも結構である。

 道具と材料が揃ったら山芋を洗う。山芋には思わぬところに小石が挟まっていたりするので適当な長さに折って丁寧に洗う。竹で作った小箆などを使うと存外上手く洗える。

 鰹節で濃い目の出汁をとり、味噌を溶いて味噌汁を作る。味噌汁も多少濃い目に加減したほうがよい。山芋を下し金で磨り下し、擂鉢で暫らく当たる。全体的に均一な状態になったら、お玉杓子に半分程度の味噌汁を加えて更に当たる。この時、味噌汁は熱いほうがよい。よく当たって再び全体的に均一な状態になったらお玉杓子に七分目位の味噌汁を加える。この繰り返しで一回に加える味噌汁の量も徐々に増やしながら適度な濃さまでのばす。

 あまり急ぎすぎて、一度に大量の味噌汁を加えると、山芋と味噌汁が分離してしまってトロロ汁が上手くのびない。この状態を「ママッコ」になるという。ママッコつまり継子である。仕上げに隠し味として若干量の醤油を加えてトロロ汁の出来上がりである。トロロ汁には麦を多めにした麦飯がよく合う。麦トロは消化がよいから多少食べ過ぎても直ぐに楽になる。

 山芋の食い方には、トロロ汁の外に山かけや月見、魚鳥のすり身に混ぜてしん薯にする方法もある。私が子供の頃には、焚き火の灰に埋めて焼いて食べたものである。
 


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岡部宿 鉄砲寿司が お薦めだ

2013年07月31日 12時15分57秒 | グルメ
 久しぶりのグルメ記事である。今回は、ひちふく岡部店の「いかの鉄砲寿司」だ。有名な駅弁に「いか飯」というのがあるが、あちらは詰めてあるのがもち米で、こちらは酢飯であるからちょっとばっかり趣が違う。

 東海道岡部宿(おかべじゅく)は、東海道五十三次の21番目の宿場である。 現在は合併により静岡県藤枝市岡部町となっている。江戸時代の岡部名物といえば淡雪豆腐(あわゆきとうふ)ということになる。淡雪豆腐は柔らかく仕上げた豆腐で茶飯や香の物といっしょに出されていたらしい。

 因みに次の宿場藤枝宿の名物は瀬戸の染め飯と辛い漬物「ほととぎす漬」であったが、現在では焼津市の焼酎屋本店が「ほととぎす漬」の伝統を守っている。辛いものがお好みの方には是非お薦めしたい一品である。

「ほととぎす漬」は酒かすに漬けたウリにからしを塗り、塩漬けしたシソの葉で巻いた珍味。「涙が出るほど辛い」と気に入った武士が名付けたとされ、藤枝宿の名物として江戸時代から昭和初期まで東海道の旅人に人気があった。

 以下は蛇足であるが、東海道の宿場ごとに名物があった。由比宿はたまご餅、江尻宿(清水)では追分羊羹、古庄のうさぎ餅、府中(静岡)では安倍川餅、丸子宿ではとろろ汁、宇津の谷では十団子、島田宿では小まんじゅう、菊川では菜飯田楽、小夜の中山では子育て飴、掛川宿では振袖餅といった具合である。

 私は数年前に短期間であったがここ岡部町に所在する建設会社に勤務したことがある。私の自宅からは国道1号線バイパスを利用すれば30分程度で通勤できる隣町だ。

 明治時代に東海道本線が敷設されたときに鉄道が海岸線に沿って静岡、用宗、焼津、藤枝・・・・と、敷設されたため岡部宿は急速に宿場町としての賑わいを失った。

 一部には住民が蒸気機関車の煙や火の粉を心配して線路の建設を拒んだ所謂『鉄道忌避伝説』という俗説もあるが、当時の新聞記事や県の上申書には東海道の各宿で積極的な誘致運動が展開されていたという記録こそあれ、反対運動があったという記録はない。

 『鉄道忌避伝説』は、東海道の宿場町の大半が鉄道の恩恵を蒙ったのに岡部宿は例外的に外れたことに対する無理なこじつけなのだろう。

 現在、これという名所旧跡があるわけではないが、宿場時代の大旅籠「柏屋」というのが残っていて見学できる。町内の兵隊寺(常昌院)というお寺の兵隊の人形は一見の価値がある。

 遼陽城頭夜はたけて 有明月の影すごく 霧立ちこむる高梁の 中なる塹壕声絶えて・・・・「敵の陣地の中堅ぞ先ず首山堡を乗っとれと三十日の夜深く前進命令たちまちに下る三十四連隊橘大隊一線に」と、軍歌「橘中佐」にも歌われた、軍神、橘周太中佐率いる静岡歩兵第三十四聯隊は、日露戦争初期最大の激戦首山堡(しゅざんぽう)の闘いで勝利するものの、23,615名もの死者を出し、橘中佐は戦死する。
 
 この勝利を最も喜んだのは中国の人々で、家の軒に日章旗を掲げ日本軍を歓迎したようだ。日本が勝ったおかげで朝鮮も中国もロシアの植民地にならなくて済んだのである。もっといえば負けていたら日本も植民地になっていたかもしれないのだ。

 大東亜戦争後、日本軍を悪とする戦勝国米国の教育により日本軍がなんだか中国にひどいことをしてきたとされているが、一面では日本軍が西欧列強から中国、朝鮮を守っていたのだ。

 さて、この静岡歩兵第三十四聯隊に入隊し戦死した地元の兵隊さんの人形を作って祀っているのが兵隊寺で一体一体本人を参考に作られている。

 
 宿場の中ほどにサッカー選手のゴン中山の生家があって父親の儀助氏は町会議員なども勤めたことがあり、テレビ出演などちょっとしたタレント活動もしているようだ。

 そのほか昔の東海道の松並木が残っていたり、「小野小町姿見の橋」などというのもある。この橋は、絶世の美女として名高い小野小町が夕日に映える西山の景色に見とれていたが、ふと下を見下ろすと長旅で疲れ果てた自分の顔が目に入った。その老いの身の上を嘆いたとされる橋である。この橋は宿場の中にあるが橋長僅か1メートルほどの短い橋であるから注意していないと見過ごしてしまうだろう。

 さて、写真の「いかの鉄砲寿司」であるが、旧・岡部町役場の南側、元の国道1号線沿いにある「ひちふく」というおにぎり屋の商品である。壁にゴン父中山儀助氏の色紙なども掲げてあるこの店にはクチナシの染飯のおにぎりなど変わった商品もあって味もなかなか結構である。

 当地ご通行のみぎりには宿場酒「初亀」と共にこの「いかの鉄砲寿司」をお薦めしたい。

 なお、岡部町の朝比奈地区は有名な朝比奈玉露の産地であるが、上の写真の湯飲みにあるのは安い煎茶の出がらしである。

 大事なことを忘れるところだった。岡部町といえば俳人・村越化石氏の生まれ故郷である。私は村越氏の生家のすぐ近くで工事をしたことがある。

 ◆ 望郷の目覚む八十八夜かな  化石

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好物は 胡桃ゆべしと ずんだ餅

2013年03月13日 10時07分32秒 | グルメ
 デパートの催事場といえばバーゲンセールということになるのだろうが私は一度も行ったことがない。私がよく行くのは各地の物産展というやつである。

 「沖縄物産展」「九州物産展」東北、北海道といろいろ開催される。先日は「東北物産展」というのが開催されていたので覘いてみた。南部鉄器や樺細工、琥珀などの展示を興味深く見たが、なにしろこうした物は値段も安くはないので、そうそう手軽に買えるものではない。

 庶民の懐にも優しい買い物といえば食べ物である。笹かまぼこ、南部せんべい・・・と、いったお店の中に「ずんだ餅」と「胡桃ゆべし」の売店があった。

 ずんだ餅(ずんだもち)は、南東北を中心にした地域の郷土菓子の一種で、東北方言では「ずんだもづ」「ぬだもづ」などと発音される。

 枝豆を茹で、薄皮を剥いて潰し、砂糖を混ぜた餡が”ずんだ”である。

 搗(つ)きたての餅を小さくちぎり、ずんだ餡をまぶしたのがずんだ餅である。くるみ餅、ごま餅などとあわせて三色餅として用いることが多い。仙台や塩竈(しおがま)には、枝豆の季節になると、ずんだ餅を食べさせる店もあるが、一般には客をもてなすときなどに家庭でつくられることが多い。

 ずんだ餅は餅と共に餡にも水分を多く含むため長くはおけず、餡が乾いてしまうと餅も固くなり、風味が落ちる。

 今回、この稿を書くにあたり下調べしていたところ、信州の諏訪地方を中心にして「のたもち」あるいは「ぬたもち」と呼ばれる郷土料理があることを知った。会社の事務員さんに岡谷市出身の女性がいるので訊ねたところ子供のころに食べた記憶があるそうだ。

 餅の部分は、うるち米ともち米を合わせたものを半殺しにする。その形は地方や家庭によってさまざまだが、お椀に盛りつけるほか、おにぎり型にすることもある。また、枝豆の餡(あん)の味についても、各家庭の好みがあり、甘みが強かったり、甘みがなくて塩味が効いていたり、酒やみりんを入れたり入れなかったりとさまざまなようである。

 数年前に雪の青森で事故死した仙台在住だった友人がレトルトのずんだ餅や牛タンを送ってくれたものである。ずんだ餅にはそんな思い出もあって物産展でみれば必ず買ってしまうのである。

 もうひとつの買い物は胡桃ゆべしである。

 仙台ゆべしなど、東北地方のゆべしには柚子が入っていない。柚子の産地から遠く、材料として使われにくかったからである。また、胡桃を入れるが、これは胡桃が材料として入手しやすかったからである。その良質で豊富な油脂分(江戸時代以前はクルミは山村にとって貴重な蛋白源と脂肪分でもある)のためか店頭では「油べし」と表記されることもある。
 
 味付けは醤油ベースであり、砂糖・黒砂糖の甘みにより、甘いものになっている。東北地方のゆべしは、本来の柚子の菓子ではなく、餅菓子となっている。

 羊羹を食べるときのように、適当な大きさに切り分けて一服の抹茶と一緒にいただいたのだが、実に香ばしくて美味であった。




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