日々是好舌

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水鴎流清水袖師に今もあり

2020年11月03日 15時33分50秒 | 日記
 水鷗流(すいおうりゅう)は、居合を中心とする日本の武術流派。流派は静岡県静岡市清水区袖師町に現存する。正式には水鷗流居合剣法(すいおうりゅういあいけんぽう)という。水鷗流は三間与一左衛門景延(みま よいちざえもん かげのぶ:1577年~1665年)によって天正、元和の間に創始された。居合剣法(居合)を基とした剣法、薙刀術、杖術、小具足などが伝わる総合武術。また第九代の福原景利が正木流萬力鎖術より編み出した正木流鎖鎌術を併伝している。
 流祖は天正5年出羽国佐竹氏に仕える十二社権現の神官、三間斎宮の子として生まれ、父につき卜傳流剣術、父の剣友で林崎甚助重信の高弟、東下野守元治(神明夢想東流)の系統である桜井五郎左衛門直光から林崎流居合の極意を学び、さらに奥秘を極めんと昼は神木に向かい抜刀撃剣、夜は神殿に坐し瞑想、神助を祈願した。そして修行すること20年、神殿内陣において、夜三更(真夜中)になり、大円想の中に白鴎が無心に浮かぶ姿を想見し、忽然と大悟し、天の二十八宿に篭って居合法形二十八本を定め、これを基とし諸般の武術の妙を究めた。これを水鷗流と号して諸国を巡り、流儀を広め門人を取り立てた。作州津山で宝山流の浅田九郎兵衛との試合が『撃剣叢談』に記されている。

 現宗家は第十五代 勝瀬善光景弘。静岡市清水区の碧雲館道場で指導に当たる。(碧雲館の命名は中山博道・・・中山博道(なかやま はくどう / ひろみち、1872年3月19日(明治5年2月11日)~1958年(昭和33年)12月14日)は、日本の武道家。流派は神伝重信流、神道無念流剣術、神道夢想流杖術。称号は剣道範士、居合術範士、杖術範士。大日本武徳会から史上初めて剣・居・杖の三道で範士号を授与された人物である。
 現在、赤穂藩で伝えられていたと思われる水鴎流の伝書(1740年)が赤穂市に存在する。伝書の内容は居合のみで、流祖の名前と創始された年代は一致しているが、同流創始の経緯や型の名前は現在伝わる水鴎流と一致していない。
 後、当流は江戸に伝わり、幕末の頃、水間半兵衛景次が十三代を継ぐ。維新後、景次は修験者となり各地を巡って遠州で勝瀬光安に奥義を相伝する。光安は十四代を名乗り、現在、息子勝瀬善光景弘が十五代を継承している。
 『撃剣叢談』の堤宝山流の項目に水鴎流についての記述がある。『撃剣叢談』(げっけんそうだん)は、江戸時代後期に著された武芸書。1790年(寛政2年)、備前国岡山藩士の三上元龍著。全5巻。
 『撃剣叢談』には「時に北国浪人三間與一左衛門と曰う者来りて居合を教授す。其門に入るもの多し。此人十六歳の時より十二社権現(国郡等詳ならず)の神木に対し二十年抜きたりしに神木終に枯れたりと云ふ。流名を水鴎と曰ひて之を弘む。作州の士人輩之に対し一の勝つ者なし。九郎兵衛に非さざば敵手ある可らずと衆人の勤めに任せ勝負を試むること已に定まる。門人之を危み、窺に問うて曰く「諸国の剣客彼れに及ぶ者なしと聞く。知らず、先生何の術を以て之に勝つや」と。九郎兵衛曰く「何の難きことか之あらん。抜かしめて勝つなり」と。三間之を聞き「浅田は聞く所に違はざる名手なり、其一言を以て勝負を知る。我が及ぶ所に非ず」と。終に技を較せずと云ふ。」と記されている。

 なお、漫画『子連れ狼』の主人公・拝一刀が学んだ剣術流派として知られているが、これは偶然の一致である。作中では水の中(主に川や池)での立ち合いで無類の強さを発揮するものであり、登場する剣技は一部を除き全て創作である。『子連れ狼』(こづれおおかみ)は、小池一夫原作・小島剛夕画の日本の時代劇漫画作品。1970年9月から1976年4月まで『漫画アクション』(双葉社)に連載された。柳生烈堂率いる柳生一族の手により妻の命と職を失った、水鴎流剣術の達人で胴太貫を携える元・公儀介錯人拝一刀と息子・大五郎の、さすらいと復讐の旅物語。
 出典元:水鴎流碧雲館ホームページより。

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