京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

狐目の宮崎学と犬

2023年07月07日 | 評論

(「実話web」より転載)

宮崎学氏(1945-2022)については、その死後も様々な評価・評論がなされている。思索者、体制批判者として彼がどれだけ世界や社会を透徹して見ていたのかは問題があるが、一つだけ感心して彼の文章を読んだ記憶がある。その著「突破者外伝」(祥伝社2014年)において次のようなことを述べている(p216)。

最近、農村や一部の都市でもクマが出没して問題になってるが、この原因の一つは村や町内で結界を作っていた放し飼いのイヌがいなくなったためである。昔は犬は放し飼いが基本で、これらが習性から自然に集団化して縄張りをもち、集落の周辺に現れる野生動物を追いかけた。クマよりずっと小さくて弱いイヌも集団になると強い。日本のようにイヌの放し飼いを禁止している国家もめずらしい。イヌが人を噛む、吠えてうるさい、糞で道路が汚れるなどの小市民的な理由から、農村部でも都市でもイヌの放し飼いをやめるようになった。その結果、シカ、クマ、イノシシなどの野外動物がそこに進出してきた」

 筆者も比叡山延暦寺のお坊さんに同じようなことを聞いたことがある。昔は、叡山にはかなりの野犬がいて、彼らのお陰でシカやイノシシが畑に入り込まなかったそうである。さらに個人的な思い出を述べると、昭和20年代には都市でも犬は放し飼いで、幼稚園に通う道すがら町の辻々にボス犬がいて、これと闘いながらの通園だった。また、1970年代ごろでも京都市内の某大学の植物園内に夜な夜な野犬が集まってきて、夜中に園内で作業をする人を取り囲んだりしていた。日本では大昔から人と犬は密着して暮らしてきたし、そのような記録がある。そもそもホモ・サピエンスが栄えてネアンデルタール人が滅びた原因の一つがイヌとの共生の有無だったという説もある。

 暴力団対策法で新宿のヤクザ(町内の犬)が取り締まれて、いなったくなったので、”本物の犯罪者”である中国マフィア(熊)が縄張りに入り込んで来たという。社会でも身体でも無菌状態にすると、かえって脆弱になるという理屈に、どれだけの根拠があるかわからないが、宮崎氏の主張はなんとなくエコロジカルで合理的なものと思えた。

 ところで、須田慎一郎氏がYutubeで語る宮崎氏の「追悼番組」(追悼 宮崎学さんから学んだこと - YouTube)にはかなりやばい話がでてくる。ホテルのロビーで宮崎氏が須田氏を恐喝し、いう事を聞かないので、ちゃぶ台返しをしたというのだ。これはチンピラヤクザの常とう手段で、ここでは町の野良犬を演じていた。”権力と戦うアウトロー”のはずが、チンピラヤクザの裏の顔を持っていたのである。それが魅力といえば魅力だったかもしれないが、こんな事で論客宮崎が”しのぎ”をしていたとは情けない。

(注1:「宮崎学」をインターネット検索していると写真家の宮崎学(みやざきがく)氏とかぶる。この人は長野県出身で、社会的視点にたって自然と人間をテーマに活動しているまじめな報道写真家である)こっちの宮崎氏の著「イマドキの野生生物」(農文協2012)には、ツキノワグマの生態の話がでてくる。森林構造の変化により、その活動分布が変化してきたという。

(注2:「ヒトとイヌの共生」から「人と犬の共生」への進化的考察が今後のテーマである。犬が街にいない社会がどのようになるのか? また人が減少すると犬はどのようになるのか文化動物学的考察の展開が期待できる。各民族におけるその形態と変遷を比較生態的に考究する必要がある。林良博の「日本から犬がいなくなる日 時事通信社 2023)も参考になるが、文化史的考察は希薄である。

 

追記(2023/07/17)

人と犬の「共生」を破壊したのは、明治政府であることをアーロン・スキャブランドが「犬の帝国-幕末日本から現代まで」(岩波書店、2009)で書いている。鑑札のない犬に懸賞金をつけて始末させた。

 

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アインシュタインの方程式

2023年07月02日 | 評論

  世界で最も有名な科学方程式はアインシュタインが発見したE=mc2(エネルギー=質量 X 光速の2乗)であろう。これは特殊相対性理論から導き出されたもので、エネルギーと質量が等価関係を持ち、相互に互換性があり、条件が整えばエネルギーが質量に変換されるのと同様に、質量もまた適切な条件のもとではエネルギーに変換されることを示している。この方程式により人類は「原子の火」を手に入れて、まず原爆が、ついで原子力エネルギーが生み出された。  

 アインシュタインは、純粋にこの式を理論から導きだしたので、核分裂によるエネルギーの解放などは予想もしていなかった。それを物語る有名なエピソードがある。 1920年の年末、ベルリンにいたアインシュタインのもとに一人の青年が分厚い原稿を抱えて訪れ、会って話したいと言い張った。受付で押し問答があり、面倒な手続きの末、青年はようやくアインシュタインに会うことができた。彼はアインシュタインに、あの有名な方程式E=mc2を基にして、軍事目的に利用できる驚異的な爆発力を持つ兵器が作れると語った。その場に居合わせた人たちの話では、アインシュタインはこの話をまったく相手にしようとせず、こう言ったといわれる。 『まあ落ち着きたまえ。きみのばかばかしい説の詳しい話に立ち入らなければ、きみはさらに恥をかかずにすむよ』 ところがなんと、それから二十五年後、広島・長崎への原爆投下をもたらしたのは、アインシュタイン方程式の応用にほかならなかったのである。  

 原子物理学の分野で飛躍的な発展が遂げられ、核反応が発見されたのは、レオ・シラードが神がかり的な直感を得た1933年のことだった。すなわち、もしある元素内の原子が衝撃を受けて二つの中性子を放射すると、連鎖反応が始まるのではないかというものだった。ヨーロッパの数人の科学者たちが実際に核分裂を発見したのは、1938年になってからだった。イタリアのエンリコ・フェルミが、その第一発見者だと言われている。それに続いてキュリー夫人の義理の息子であるフランスのフレデリック・ジョリオ、ドイツでは化学者オットー・ハーンとフリッツ・シュトラスマンもそれを発見した。ニールス・ボーアは、核分裂の実験が成功し、その理論的な説明もすでにできているというニュースを、1939年にワシントンで開催された第5回理論物理学会の席上で、アメリカの研究者たちに知らせた。このニュースは、またたく間に全科学界に広がった。核分裂に伴う質量欠損により膨大なエネルギーが生ずる事が実証されたのである。  

 ナチスがなぜ原子力を軍事目的に利用しなかったのか、いまでも謎とされている。世界中の科学者の半数が、原子物理学の発展やその利用法について討論していた。軍事面で応用できそうな発見には、いつでもすぐに飛びついていたナチスドイツが、核に関しては反応が遅かった。 第一の理由としてあげられるのは、幸いアドルフ•ヒトラーは原子力のもたらす現象にまるで興味がなかったという事だ。第一次大戦の伍長には原子力の重要性を理解する能力はなかったようだ。第二の理由は、ドイツの中心的な科学者たちが、故意に核分裂発見のニュースを隠したという点である。彼らは結果を見越して、ナチスにその秘密を敦えるべきでないと考えた。とくにハイゼンベルクの努力によって、ナチスは核兵器の開発で連合国に遅れをとった。  

 大事な事は、連合国側は核開発でドイツより優位に立っていることを、終戦の直前まで自覚していなかったことである。いつもナチスに先を超されているのではないかという強迫観念があったので、アメリカはマンハッタン計画を推進し、1941年から核兵器開発に莫大な投資をした(心の片隅には大戦後のソ連との軍事的対抗戦略の事もあった)。連合国の核兵器開発ブログラムを作るに当たってアインシュタインが果たした投割についてはすでに伝説化してしまったが、その背景に潜む事実はしばしばあいまいにされ、一連の計画推進への関与については甚だしく誤解されている。  連合国における核兵器開発プログラム推進の音頭を取ったのは、ハンガリー出身の物理学者レオー•シラードだった。彼は、核爆弾製造の競争でドイツに勝つ必要性があることをルーズヴェルト大統領に知らせなければならないと思った。だが、アインシュタインほどの大物でないと大統領を動かすことはできないことも分かっていた。シラードは1938年七月、アインシュタインを訪問することにした。その夏、アインシュタインはロングアイランドの友入のもとに滞在していた。シラードと彼の意見に共感したプリンストン大学物理学教授のユージン・ウィグナーは、アインシュタインの居場所をつきとめて突然に訪問し、この危険な状況を説明した。  

 アインシュタインは、核分裂を原子爆弾に利用するという考えに仰天したという。1930年代から40年代にかけての彼の研究テーマは物理学の主流からはかけ離れた統一場理論の研究をしていた。おそらく、核分裂の利用についてのホットな議論は追いかけていなかったのだろう。第二次大戦が終結した直後に、アインシュタインはシラードが待ちかけた話について雑誌記事のなかで言及している。「われわれの時代に、それが本当に実現するとは思いませんでした。理論的には可能だとは思いましたが」  アインシュタインは科学界の代表として発言することに同意し、シラードが起草した核分裂の利用について大統領に行動を呼びかける手紙に署名した。1939年8月2日付のルーズヴェルト大統領あての手紙は次のようなものだった。 『大統領閣下  エンリコ・フェルミとレオ・シラードの最近の研究の結果によりますと、近い将来ウランが重要なエネルギー源として利用される可能性があると思えます。ある意味でこの状況は警戒を要しますし、必要となれば政府の早急な対応が望まれます。したがって、これから述べる事実をお知らせし、ご注意を喚起させていただくのが私の任務だと考える次第です。 この四か月で、フランスのジョリオ、ならびにアメリカのフェルミ、シラードの研究によって分かったことは、大量のウランを用いて核分裂の連鎖反応を起こし、それにより強大なエネルギーと大量のラジウムのような新しい元素を発生させ得る可能性があるという点です。近く実行に移されることは、まず間違いありません。  この新しい現象は、爆弾の製造に結びつくかもしれません。そして確信は持てませんが、強力な新型の爆弾が作られることが十分に考えられます。この型の爆弾は、一つだけでも船で運ばれて港で爆発すれば、周辺部を含めて港全体を壊滅させる力を持っています。おそらくそのような爆弾ですから、重すぎて航空輸送には耐えないでしょう。  アメリカにもある程度ウラン鉱石はあるものの、品質は著しく劣っています。カナダや旧チェコスロヴァキア領からはかなり産出するものの、世界最大の鉱山はベルギー領コンゴにあります。 この状況にかんがみて、政府と密接な関係にある核連鎖反応の研究チームを組むことが望ましいというお考えに至るのではないでしょうか。そのためには、閣下が信用されるしかるべき人物に、非公式に仕事を委ねるのが賢明かと思われます。その人物は、次のような任務を果たすことになるでしょう。  (a)政府各省と連絡を取り、新しい発見を逐一知らせ、政府が取るべき行動を進言する。とくに、アメリカがウランを確保できるよう心がける。 (b)現在、大学研究室の予算内でおこなわれている実験を促進する。そのためには、当該の人物がこの目的のために進んで寄付をしてくれる個人と接触して必要な限りの資金を供給してもらい、必要な設備の整った企業の研究所の協力を仰ぐ。  ドイツは、占領したチェコスロヴァキアの鉱山のウラン輸出を禁じたと聞いています。このように迅速な行動に出るということは、ドイツ国務次官の息子フォン・ワイツゼッカーがベルリンのカイザー・ヴィルヘルム研究所と結んでいて、そこでアメリカと同様のウランの実験がいま繰り返されているためと推察されます。   敬具 A・アインシュタイン』

 この手紙を仲介したのは大統領にかなりの影響力を持っていた経済学者のアレグザングー・ザックスだった。アインシュタインの手紙を読むと、ルーズヴェルトはすぐに対策を講じると発表した。その晩のうちに、核分裂の利用法について調査する小委員会を設置した。その瞬間に、ヒロシマヘの道が聞かれたと言われている。  シラードが核兵器開発プログラムで助力を求めてきたとき、アインシュタインは大きな道徳的ジレンマに陥った。二、三年のうちに、彼の政治的見解は極端な平和主義から核兵器推進へと変身した。だがこの心変わりも、単なる思いつきではなかった。もし連合国が原子爆弾を製造しなかったら、遅かれ早かれナチスが製造することになるだろう。その場合、消極的に抵抗しても効果はない。そう考えたために、彼は手紙に署名したのだった。アインシュタインはロマン•ローラン的な反戦主義を棄却して反ファシズム戦争の推進者となっていたので、当然の帰結であった。  

 署名したことによって、彼は後に「原爆の父」というありがたくない名前を頂戴することになったが、これはまったく事実に反する。アインシュタインは、E=mc2という方程式を作ったが、ヒロシマとナガサキに落とされた原爆を製造したマンハッタン計画にはまったく関与していなかった。核実験に立ち合ったことも、一度もなかった。マンハッタン計画を主導したのはユダヤ系アメリカ人で、当時、ロスアラモス国立研究所の所長であった物理学者ロバート・オッペンハイマー(J. Robert Oppenheimer, 1904年 - 1967年)であった。  

 1945年8月6日の朝、史上初の厚子爆弾がヒロシマに投下された。瞬時に七万人もの日本人が命を落とし、その後に火傷や放射線障害で亡くなった人は十万人にものぼった。連合軍の核兵器製造計画が、ついに実現したのだった。アインシュタインはそのニュースをラジオで知った。彼は茫然として、「なんと恐ろしいことを」と言ったといわれる。ドイツがまるで核兵器を製造できる状況になかったことを連合国側が知ったのは、終戦後になってからだった。世界で最初の実験原子炉であるシカゴ•パイル1号が臨界に達したのは、1942年12月2日で、ここで生成したプルトニュウムが長崎の原爆に利用されたと言われている。この原子炉もマンハッタン計画の一部であった。    

 第二次大戦後、冷戦のもとに核兵器が世界中に拡散していく状況を見て、アインシュタインは、世界が悲惨な核地獄への道を歩んでいることを懸念した。戦争終結から亡くなるまで、彼は核兵器の廃絶を訴え続けた。体調が許す限り、彼はどこにでも行って熱弁を振るった。めったにプリンストンを離れることはなかったが、彼が強く気にかけていた核兵器拡散の恐怖について講演をするために、ときに短期間ニューヨークを訪れることもあった。アインシュタインはためらうことなく戦前のように平和主義に逆戻りした。その目的を達成するために、彼はイギリスの友人である哲学者で数学者のバートランド•ラッセルとの親交を深めた。二人は平和主義を広めるために、さまざまな策を練った。そして第二次大戦の教訓を忘れて、またもや不条理を繰り返そうとする時流を、力を合わせて押しとどめようとした。    

 アインシュタインが最も貢献したのは、原子科学者緊急委員会という組織を通じた反核運動だった。彼はその理事会の会長兼議長であり、必要とされる一般大衆の興味を引く作戦のうえで、彼の知名度が大いに役立った。その組織の目的は核兵器の危険性を一人でも多くの人に知ってもらい、ひいてはその開発に力を注ぐ政府の非道徳的な行為に目を向けさせることだった。そのためにアインシュタインは講演を行い、ニュース映画やラジオ向けのインタビューに応じた。全国紙に寄稿したり、雑誌や緊急委員会の機関誌にも執筆した。核兵器廃絶を訴えたラッセル•アインシュタイン宣言(アインシュタイン没後で遺言と言われる)には湯川秀樹博士も共同宣言者として名前を連ねている。  

 このような活動を続けていたが、1955年4月12日、アインシュタインは大動脈瘤破裂のためにプリンストンの自宅で倒れ、18日に息を引きとった。享年76歳。世界最初の商用原子力発電所として、イギリスセラフィールドのコールダーホール原子力発電所が完成する1年前の事であった(ガロア)。

「人間性について決して絶望してはならない。なぜなら我々は人間なのだから(アインシュタイン語録より)

参考図書 マイケル•ホワイト、ジョン•グリビン「素顔のアインシュタイン」(仙名紀訳)新潮社,

より)この書には日本人がいかに”科学的好奇心”の旺盛な民族だったかが分かるエピソードが書yかれている。1922年11月アインシュタインは日本を訪問した。たいへんな歓迎をうけたが、最初の大衆を相手にした講演は4時間を超えるものであったが、聴衆は最後まで静粛に聞いていた。翌日の講演では、さすがに長すぎると考えてアインシュタインは2時間30分に短縮した。ところが、終わると主催者は、今日の講演時間は昨日よりも短かったと気を悪くして文句をいったそうだ。

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井波律子〖完訳論語〗を読む

2022年07月22日 | 評論

宗教は人の救いのためのものだが、そのためにはある規範や倫理を要求する。キリスト教でも仏教でもそうだ。悪いことをすると地獄におちるとまでいって脅かす。ところで中国の儒教は宗教だろうか?孔子は中国では神格化されているが儒教は宗教ではない。「論語」は人としてあるべき姿を指し示したものである。人生の規範を集大成したものといってよい。これは当時の農民や一般人むけのものとは思えず、インテリにしか通用しない話のように思えるが、これが二千五百年以上生き延びてきた背景には、確かな論理性と登場人物群の豊かな個性によるものであろう。井波律子の「完訳論語」から、感銘を受けた名言を挙げてみた、

1)子曰く、君子は周して比せず。小人は比して周せず。

2)子曰く、学んで思わざれば即ちくらく、思うて学ばざれば即ちあやうし。

3)子曰く、利に放りて行えば,怨み多し。

4)子遊曰く、君に事えて数しばすれば、ここに辱めらる。朋友に数しばすれば、ここに疎んぜらる。

5)子曰く、之れを知る者は之を好む者に如かず。之れを好む者は之をれを楽しむ者に如かず。

6)子 南子を見る。子路説ばず。夫子 之れに笑いて曰く、予否らざる所の者は、天 之れを厭てん、天  之を厭てん。

7)子曰く、憤せずば啓せず。ひせずんば発せず。一隅を挙げて三隅を以て反らざれば、則ち復たせざる也。

8)子は怪・力・乱・神を語らず。鬼神を敬して之を遠ざく。知という可し。

9)子夏 絽父の宰相と為りて問う。子曰く、速やかなるを欲するなかれ。小利を見るなかれ。速やかならんと欲すれば、則ち達せず。小利を見れば、則ち大事成らず。

10) 葉公 孔子に語げて曰く、我がを党に身を直くする者あり。其の父 羊を盗む。而して子はこれを証す。孔子曰く、我が党の直き者は、これに異なる。父は子の為に隠し、子は父の為に隠す。直きこと其の中に在り。

11) 子曰く、君子は無能を病みとす。人の己を知らざるを病みとせざる也。

12) 子曰く、君子は世を没わるまで称せらざるをにくむ。

13) 子曰く、君子は和して同ぜす。小人は同じて和せず。

 

いくつか印象深いものを列挙した。論語の孔子は意外と人間くさい。6)は美人に弱い男の習性を話題にしたもので、南子は論語で出てくる唯一の女性。9)など読むと、孔子は結構プラグマティックな現実主義者で現代中国の人々の思考にも影響していることがわかる。金儲けを悪とはしていないし、大儲けするには小事にかかわるなと諫めている。11)と12)は矛盾しているようにみえるが、結局、なんらかの名をあげることが大事だと言ってるのだろうか?子究9-23に「四十五十にして聞ゆること無くんば其れ畏るるに足らざるのみ」といってるので、「名声」は君子たるものの必要条件のようではある。前からまえからこの2つの文言は気になっている。13)もどちらが、どちらか混乱する。小人の方が「そうだそうだ」と言いながら、心では人を馬鹿にしている。

 

 

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孫子の兵法とウクライナ戦争

2022年05月21日 | 評論

 2月24日、プーチン大統領がウクライナへの軍事作戦を行うと述べた演説の後、ロシア軍によって砲撃や空襲が開始された。これを受けてウクライナのゼレンスキー大統領は同日、戒厳令を発布。さらに、18歳から60歳の男性を出国禁止にする「総動員令」に署名し、戦争状態に入った。ところがロシアは短期間で首都キエフを占領する予定が、ウクライナ軍の予想外の抵抗に合い、撤退せざるを得なくなり、いまや東部地区の専守防衛といった情勢になっている。プーチンは何を間違えたのか? 中国の兵法書『孫子』を読んで考えよう。

 『史記』によれば兵法書『孫子』の著者孫武は、斉の人、兵法書13編を著すとある。春秋時代の人で呉王闔閭(在位前515~前496)に仕え、西は楚を破り、北は斉、晋を脅かして天下にその勇名をとどろかせた。呉王が諸侯の覇となりえたのも、孫武の力に負うところが多かったという。「孫子」は単に兵法書というよりも、深い人生訓を含んだ哲学書として読まれている。

  兵法書「孫子」の著者孫武

 

 兵は国の大事なり、死生の地、存亡の道、察せざるべからず

<戦争は国の一大事であり、人民が生きるか死ぬかの瀬戸際に追い込まれることが多い。国家の存亡を左右するものなので、最も慎重に考慮すべき事である>

プーチンは米国やNATOに挑発され、追い込まれるようにして戦端を開いたが、ウクライナ側の軍事体制を含めた情報不足や、クリミヤでの成功の驕りで、相手をなめきったために、とんでもない危機に陥ってしまった。ロシアは国内的にも国際的にもただではおさまらにだろう。真珠湾攻撃の奇襲で米国に開戦した大日本帝国の状況とよくにている。一国の命運を左右する決定をプーチンは安易に行ってしまった。もとKGBの中佐は大国を率いる器ではなかった。

 

兵は拙速を聞く。未だ巧みの久しきを聞かず。

<戦いは、たとえ拙速でも速決が大事である。いかに戦争巧者でも、長引いて成功したためしはない>

ロシア軍は、奇襲をとらず開戦前に演習と称してダラダラと時間を過ごした。その間、ウクライナ側は準備をととのえる事ができた。一点突破でキエフに奇襲突入し、主要施設を占拠しておれば、指揮系統が混乱してウクライナは相当にピンチだったろう。

 

兵を用いるの法は、国を全うするを上と為し、国を破ること之れに次ぐ。

戦争は敵国を滅亡させないで勝をおさめるのが最上である。敵国を破滅させるのはやむをえない場合だけである>

ロシア軍はいまや無差別に市民を殺戮し、施設や家屋を破壊する戦術を取っている。これでは、ウクライナ市民の怨嗟と怒りでもって、軍はますます苦境に陥るのは目にみえている。

 

百里にして利を争えば,即ち三将軍を虜にせらる。

<無理して遠くに攻め込めば、結局、将軍を3人も捕虜にされてしまうほどの敗北を喫する>

ウクライナではロシアの将軍クラスの軍人がスナイパーによって何人も戦死している。それだけでなく敗勢の責任をとらされて罷免された将軍が何人もいるといわれる。これでは士気は落ちる一方だ。

 

始めは処女のごとく、後には脱兎のごとし

<始めは処女のように静かだが、時期がくれば野兎のように行動する>
ウクライナ軍はロシア軍を防衛ラインまでひきよせ、隠し持っていた最新兵器でつぎつぎと撃破した。

 

軍に輜重なければ即ち亡び、糧食なければ即ち亡ぶ

<軍隊に十分な軍備品がなければ、戦いに敗れ、食料の準備がなければ敗北する事は必定である>

ロシア軍は2週間ほどで片がつくと考えて装備、弾薬、食料をその分しか準備してなかった。その結果は目にみえていた

 

彼を知り己を知れば、百戦危うからず。彼れを知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず危うし。

これは有名な孫子の命題なので解読は略す。プーチンは、どうもウクライナのこともロシアのことも分かっていないらしい。

 

亡国は以って復た存すべからず、死者は以って復た生くべからず。

<亡んだ国を再興することはできない。死んだ人を生き返らせることもできない>

亡びるのはウクライナかロシアか?あるいはその両方か?なんのためにスラブ人同士戦うのか?大義のない不思議な戦争だが、いままでアメリカがベトナム、南米やイラク侵攻などで、さんざんやっきた手本をもとにロシアがまねているように思えてならない。いま世界の正義の基軸が問われているが、ロシアが悪いからといって、米国やNATOが正義とは言えないのだ。

 

追記(2022/0523)

[呉子]も戦国時代の軍人呉紀の言葉をまとめたものだ。

国の和せざれば以って軍を出だすべからず。

死を必すれば即ち生き、生を幸すれば即ち死す。

三軍の災いは狐疑より生ず。

近きを以って遠きを待ち、いつを以って労を待ち、飽を以って餓を待つ。

など銘記すべき文章を残している。

 

追記(2022/11/20)

クラウゼウィツ語録(加藤秀治郎翻訳一芸社

 

名将は精神的教養の高い国民の中からしか生まれない

敵に勝つには、敵全体の重心を目指し、全力で突進せよ。

防御して反撃しないものは亡びる。

 

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キケロ「老年について」を読む

2022年03月03日 | 評論

 

キケロ著 大西英夫訳 「老年について」(講談社学術文庫2019) 

 

「無謀は華やぐ青年の特性、智謀は春秋を重ねし老人の特性」という名言で有名なキケロの著である。

 キケロ自身は登場せず、主に大カトー(84歳)が語るが、それとスキピオーとラエリウスとの対話の形式を取っている。古代ギリシャ人と現代人とでは平均寿命が違うので、老人といっても、今の老人よりもかなり若かったと思えるが、当時の哲学者や知識人はけっこう長命だったようだ。

 カトーの訓話には様々な偉人のエピソードが入混じ、いささか退屈であるが、要は「老人になったから衰えたのではなくて、そもそもそれ以前からの心構えや生き様が悪かったからだ」としている。「学問研究や仕事に常に孜々として携わって生きる者には、老年がいつ忍びよったか分からない」とも述べている。これは、当時のギリシャ人にとっても稀に幸せな環境(人生)の人だけの話だろうね。また、死は苦しみではなく、労苦に満ちたこの世を離れ、先だって黄泉の国に行った懐かしい人々にあえる至福の時であると述べている。これは母親が亡くなったときに、浄土宗のお坊さんがお通夜で話していたのと全く同じ話なので驚いた。老人がこの世を去るのは木の実が熟すれば自然に落下するのと同じだとも言っている。

 訳者の大西氏が後書きで詳しい解説をしている。ただ、そこには大カトーが自然(Nature)との結びつきを大事にしている話(15章16章17章)の考察が抜けている。ここでは青々と茂る牧場と並木、大地の稔、ブドウの栽培、農耕、ミツバチの群れなどの記述がある。老年になり書斎にとじこもり思念をこらしているだけではだめで、自然とのふれあいが大事だといっているのだ。これは現代人にも心すべき忠告といえる。

養生訓めいた話は出てこないが、老年とは何かを考える必読本である。

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『くらしのアナキズム』(松村圭一著)について

2022年03月02日 | 評論

 この著は混迷する文明社会を考察する一助となる。一番考えされられたのは、多数決=民主主義という考えは誤りだという指摘だ。これは少数者をコミュニティから排除してしまうからとしている。単純多数決ではなく、少数意見でも自分が無視されたと思わせない社会の例として、南スーダンのダサネッチという部族の生活を挙げている。しかし、はたして文明社会でそんなやりかたが通用するのだろうか?高知県窪川町の原発誘致問題などが日本での例として取り上げられているが、あまり納得できる話ではなかった。

 たしかに未開部族社会には本能的(innate)とも思えるコミュニケーションの方法があるようだ。今西錦司(人類学者・サル学の開祖)はその著「ダーウィン論」(中公新書479)で、未開部族民が以心伝心でもって共同作業における分業をおこなうと述べている(p105)。ポナペ島の島民は、誰の命令や打合わせもないのに、各自適切な作業をばらばらに行って立派な小屋を建てたそうである。この部族社会の労働における平等な分業体制が、少数者を排除しない民主主義を成立させているのかもしれない。しかし、これは文明の発達した開発諸国では適用できる話ではない。それに代わるのは、スイス型の直接民主主義と無制限討論方式しかないが、これはすごく時間のかかるものだ(下村湖人「次郎物語:後編」のテーマだったような気がする)。よほど気の長い民族でないと無理っぽいし、クダクダ議論しているうち、プーチンみたいな気の短いらんぼう者にたちまちやられてしまうだろう。

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保坂正康を読むー今も昔も教育エリートの弊害が日本をダメにする

2021年11月16日 | 評論

 

すこし古い本だが、保坂正康の「あの戦争は何だったのか」(新潮新書125)を読む。昭和天皇の戦争責任について、あいまいなところがあるが、おおむね納得できる内容であった。

 冒頭に、軍事的にはほとんど白痴のような当時の軍人達がどのように養成させたかが詳しく書かれている。陸軍の場合、陸軍幼学校、士官学校予科、本科、陸軍大学校の狭き門を潜り抜けた50人がエリートとなって枢要な地位におさまる。とくに上位の10名は天皇から恩賜の軍刀を受け取る超エリートであった。海軍でもほぼ同様のシステムでエリート軍人が選抜された。この連中には成績優秀でも、いざとなると独創性、状況識別能、勝負勘はまったくなかった。官僚的事務や戦術レベルの計画には、それなりに活躍できても、戦略的な構想や大きな理念が欠如していたので、最後は精神論にたよらなくてはならなかった。この傾向は現代日本にもあてはまると保坂は主張する。

 司馬遼太郎も同じような事を講演で述べている。司馬は1986年10月にNHK「雑談—昭和への道」で、「秀才信仰と骨董兵器」という放送を行っている。ここでは、学校で偏差値の高かった旧日本軍の軍人が、いかに情報を軽んじ想像力が欠如していたかを述べている。
「頭がいいということは要するに偏差値の事です。本当の意味の頭のよさとは違う。本当の頭のよさというものは測定しがたいものです」と言う。さらに、戦前戦中の日本ではドイツのヒットラーのような独裁者を生み出さなかった。これは官僚が支配する国だったからだと話している。「軍人も全部官僚でした。軍の中心にいる軍人は、作戦課長なら作戦課長、作戦部長なら作戦部長あるいは陸軍省の何々ポスト。あるいは内務省でもいい。その椅子がですね、だれが座ろうとその椅子の思想で振る舞い、物を言い、そして1年ないし2年で交代していく。日本の軍部は独裁的になっていきましたが、独裁者を出さない国でした。独裁者なき独裁でした。ですから、だれが悪いということを言えない昭和史のいらだち、得もいえぬいらだちの一つは、ここにあります」と。

 たしかに現在の日本の社会も当時とあまり変わらない。強力な独裁者は出でてこない。ともかく社会を、小さい頃から塾通いしてきた「偏差値の高い頭のいい」政治家や官僚がいつまでも牛耳っている。帝国軍人のように、彼らにとって国や自治体の命運が主題ではなく、自分の保身と立身出世だけが関心のようだ

 

追記(2021/12/01):渡辺昇一「ドイツ参謀本部」(祥伝社:2009)を読むと日本陸軍が廃頽していった、背景を読み解くことができる。モルトケ、バルダーゼ、レーデンブルグ、ゼークトなどの筋の通った軍人にめぐまれたプロイセン軍部が劣化してヒトラーに通ずる道は、日清、日露戦争を戦った軍人がいなくなって、東条英機が出た日本の歴史に通底している。

 

 

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京都大学の憂鬱

2021年10月25日 | 評論

 

  京都大学新聞は大学が承認した学生団体が発行する1部100円也の学内新聞である。その最新号(10月16日発行)を読んで憂鬱になった。まず1面トップには「元教授論文4本捏造ー実験実施の確認とれず」という記事が出ている。京大霊長類研究所の元教授正高信男氏(2020年3月定年退職)が発表した4報の論文が捏造とされ、正高氏に当該論文の撤回を勧告し、今後処分を検討しているという内容である。この事件の原因について学内の調査委員会は、正高氏の倫理観の欠如を指摘し、今後は学術誌への掲載が決定した時点での研究データーを「研究公正部局」に提出することの義務付けを主張している(それでも「2重帳簿」のようなものであれば防ぎようがないのだが)。正高氏は実験ノートは大学の研究室に残して来たと主張しているようだが、試薬の購入記録や被験者の記録も証拠ないので、捏造と判断されたものである。4報とも単著論文だそうだが、定年近くなった京大教授で、しかも多数の著書をものしてきた人物が、どうして論文を捏造する必要があったのか、まったく不可解な事件である。この霊長類研究所は、チンパンジーの行動学で有名な元教授松沢哲郎氏(懲戒解雇済み)の不正会計処理事件で解体(改組)の方向で話がすすんでいる。この研究所は世界で霊長類学を主導してきた歴史ある拠点である。これまで築き上げてきた先達の苦労が水の泡となりつつある。

 この記事のとなりには「論文不正新たに37件ー19年に懲戒の理・元教授」と別の論文不正事件が載っている。これは熊本地震に関する論文不正で2019年に停職処分を受けた理学研究科の林愛明元教授(昨年2月に退職)について、新たに4本の論文で37箇所のデーター捏造や改ざんが見つかったというものだ。これで学内規定にもとづき懲戒解雇となった。京大は林氏に文書で論文撤回を勧告したが、反応がなく不正認定や処分に対する見解は不明とのことである。こちらは共著者がいたが、所属機関から処分されたかどうかは不明である。彼らに何のペナルティーも課されないとしたら問題であろう。共著者にも罰則を与えれば、捏造論文や雑な論文の数は激減するはずである。ちなみに停職処分を受けた原因の論文はサイエンス誌に掲載されたものである。有名学術誌だからといって、信用してはならない例をまた一つ付け加えてくれた。

 この記事の下に「中島浩教授死去ー元学術メディアセンター長」の記事が並ぶ。中島教授はスーパーコンピューターの権威者であったが、今月6日夕方、大津市の自宅付近で交通事故にあって亡くなられた。これはまことに残念で悲しむべき話であるが、問題は{本紙の取材に京大は「大学としては把握していない」と回答した}いう記述である。この大学の回答は官僚的で非人間的な京大事務の体質をまざまざと顕している。何事においても、責任のある返答を避けようとしてきた習慣がこのような奇妙で非常識な返答をさせているのである。新聞が取材(問い合わせ)をどの時点で行ったかわからないが、こういった場合は「大学としては情報を収集しているところです」と回答するのが普通である。名物のタテカン文化も消え、自由の学風はどこへやら、上から下まで管理大学と変貌し、おまけに有名教授が不正論文を乱発するこの大学に明るい未来はあるのだろうか?まことに心配になってくる。

                  

               十団子も小粒になりぬ秋の風  許六

追記 1: 同じく11/11日付京都大学新聞にも改廃後の組織図が掲載されている。一部は「ヒト行動進化研究センター」という組織に、他の分野は既存の学内関連の分野にそれぞれ「分配」されるようである。松沢氏と正高氏のかかわった分野は廃止されるらしい。一部の教員の不祥事のために、伝統あるマスとしての京大霊長学の解体には賛成できない。

この研究所で不祥事が生じたのは、専門分野でおたがいコミュニケーションが無かったからではなく、研究機関としてのまともなコーポレートガバナンスが欠如していたからである。この傾向は、ここだけでなく、大学全体に蔓延する宿痾となっている。組織解体しても、なんの解決にもなっていない。コーポレートガバナンスは企業でも取り組みがなされているが、どこもうまくいっていない。大学のように責任主体が、だれかも明確でないところでは、ますます対処が難し。

追記2 同じく11/16付同新聞の見出しは「霊長類・再編に学界から憂慮の声・撤回求める署名も」とある。ここでは元所長の杉山幸丸京大名誉教授らが中心となってインターネット署名サイトで撤回を求める運動を展開していると報じている。また霊長研ではこの件でつよいかん口令がひかれ、個人の自由な発言が封じ込められているらしい。学内の所外からも強力な反対運動が起こらないのは何故か?教職員そのものが劣化しているのか?京大が香港化ているのか?そもそもこの「京都大学新聞」そのものに主体としての主張があるのか?昔のこの新聞なら見出しは「解体に断固反対!」であった。

 

追記3 (2022/03/10)

Chang.orgから[不正会計再発防止は霊長類研解体ではなく危機管理意識欠如の反省でおこなってください]という声明が出されている。まったく同感である。

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動物行動学の昨今

2020年09月03日 | 評論

 一昔前に、日本でもエソロジー(動物行動科学)というものがはやった時代がある。コンラッド・ローレンツの『ソロモンの指輪』がベストセラーになり、サロンでは、ちょとした知的なご婦人もその分野の話題をしていた。

動物行動における鍵刺激とか解発因という用語が使われ、本能、生得的(innate)と学習の区別は何かといった議論がよくなされた(アイベル・アイフェルベスト著 『比較行動学 1,2』みすず書房 1978)。

 たとえばイトヨ(魚)の求愛行動では1)ジグザグダンス、2)求愛、3)導入、4)追尾、5)巣口提示、6)入巣、7)身体の蠕動、8)産卵、9)射精といった美しいシークエンスが、その手の教科書に掲示されていた。

イトヨには何の意志力も思考力もなく、本能に組み込まれたプログラムを順番にとりだしていけば、目的を達することができると考えられた。このシークエンスが、途中で遮断されると、最初にもどってはじめるか、葛藤行動が起こるとされた。庵主は昔これを聞いて、イトヨはそんなに頭が悪いのに、よくぞこれまで滅びずに生き延びて来たものだなと思ったものだ。

無論、あの頃も動物の記憶、知性や意志などの存在と働きを論ずる人もいたが(たとえばインベルト・グリフィンの『動物に心があるか』など)、心の存在などと言うと、たちまち「擬人主義」というレッテルを貼られ、批判が浴びせられた。

 しかし、最近の動物行動学では反対に、動物一般の「心の問題」をとらえる方向にすすんでいるように思える (National Geographic 別冊『動物の言葉—驚異のコミュニケーション』を参照: 2020/07/06)。AIの開発によって、人の意識とは何かを探求する傾向が、この背景にあると思える。様変わりしたようだが、心の起源の探求こそ生物学の本来の目的の一つだった。

 旧エソロジーが人間以外の動物を「機械」と見なしていたのに対して、21世紀のニューエソロジーは彼らをヒトと同じ「心的存在」と見なして研究しはじめている。彼らは多様な感覚器をそなえ、言語を使用し、感情を持ち、文化や学習を行う。ヒトにおけるこれらの心的特性はヒト起源ではなくて、段階的に前の祖先から進化してきたもののようである。

このように考えると、人がイルカを殺して食べる根拠はあるのだろうか?ライオンがリカオンを捕食するのとは違うように思える。イルカにも家族がおり、知性を使い、感情を持っている。イルカにも惻隠の情があり、溺れた人を助けることもある。一方でチンパンジーは、群れで他の霊長類を狩るという。ライオンーイルカーチンパンジーーヒトー人の境目は何なんだろう?

 

追記 1 (2020/12/27)

エマ・タウンゼンドの『ダーウィンが愛した犬たち』(勁草社 渡辺正隆著2020)は、まさに動物の感情表現が人のそれと同等にあることをダーウィンの観察を通じて述べているものである。少し言い過ぎかもしれないが、ダーウィンの進化論は、ガラパゴスフィンチの研究よりもむしろ愛犬の行動(表情)の観察から出たとしている。ダーウィンは『人間の由来』で、人間と動物は深淵によって隔てられた世界ではなく、地続きだと主張している。犬が棒をくわえて行ったり来たり走り回るのは主人をからかうというより認識力によるのであり、それにより人間と動物に共通の起源がある証拠の一つとしている。人間的な美徳というものも、もとはというとヒトと動物の共通の祖先から受けついだものと言える。

 

追記2(2020/12/28)

人と犬が共感できる背景はそれぞれのネオテニー化であると思える。自然の動物は、食う食われる、安全な場所で寝る起きる、子孫を増やす育てるで精一杯の生活をしている。余裕のあるのは親によって保護されている子供の頃だけである。ある意味、文化は幼児期にしかない。人は寿命が延びて幼児期が延長してネオテニーがすすんだ。人類はますます幼児化してきて、コロナ禍の対応で分かるように、危機に対応できなくなっている。犬は本来、猟犬や番犬として選抜されたが、いまでは形態や性質の可愛い品種が好まれる。

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植物の感覚生理学: ダニエル・チェモヴィツ著『植物はそこまで知っている』

2020年06月26日 | 評論

ダニエル・チェモヴィツ著『植物はそこまで知っている』(矢野真千子訳)河出書房 2016

 

 

 

 植物が「見ている」、「臭いでいる」、「感じている」、「聞いている」と言った現象を、動物におけるそれぞれの感覚のメカニズムと比較しつつ、平易に解説を加えている。よくある疑似科学的なお話ではなく、研究報告を踏まえしっかりとした構成になっている。

 

 植物の「見る」ということでは、情報としての光の受容現象、すなわち屈光性、光周性、概日性リズムについて述べている。

ところで、この章にでてくる話しの、フィトクロムによって夕方には遠赤色光 (Fred)が受容され、朝方には赤色光 (red)が受容されるという主張は正しいのだろうか? 夕焼けと朝焼けのスペクタル組成が違はなければならないはずだ。

嗅いでいる」については古典的なエチレン作用の話しにはじまって、ネナシカズラの芽の宿主探索、食害されたヤナギの葉の警報フェロモンの話し(日本でも似たような研究をしている人がいるが、1980年代にすでに、この手の報告が外国であったのだ)。ライマメは細菌にやられるとサリチル酸メチルを放出し、虫に食われるとジャスモン酸メチルを出す。

 植物は物理的な接触刺激だけで活性化する遺伝子が存在し、touch(TCH)遺伝子と命名された。その遺伝子の一つは、細胞内のカルシュウム(Ca)信号の調節に関わるカルモジュリンの合成をするものであった。たくさん作られたカルモジュリンは活動電位中にでてくるカルシュウムと結びつく。

シロイヌナズナの遺伝子の2%以上が、昆虫が葉の上に止まったり、動物が触れたり、風が枝を揺らしたりする刺激によって活性化するらしい。

 音波が植物の成長などに影響を与えるという話しがよくある。ただ、著者のチェモヴィツによると、これらの報告は雑でとても信頼できないらしい。ダーウィンも、オジギソウに自分のバスーン演奏を聞かせて葉が閉じるかどうか調べたが、最後は「まぬけな実験」という自嘲的な記録を残して、無駄な試みをやめたそうだ。

2000年にシロイヌナズナの全ゲノム配列が決定された。そのDNA解析によってヒトの難聴に関わるホモログ(類似)遺伝子が存在することが分かった。それはミオシン蛋白を支配するが、シロイヌナズナの四つの「難聴」ミオシン遺伝子のどれかに変異が生ずると、根毛が正しく伸びなくなる。

この章は「鐘消えて花の香は撞く夕かな」という芭蕉の発句で始まる。これは感覚同調を表現した不思議な句としているが、作者はどこでこれを知ったのだろうか。

 ヒトが耳石で上下(重力)を感ずるように、植物は内皮の平衡石でそれを感ずる。植物の重力感知にかかわる遺伝子スケアクローは内皮の形成を支配しており。これに変異がおこると重力を感じなくなる。朝顔の一品種である「枝垂朝顔」はスケアクローに変異がおこっていることがわかった。植物のツルの回旋転頭運動は、内生的な機構とそれを増幅する重力応答の両方がかかわっている。

 「植物の記憶」現象についても、それらしい話しが紹介されている。ヒトの記憶はエンデル・タルヴィングによると1)手続き記憶、2)意味記憶、3)エピソード記憶の3層に分かれている。すべての記憶に共通するのは記憶の形成(情報の符号化)、記憶の保持(情報の格納)、記憶の想起(情報の回収)という三つの過程である。植物にも同様の現象がみられるかどうかが問題になる。短期記憶としてはハエトリグサでの実験がある。長期記憶としては側芽の形態形成記憶の研究がある。遺伝子レベルではエピジェネティク現象が関与する春化処理などの話しがある。さらにストレスにされされて活性化された遺伝子の発現パターンが次代に継承される例も知られている。

 

上で述べたような植物の情報信号は、受容部から離れた場所に、活動電位といった電気生理応答で伝えられる。この時、細胞内カルシュウム濃度の調節が関与していることが多いとされている。

参考図書

リチャード・フランシス『エピジェネティクス:操られる遺伝子』(野中香方子訳)ダイアモンド社、 2011

 

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Has man a future?: 人類に未来はあるか。

2020年03月24日 | 評論

バートランド・ラッセル 『人類に未来はあるか』日高一輝訳 理想社刊 1962年

 20世紀において人類が総体として危機におちいった大事件が二つある。一つは1918年のスパニッシュインフルエンザ(スペイン風邪)によるパンデミックである。当時、世界人口は約20億弱であったが、5000万から1億人もの人がこれのために亡くなったとされる。推計値に大きな差があるは、アフリカや中国での正確な統計がとられていないためである。いづれにせよ第一次世界大戦 (1914-18)の全犠牲者が戦闘員と民間人あわせて約3700万人といわれているので、これをはるかにこえる数の犠牲者であった。

当時の日本では、人口5500万人に対して約39万人が死亡した。都市部だけでなく農村部でも大きな被害を生じた。北国新聞 (1918年11月21日)は「感冒の為一村全滅」というタイトルで、福井県大野郡穴馬村の約1000人中970人が罹患し死亡者70人と報じている。京都では第三校等学校校長であった折田彦市先生がこれに罹って亡くなっている。

スパニッシュインフルエンザの発生(正確な場所は不明)は自然生態的なものであったが、感染の蔓延には世界大戦という背景があった。感染したアメリカ軍の兵士が船で運ばれ、一緒にウィルスを世界に広げた。1年間でドイツ兵によって殺されたアメリカ兵の何倍もの人数をたった2ヶ月で失った。これはドイツ軍も同様であった。

季節性インフルエンザは老齢者や幼い子供をターゲットにするのに、このときのパンデミックでは、青年の方が罹りやすくまた重症化しやすかった。その頃の生命保険会社のデーターによると、犠牲者の平均年齢は33歳であった。

青年に取り付きやすいウィルスがたまたま発生したのではなく、そうなる必然性があった。大戦中で多数の若者が徴兵されて兵舎や塹壕に詰め込まれていた。すなわち、非衛生的でストレスが多い環境にいた兵士をウィルスは襲った。変異したウィルスで青年に「適応」したものが、そこで爆発的に感染を広げたのである。

 この100年前の惨劇は歴史の教科書にはあまり取り上げられていない。アルフレッド・クロスビーの『史上最悪のインフルエンザ』(みすず書房)には「忘れられたパッデミック」という副題がついている。この作者は「人の記憶というもの-その奇妙さについて」という1章題をもうけて、これについて議論しているがすっきりした理由は出てこない。

医療の進歩により、このような事態は再びおこるまいとする慢心があったのだろう。しかし今回の新型インフルエンザ(COVID-19)のパンデミックで、そんな楽観論も打ち砕かれてしまった。

 

20世紀2度目の全人類的なクライシスは1962年のキューバ危機である。これは前のと違って純粋に政治的な事件であった。

1962年ソ連のフルシチョフがキューバに核ミサイル基地を建設した。それを察知したアメリカ合衆国ケネディ大統領はカリブ海でキューバの海上封鎖を実施し、核戦争の瀬戸際になった。極限の緊張が高まった時に、ソ連の輸送船団は引っ返して世界の破局は間逃れた。庵主はその頃高校生であったが、この日学校で級友と「一体どうなるのだろうか?」と不安げに話しあった記憶がある。

ウィキペディア(Wikipedia)の「キューバ危機」の項目を参考にしてもらうと、この危機の間に両陣営で何度も核兵器の発射ボタンが押されそうになったことがわかる。しかし、この事件の詳細は一般に知られず、また比較的短期間に収束したので、いまでは単なる歴史的なエピソードとして忘れかけらえている。

 

この事件を予見するようにして出版されたのがラッセルの掲書『人類に未来はあるか?』だ。

バートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル(1872-1970)はイギリスの哲学者、論理学者、数学者、平和運動家である。1950年にノーベル文学賞を受賞している。1955年に核廃絶をうったえる「ラッセル-アインシュタイン宣言」を発表した。以下この著からの抜粋。

『人類は、飢餓、洪水、火山の噴火といったような、たたかうべき危険をもっていた。(中略)そして人類は、こういった危難から抜け出す際、本能的なそして感情的な性格を一緒に新世界に持ち込んだ。それによって人類は前代を生きのびたのである。彼らは生き延びるために、非常な強靭さと情熱的な決心を必要としたものである。彼らはぬけめのない用心、油断のない気づかい、そして危機に際してはそれに立ち向かう勇気とを必要とした。そしてその過去の危難を克服してしまったあとで、彼らはその身につけた習慣と情熱をどのように処理しようとしたか?彼らは解決策を見いだしたが、それは不運にも幸福なものではなかった。彼らは、従来、ライオンや虎に向けていた敵意と嫌疑をその人類の仲間に向けたのである』

 

 ようするに、人類は自然の脅威に対する闘いの本能を他の人類にも向けてきたというのである。このラッセルの語りと現在進行中のCOVID-19によるパンデミックと関連づけてみよう。

各国政府の必死の努力にかかわらず、これに罹る人が罹り、死ぬ人が死んでいつかパンデミックは終焉するであろう。そして全世界で何万何十万(考えたくないが)という犠牲者が出て、残された遺族の怨嗟の声と責任を問う声にあふれるであろう。経済も社会もズタズタにされた多くの国では凶暴なナショナリズムを生むであろう。

これの予兆はすでにある。欧米諸国における、東洋人に対する感情的な差別や迫害が報じられている。コロナウィルスの起源と出所に関して、米国と中国の高官政治家レベルで非難合戦がはじまっている。それぞれの理性が勝利し、これが軍事的なクライシスに発展しないことを庵主は祈る。もし万が一、”米中コロナ戦争”が突発したら、一番に破滅的な戦場になるのは、台湾、韓国、日本であることは地政学的に明らかである。

 

追記1)(2020/04/02)

 ラッセルはアルフレッド・ホワイトヘッドと『プリンピキア・マティマティカ』(1910-1913)を著したことで知られている。この書は1 + 1=2であることを証明するのに379頁を使用している。

ブライアン・クレッグ(「世界を変えた150の科学の本」:石黒千秋訳、 2020、創元社)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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強欲は我が内にあり: 史上最凶のねずみ講=バーナード・マドフ事件

2019年12月14日 | 評論
 
 
アダム・レボー 『バーナード・マドフ事件ーアメリカ巨大金融詐欺の全容』 (古村治彦訳、副島隆彦解説) 成甲書房、2010
 
 2008年9月のリーマン・ブラザースの経営破綻にはじまるリーマンショックの激震がおさまらぬその年の12月になって、巨大な金融詐欺事件がニューヨークで発覚した。いわゆる「バーナード・マドフ事件」である。これの顛末についてドキュメント風にまとめたのが本書である。こんなことがありうるのかという話で、庵主は話の展開にのみこまれ一挙に読んだ。

 「マドフ投資の会」は先物取引の高度な投資手法を使い年率10%から12%の配当を上げていると言って金を集めた。しかし、実際には集めた資金は運用せずに、それを配当するというねずみ講(ポンツィ・スキーム)を行った。「あなたの投資総額は増えています」というウソの報告書だけを毎月送ることを続けた。そして相当の「手数料」を取ってマドフ家の贅沢な生活のために使った。最終的に被害者は約1万1000人に及んだ。
マドフ事件ではアメリカやヨーロッパ、日本の大手の金融機関、証券会社、生命保険会社、著名人、福祉財団、大学までもが被害にあった。被害総額は約6兆円に及ぶ。個人の損失金としては一人当たり数十億円から数百億円の損失額である。法人の場合はもっと大きい。
マドフのねずみ講にどうしてこれほどの巨額のお金が集まり流れ込んだかというと、「フィーダー・ファンド」と呼ばれる子供ねずみの投資信託会社(アメリカのヘッジ・ファンド)が大いに活躍したからだ。ここでもだまされた投資家たちがお金を出したからである。被害者ずらしているが、実はファンドはマドフと共同謀議した加害者であると副島氏は解説している。
 
 マドフは汚いビルの一室で営業するチンピラ金融業者ではなく、全米証券業者協会(NASD)の会長でもあり、株式のコンピュター取引を切り開いたナスダック(NASDAQ)の創始者でもあった。こんな大物が巨大なねずみ講を運営して20年間も詐欺金融をしているとは、誰も思わなかったようだ。投資のプロもだまされた。「何か怪しげなことをしているのだろうが、ともかく自分が儲かっているのだからそれでええわ」だった。ねずみ講では、破綻するまでは最初のねずみ達にとって投資した金額よりも多くのリターンがある。ただ途中で気づいて食い逃げすればの話ではあるが。マドフが破綻した後でも多くのねずみは総額としてはもうかっていたのに、約束の配当より少なかったとして訴訟をおこしたそうである。なんという強欲な連中!
 
マドフの経営に早くから疑問を抱き、ハリー・マーコポロスという人物がSEC(証券取引委員会)に告発し続けていた。彼はSECに何度も不正を告発する手紙を証拠付きで送っていた。それなのにSECは動こうとせず何もしなかったという。何もしなかっただけでなく、マドフの会社は安全であるというお墨付きさえ与えていた。
事件発覚後9ヵ月経った2009年8月に、SECは正式の報告書を発表し、「予算や人員に限界があり、経験の足りない職員が担当したので不正を発見できなかった」という驚くべきバカバカしい言い訳をしたそうである。なんと無能で自堕落な金融監督組織であったのか。多分、今でもそうだろう日本では金融庁がSECにあたるが、一体だいじょうぶなんだろうか?
 
マドフは貧しい東欧ユダヤ人の家系であるが、西欧ユダヤ人の金持ちをターゲットに金を稼いだ。しかし、マドフがダマしたのは裕福な資産家や投資会社だけではなかった。息子の命の恩人の家族さえも餌食となった。マドフの息子が別荘の近くの湖で溺れそうになった。たまたまある少年がそれをみつけ、息子を助けた。その少年の父親は配管工であったが、マドフは感謝のしるしとして、その配管工の虎の子の貯金10万ドル(約1000万円)を自分に投資させた。この10万ドルもきれいさっぱり無くなってしまった。
 
リーマンショック直後、投資家たちが一斉に資金の引き揚げを行ったので、返却する金がショートしついに事件が発覚した。マドフは逮捕されて刑事裁判にかけられ、罪をたったひとりで引き受け、懲役150年の有罪判決を受けた。現在、ノースカロライナ州の刑務所で服役中である。マドフは「巨大ねずみ講をつくったのは確かに自分だが、これを維持運営していたのは人々の強欲にほかならない」とうそぶいているそうである。
 
「訳者あとがき」で古村治彦氏は次のように述べている。日本のマスコミはバーナード・マドフ事件についてあまり報道しなかった。それは確実で安全な投資などないということが、この事件により気づかれてしまうからだそうだ。庵主思うに、運用利息が異様に高い日本の投資信託もほとんどがねずみ講なのではないだろうか。まじめな市民はこんなのに近づいてはなりません
ロバート・デ・ニーロ主演の映画「ウィザード・オブ・ライズ」はこの事件を描いたものである。この映画ではマドフの家族関係を中心に話が展開し、経済事犯の本質をえぐる視点はうすい。
 
 
 
 
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書評:シーナ・アイエンガー著『 選択の科学 (The art of choosing)』

2019年07月22日 | 評論

 シーナ・アイエンガー『 選択の科学』桜井祐子訳 文芸春秋


  我々は無意識に選択を繰り返しながら、人生を送っている。現在の自分は生まれてから行った無数の選択の結果である。しかし「選択」の持つ意味をあまり考えたことはない。この書は人にとっての選択とは何かをテーマにしている。英語原著のタイトルを「選択の技術」と訳すか、訳者の言うように「選択の芸術」かによって読み方が違うが「芸術」はちょっと無理に思える。

作者のシーナ・アイエンガーは1969年にカナダのトロント生まれ。両親はインドのシーク教徒であるが、1972年にアメリカに移住。高校のころ眼の疾患により全盲になる。シーク教徒の戒律にしばられて生活していたシーナはアメリカで「選択の自由」を知り、これにこそこの国の力があると知る。彼女が「選択」を大学で研究しはじめた背景である。コロンビア大学日ビジネススクール教授。本書の重要なあるいは印象深い記述をいくつか選び、解説と庵主の反論(つっこみ)を加える。

 

 • 泳ぎつづけるラットと溺れるラットー希望の信念の有無

  ラットを水槽で泳がしたときに、60時間も泳ぐラットとすぐあきらめて溺れるラットがいることが実験で分かった。そこでラットを何度か捕まえては逃がす訓練と、数分間、水を噴射して放す訓練をした。そして、「溺れるか泳ぐか」の実験をしてみると。全てのラットがあきらめずに60時間も泳ぎ続けた。苦難をのりこえたラットが「頑張れば助かるのだ」という信念を得たのではないか。

庵主反論:困難のかなたに救いがあると考えたからではなく、単に水に慣れて、よく泳げるようになった可能性がある

 

 •動物園の動物の寿命は野外のものより短い

 自然での行動の選択が制限されるストレスで、檻でくらす動物の寿命を短くしてるとしている。

庵主反論:動物園の過食が寿命を縮めている可能もある。ラットを含め多くの動物で過食が寿命を縮め、絶食が寿命を長引かせるという実験結果がある

 

 • 社長は長生きする。

会社の重役や経営者はストレスが多いはずなのに概して長寿である。これは彼らが選択権をタップリ行使できるからである。

庵主反論:もともと人一倍健康な人が会社の経営のトップになる確率が高い。それに給料や報酬が高いので、健康維持のために金をかけれることや、万が一病気になっても高度の治療をうけることができる。決定権を握っているからとは、必ずしも言えない

 

 • 十種類ものチューインガムは棚にいらない

店の棚に同一商品の種類が多いと売り上げはかえって減るという説である。

庵主反論:確かに選ぶ時間はかかるし、迷って買わないかもしれない。しかし、そのとき品物を買わなかったとしても、将来それが絶対に必要になったとき、客は種類の多い方の店を選択するので、長い眼でみると品数の少ない店より売り上げは伸びる

 

 • 東ドイツ住民は昔を恋しがる(この話は面白いので、本文を引用します)

 『1989年1月ベルリンの壁が崩壊した。 一夜にして東西ベルリンは再び一つの都市となり、自由に往き来できるようにたった。その頃は東ドイツの市民は、資本主義と民主主義が導入されれば、すべてがバラ色になると思っていた。しかし、意外にも、新たに見つけた自由に一様に満足していたわけではなかった。ドイツ再統合から20年を経た今も、ベルリンはいろいろな意味で、壁そのものと同じくらい強力な、「考え方」の壁によって隔てられた、二つの都市であるように感じられる。機会や選択の自由が拡大し、市場ではますます多くの選択肢が手に入るようになっていたのに、かれらはありかたく思うどころか、逆にこの新しい生き方に疑いを抱き、不公平感を募らせていた。2007年の調査によれば、旧東ドイツ人の実に九七パーセントが、ドイツの民主主義に失望を感じ、90パーセント以上が、社会主義は理論的には優れた思想で、過去の失敗は、単に実行に移す方法がまずかったせいに過ぎないと考えていた。共産主義時代を懐かしむこのような風潮はとても強く、ドイツ語でそれを表す言葉が作られたほどだ。東を表す「オスト」と、郷愁を表す「ノスタルギー」を組み合わせた、「オスタルギーー」である。一九八九年一一月には新体制を熱狂的に歓迎したベルリン市民が、今やかつてあれほど崩壊を望んでいた体制に戻りたいと思うようになったのは、一体どういうわけなのだろう?』(以上本文引用)

 まず、ソビエト連邦とその衛星国(東ベルリンを含む)が導入した経済体制について考えてみよう。政府は各家庭が必要とする自動車から野菜、テーブル、イスに至るすべての物資の量を予測し、それをもとに国家全体の生産目標を設定した。一人ひとりの市民が、学校で証明した才能や適性に応じて、何らかの職業を割り当てられた。職業の選択肢も、国家の需要予測を基に決められた。家賃と医療費は無料だったため、消費材にしか賃金を使う当てはなかった。国家が生産を管理していたため、家具、住居に謂当たるまでだれもが同じものを同じだけ低入れる事ができた。

(庵主愚考:資本主義=民主主義=競争原理=格差生成 vs 社会主義(共産主義)=一党独裁=計画経済=均等の比較の視点から問い直す必要があると思える。そもそも政治的選択(自由)がなくて、経済的平等を経験した東ドイツの市民は「駄目だ。ともかく西側のような政治的な自由(結社、情報、移動、表現etc)がまず第一だ」とベルリンの壁の向こうで考えた。壁の崩壊後それは手に入ったが、今度は経済的な矛盾に突き当たった。経済も建前は自由でドリームはあるが、雇用に格差や差別があり、とても平等とは言い難い状態だった。西側の罠にハマったか? ともかく、昔の方が良かったと旧東ドイツの人々は言う。このあたりの多次元方程式を解くには価値そのものの意味を問い直す作業がいる。)

 その他、この書は、いろいろ突っ込みを入れながら読むと楽しい。

 

 
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三年清知府 十万雪花銀:中国官僚の蓄財術

2019年07月08日 | 評論

 

 

 高島俊男の『司馬さんの見た中国』(「お言葉ですが 別巻6」連合出版 2014)を読むと、中国では古代から官僚は金持ちだったそうだ。中国の官は公務員試験である科挙によって選抜されたエリートである。気力があり、記憶力と頭がよければ誰でもなれた。それは大きく言って首都の中央官庁に勤める官、皇帝の代理として地方を治める官がいた。中央から地方、地方から中央へといった移動のたびに昇進したが、金銭の実入りは地方の方が圧倒的に多かった。そこでは官にべらぼうな収入があり、数百人くらいの一族を優雅に養っていけたそうだ。朝廷からでる給料が、そんなに高いわけがなく、職務によって得た金品の蓄財による。ただし、職務といっても、税金の横領とか賄賂による不正蓄財である。

 司馬遼太郎はこれを「腐敗」と呼んだが、高島によると「役得」というべきものだそうだ。儒教の最高の徳目は「孝」ということで、「年老いた両親に孝行するためにお金がいりますので」といえば、誰も文句いわなかったという。ほんまかいなというような話だが賄賂・贈賄は上から下まで行っていたようで、社会習慣となっていたようだ。タイトルの『三年清知府 十万雪花銀』は、三年ほど県知事や府知事を勤めたら十万両もの銀貨が貯まるということわざである。

 現在の中国は中国共産党が支配しており、皇帝もいないが(そのうち習近平がなると言う説もある)、統治の基本構造は秦の始皇帝以来の群県制である。ここでは共党員の幹部クラスが県知事に任命され、着任してから伝統にしたがい私腹を肥やして中央に帰る。中国では鄧小平の改革開放路線以来、国中で大きな資本が動き、地方の有力な政治家や官僚にも金が流れた。そしてほとんど例外なく、収賄や横領などの犯罪(高島のいう役得)を犯しているので、叩けばかならずホコリ(悪事)が出て来る。習近平は、それを利用して徹底的に政敵の追い落としをやってきた。

 現代中国社会の様々な問題点は共産党の一党独裁という全体主義から出て来たものではなく、どうも昔からひきづって来た「文化的」なもののようである。彼らのいう「共産主義」も「資本主義」も多分に中国的脚色の上に成り立っているのではないか?  それは遺伝子的なものか環境か文化伝統によるのか? これに関する研究が必要であるかと思う。

 

追記(2021/05/24)

ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』(草思社文庫:倉骨彰訳)によると、15世紀初頭では中国は技術面で世界をリードしていたそうである。鋳鉄、磁石、火薬、製紙、印刷といった技術である。また鄭和の艦隊は世界を圧倒し地球を半周した。しかし、そのリードを守りきることができなかった。それは中国のその後の絶対的な政治体制が進歩的なものではなく、抑制的なものであったためとされる。ヨーロッパは様々な地域に分裂し競合と協同があり、むしろ発展があった。幕藩体制が多様な文化を生んだ日本の江戸時代のようなものである。ともかく西洋が中国を逆転した。現代中国は外国の技術のパクリ屋のように言われているが、潜在的にはポテンシャルを持っている。これは歴史的に証明されている。それを中国共産党による現在の体制が引き出せるかどうか?

 

追記

勝又壽良、篠原勳著『インドの飛翔vs中国の屈折』(同友館2010年)によると、中国社会の特色は「自分中心的」「短期極大利潤主義」「散砂的(ばらばらで組織信用せず)」「模倣主義」だそうである。一方、インドは「自己抑制的』「長期適正利潤」「集団主義」「独創的」となっていて、なんだかえらく依怙贔屓な評価がされている。

 

 

 

 

 

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ヴァイバー•クリーガン-リード『サピエンス異変』を読む。

2019年05月31日 | 評論

ヴァイバー•クリーガン-リード『サピエンス異変』ー新たな時代「人新世」の衝撃 (水谷淳、鍛原多恵子訳)飛鳥新社 2018年

 

   この書は、人類がその歴史において行動、生活を変化させて来た過程で、身体の構造や機能にどのような影響があったか、さらに未来において文明諸国でそれがいかなる形で表われるかについて述べている。二足歩行による移動を生活の中心にしていた人類は農耕革命、産業革命、情報革命を経て歩く事が少なくなり、様々な身体の不具合を訴えるようになった。腰痛、近視、糖尿病、高血圧、心臓疾患やある精神疾患は、歩かなくなった人類が自ら生み出した人新世における新疾病である。この著者の意見では、ひたすら歩くという事によって、これらの予防や治療ができるということである。

  筆者は現代人に日常的な早歩きかランニングを進めている。さらにスクワット(しゃがみこみ運動)も身体によいとしている。また身体のなかの生態系のためにも、緑地や自然環境に、できるだけ触れ続けることを進めている。そこで何種類もの果物や野菜を含む食事をして、腸内生物の多様性を高めて健康を保つように努める必要がある。

  「ウオーキングは魔法の特効薬である」と著者のリードは言う(そういえば徘徊老人はなんだか健康そうだ)。このように、この書はいわば常識を展開した凡書のようであるが、「余談」で述べられているいくつかの挿話が結構面白い。たとえば「ニンジンがニンジンでなくなった」の一節では、生産の効率ばかりを考えて促成栽培されるニンジンが、昔のような優れた栄養価を持たないニンジンだと述べている。また口内の唾液のpHは本来中性だが、食事をすると酸性になるので、食後すぐに歯を磨くとそのエナメル質が溶けて、かえって逆効果であると書いてある。pHがもとにもどる寝る前の歯磨きが、やはり有効のようである。

  今後、人類におこる身体的あるいは精神的な不具合は、スマフォやパソコンなどの情報器機を使うことによって生ずると予測される。いまでも「メール指」や「スマホ指」が問題になっている。1980年代には「任天堂指」をめぐる同様の懸念があったが、症状としてでなかったので(ほんとうか?)、当時は問題にならなかったそうだ。しかし通勤電車内でスマホを操作する若者の姿をみていると、このような反復運動過多損傷(RSI)は今後の社会的な健康問題になりそうである。そのような事を考える人には好適な参考書であると思う。

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