日々是好舌

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尺八の名人がいた龍泉寺

2019年09月04日 14時39分21秒 | 日記
フェイスブック友の伊藤彰氏から写真を頂いた宝台院の境内にある「尺八碑銘」について調べてみた。
以下は「駿府猫猫齋」さんの記述を参考にまとめました。

宝台院(ほうだいいん)は、静岡市葵区常磐町二丁目(旧下魚町)にある浄土宗の寺院。山号は金米山。寺号は龍泉寺。本尊は阿弥陀如来。江戸時代には江戸幕府から朱印状も与えられていた。寺の創建は室町時代である。
境内に「尺八碑」が建てられている。この碑については,小菅大徹(2017)「江戸時代における尺八愛好者の記録 ~細川月翁文献を中心として~」(虚無僧研究会発行)の中で詳細に記述されている。

「細川月翁」は熊本藩の支藩・宇土の江戸中期の殿様。二代目黒沢琴古に師事し、自ら製管をするほどの尺八好きで、多くの貴重な資料を遺した。

碑文によれば,この碑はこの地で尺八を教授していた柳井青翁師の功績をたたえ、1890年(明治23年)に師が64歳になったのを期に師を顕彰して門人が建立したことが書かれている。建立の主唱者として、静岡県内の35人、愛知県の1人、石工1人の名前が刻まれているが、中には10人以上の竹名の人物がいる。女性も2人以上含まれているようだ。

明治23年、既に碑を建立するほどに尺八が普及していて、さらに竹名を授与する(または「承認する」)ほどに尺八の組織もできていたということに驚く。



なお,この宝台院は徳川家康の側室「西郷の局」の菩提寺であり、大きな墓石が建立されている。また,キリスト禁教令が出るまで家康の侍女「ジュリアおたあ」らが信拝したという「キリシタン灯籠」も保存されている。宝台院は、明治元年(1968年)に江戸幕府が倒れた後、徳川慶喜が明治2年(1969年)に市内に居所を得るまで約1年間謹慎したお寺でもある。


【碑文】
柳居青翁者東京人名直孝舊稱半兵衛糟谷氏世爲幕府臣夙有隠逸之
志年既壯矣譲家其弟受吹笛法於荒木古童終極秘奥又喜俳諧歌煎茶
式等超然遊于物外明治十七年五月静岡寳臺院主謙賀愛其爲人延為
賓師乃移院中居數年最留心古曲無所不推究遂補修之蓋出于其自得
也今年六十又四門人相謀建石勒銘以代壽碑因請余銘銘曰
   虞舜作簫 律呂和調 厥形參差 厥音超遥 星移物換 曽不絶@
   或稱尺八 猶?九韶 李唐高僧 呪經升天 張伯一叫 □雲爲穿
   十又六世 張參?傳 我僧法燈 渡海問禪 受業出□ 悟空入玄
   歸朝建寺 法侶滿筵 創意截竹 不復用編 一?五□ 美之吹之
   如喜如泣 如訴如悲 上下鬼神 感動婦兒 爲布教□ 設後世規
   尺八之稱 遍于四維 ?人嘯月 遺懷慰思 義士晦跡 避險去危
   世勢一變 教法敗懷 新政漸興 舊物盡廢 國多野調 郷乏豎篴
   嗚呼青翁 不顧人言 及其未絶 餘音尚存 刻苦研究 夙夜弗諼
   濯足東海 寄身寺門 訂曲校譜 誘掖後昆 惟斯奇行 豈無淵源
   壽興石堅 長頌聖恩
   明治二十三年十月           關口隆正撰文并書

      *□=読めず。?=何の字かわからず。@=“竹+秋”の字。

柳居青翁は東京の人。名は直孝、旧称は半兵衛。糟谷氏。世々幕府の臣たるも、夙に隠逸の志あり。年 既に壮たるや、家をその弟に譲りて吹笛の法を荒木古童に受け、終に秘奥を極む。又、俳諧・歌・煎茶式等を喜び、超然と物外に遊ぶ。明治十七年五月、静岡宝台院主謙賀 その人と為りを愛し、延(ひ)きて賓師と為し、乃ち院中に移す。居ること数年、最も心を古曲に留め、推究せざる所なく、遂に之(これ)を補修す。蓋しその自得に出るなり。今年六十又四。門人相謀りて石を建て銘を勒し、以て寿碑に代えんとし、因りて余(=関口隆正)に銘を請う。銘に曰く:
虞舜 簫を作る   律呂は和調し  その形は参差  その音は超遥
星移り物換るも  曽て*を絶やさず  或いは尺八と称し  猶■九韶
李唐の高僧  経を呪して天に升る  張伯一叫するや  雲■穿と為す
十又六世  張参■伝  我が僧法燈  海を渡り禅を問う
業を受け出■  空を悟り玄に入る  帰朝して寺を建て  法侶 滿筵す
創意もて竹を截し  復たは編を用いず  一■五■  これを美としこれを吹く
喜ぶが如く泣くが如く  訴えるが如く悲しむが如し  上下の鬼神  婦児を感動せしむ
布教■  後の世規を設く  尺八の称  四維に遍し(注:*=竹+秋 の字。ふえ、の意。)
■月に嘯き 懐を遣り思を慰む 義士晦跡し 険を避け危を去る 
世勢一変し 教法敗壊す 新政漸く興り 旧物尽く廃せらる
国に野調多く 郷に豎篴乏し ああ青翁 人言を顧みず
其の未だ絶えざるに及ぶ 余音尚存し 刻苦研究し 夙夜諼するなし
足を東海に濯い 身を寺門に寄す 曲を訂し譜を校す 後昆を誘掖す
惟うに斯の奇行 豈に淵源なしや 寿きて石の堅きを興し 長く聖恩を頌す

愚生が想うに、一■五■のところは尺八の寸法、一尺五寸ではないでしょうか。