満州事変は、1931年(昭和6)9月18日、奉天(今の瀋陽)郊外での柳条湖事件を契機に始まった。
丁度そのころと思われるが、静岡県静岡市葵区横沢にあった含マンガン鉄鉱の大嶽鉱山は、日本鋼管株式会社が開発に着手し、その後、静岡市の小原藤太郎が坑内の探鉱に主力を注ぎ、さらに中外鉱業株式会社に譲渡した。戦時中は数百名の人力と機械力とによって1番坑地並以上、4番坑地並に至る間を露天掘りと坑内掘りを併用して大々的に稼行し、昭和10年度には年間3万トン以上を出鉱した。また昭和19年頃から1番坑地並以下を探鉱するため、本坑・中切坑・ 嶽ノ腰坑等の鋸入坑道を開鑿した。本坑では坑口より約120m附近で着鉱し、『南北方向と東西方向に鑓押し、約10m切上り等で鉱体の規模・形態・品位等を探索した程度で採鉱はほとんど行われていない。中切坑・嶽ノ腰坑は鎭入不充分で未だ着鉱しないままで掘進を中止している。
終戦と同時に坑内外に集積された多大の貯鉱を送鉱することもなく、放棄廃業したままで今日に及んでいる。第二次世界大戦末期には「日本屈指の鉄山」とされたといわれる。
昭和28年新鉱業権者木村達三氏(東京都渋谷区神山町55番地)が企業再開のため鉱区を設定している(静岡県試掘権登録第4141号)。
マンガンの一番有名な用途は、二酸化マンガンがマンガン乾電池やアルカリ乾電池の正極に使われる。また、リチウム電池の正極にも用いられ、リチウムイオン二次電池の正極材料として研究されている。また、磁性材料として、マンガン、亜鉛、鉄を含む金属酸化物であるMn-Znフェライトがインダクタやトランスのコア材料として用いられている。
マンガン単体が金属材料として用いられることはほとんどなく、合金として、マンガン鋼の原料や、フェロマンガンとして鋼材の脱酸素剤・脱硫黄剤などに使用される。鉄鋼用途で耐磨耗性、耐食性、靭性を付加するために、マンガン合金(フェロマンガン)や金属マンガンとしてマンガン分が添加される。
蛇足ですが静岡市葵区足久保奥組にあった美和鉱山(閉山)もマンガン鉄鉱山でした。画像出典:ミネラルマーケットブログ。