「小野小町の姿見の橋」です。
場所は藤枝市岡部町、合併前の志太郡岡部町内谷です。
絶世の美女と世にうたわれた小野小町は、父を良貞といって出羽守であった。その一女として生まれた小町は幼い頃からすぐれた才能に恵まれ、その上に容貌がすぐれ、人々の話題にのぼり大評判であった。
小町は成長するのにつれて歌道の修行に励みその作品も立派なものが数多く、歌人の紀貫之からも幾度か賞められていた。
晩年になったある時、京都から東の国へ行く途中に岡部の宿に泊まったことがあった。長旅と病弱の身のため、いつとはなくやつれてしまった。小町はこの宿場の橋の上で立ちどまり野山の景色の美しさに見とれていたが、ふと眼を橋の下の水面に移し、水にうつっている自分の姿を見つけた。自分の姿がひと頃の姿とかわり、やつれ果てていてあまりの変わりように自分の老いの身をなげき悲しんだのである。すぎし昔の面影はどこにも残っていなかったのである。水にうつった姿を疑いつつ岡部の宿を旅立っていったという。
場所は藤枝市岡部町、合併前の志太郡岡部町内谷です。
絶世の美女と世にうたわれた小野小町は、父を良貞といって出羽守であった。その一女として生まれた小町は幼い頃からすぐれた才能に恵まれ、その上に容貌がすぐれ、人々の話題にのぼり大評判であった。
小町は成長するのにつれて歌道の修行に励みその作品も立派なものが数多く、歌人の紀貫之からも幾度か賞められていた。
晩年になったある時、京都から東の国へ行く途中に岡部の宿に泊まったことがあった。長旅と病弱の身のため、いつとはなくやつれてしまった。小町はこの宿場の橋の上で立ちどまり野山の景色の美しさに見とれていたが、ふと眼を橋の下の水面に移し、水にうつっている自分の姿を見つけた。自分の姿がひと頃の姿とかわり、やつれ果てていてあまりの変わりように自分の老いの身をなげき悲しんだのである。すぎし昔の面影はどこにも残っていなかったのである。水にうつった姿を疑いつつ岡部の宿を旅立っていったという。
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