京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

「イケガキ」の生態学

2024年12月06日 | ミニ里山記録

     ヨーロッパの田園を縁取り、畑を区分する役割をはたしている生垣の大部分は、中世あるいはそれ以前から続いている完全な人口生態系である。これは現在、多様性と魅力あふれる生態系を構築している。北米と違ってヨーロッパの生垣は樹木、灌木、草、小動物、鳥、多様な昆虫や無脊椎動物が複雑にあつまって構成されている。厚生林でも完全に開かれた土地でも補償できない、ゆたかな動植物の宝庫になっている。日本でも生垣(イケガキ)は防風林としての役割だけでなく「生きた垣根」として人の生活の中で機能している。

  (ルネ・デュボス著 「地球への求愛」より 長野敬訳 思索社 )

 

追記(2024/12/06)

日本において生物多様性にかかわる人工生態系は1)神社や寺の森(鎮守の森)、2)河川敷や遊歩道、3)大きな古い屋敷の森、4)町屋の坪庭、5)街路樹の根元の空間などがある(スケールが小さいが多数あれば意味がある)。

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セント=ジェルジの名言集

2024年12月02日 | 評論

 

 

 セント=ジェルジ・アルベルト(Nagyrápolti Szent-Györgyi Albert、1893-1986)は、ハンガリー出身でアメリカに移住した生理生化学者。ビタミンCの発見や筋肉収縮の機構解明などにより、1937年ノーベル生理学賞を受賞。その著「狂ったサル」(1971年The Crazy Ape and What next:日本語訳1972サイマル出版)は当時、科学者の良心的で正当な文明批判として注目をあびた。本棚の奥から、これを出してきて読むと、庵主の「思想」の基盤は、このよう当時の良識インテリの影響と薫陶を受けてきたことが、まことによく分かった。

「今の自分の成熟した考えかた」はほとんど、セント=ジェルジが言い尽くしていたのだ。この書から、いくつかの感銘的な名言を抜き出して示すことにした。

はじめに

「いまや人類が、誕生以来もっとも重大かつ深刻な時期に遭遇していることは、なんの疑いもありません。あまりに遠くない将来に、人類の絶滅すら考えられるほど、重大な危機です」

第一章

「人間の実体は、自己破壊的という点では、いまも昔も変わらない、ただいままでは、自己破壊を可能にするだけの技術的手段を欠いていたのだ、という考えかたです。事実、歴史を通じて、人間はたくさんの無意味な殺戮や破壊を事としてきました。自己破壊にまで至らなかったかったのは、殺人用の道具が粗放かつ非能率だったおかげです。暴力が吹き荒れたとき、多くの人が生き残ることができたのも、これが理由でした。ところが現代科学は状況を一変しました、今日、われわれは一連托生なのです」

第2章

「長い間、人間の主たる関心は死後の生でした。ところが、死の以前にはたして生がありうるのかどうかについて問われなけれならぬ時代を、われわれはいまはじめて迎えたのです。

第5章

年老いた裁判官は、ニたュルンベルク裁判で、ほかならぬアメリカ自身がうちてたてた原則(個人の良心が組織の決定よりも優先される)にもとづいてベトナム戦争に反対して徴兵カードを焼き、良心に従おうとしている若者に、重刑を科すことによって、自分たちがどれほど愛国であるかを見せようとしているにすぎない。

第6章

軍隊のおもだった生物的特徴の一つは、ガン細胞の場合と同様に、それが無限に肥大していくという点です。必要のあるなしにかかわらず、水も漏らさぬ組織と紀行とをもった軍隊は、個人と同様に、富と力を求めて行動します。肥大が避けられない理由は、軍隊は必ず相手方軍隊をつくりあげ、それよりも優位にたとうとすることです。それと手ぶらではおれないという別の理由があります。そこで事件をつくりあげては、軍隊を戦争やいかがわしい冒険に駆り立てるのです。

第8章

政府が、なぜ彼らを選出した市民を代表しないのか、という問題は厄介な問題です。理由はいろいろあるが、彼らが政治の駆け引きに通じたただの「政治屋」である必要があるからです。秀た指導者であるためには、よい政治家(statesman)であることです。

第9章

ベトコンを相手ににしてもどうもならない。彼らは最後まで戦う。ベトナム人は自決の覚悟でいる。どうしてアメリカが勝利をおさめることができるでしょうか?要するに人間というのは、見たいものを見、聞きたいものだけを聞くものだ、ということです。軍隊や政府の手先としてやっきに情報を集めている秘密情報員は、上司の耳にひびくものだけを見ているのではないかという疑念がわいてきます。

第10章

私自身が、アスコルビン酸(ビタミンC)を発見したとき、科学の進歩に貢献できたことをたいへん誇りに思ったものです。そのとき、私は自分の研究成果が、決して殺人のために使われることがないと信じていました。ところが、その私の誇りと確信とは、つかの間のものでした。ある日、私は、とある工場を視察しました。そこには大きなつぼがたくさんあり、その中にはアスコルビン酸がわんさと貯蔵されていました。それはドイツ潜水艦に配給され、長い航海をする乗組員にとって、壊血病を防ぐ格好の道具となったんです。アスコルビン酸は、かくして殺人使節団の道具と化したのです。

第16章

ニュートンの友人たちは、ケンブリッジのトリニティー学園の公園ベンチで、一日中、動かないですわっている彼の姿をみて、かれの精神状態を心配したそうです。納税者たちは、このような何もしない怠け者を援助すること自体がばかげていると、憤慨したにちがいない。いまでも政治家は役に立たなそうな基礎研究の科学研究費の削減を主張し、納税者の機嫌をとる。

第18章

すべての人間は10%ほどの愚かしさをもっている。この愚かしさは、この世に存在することの付加物である。そこで政府は、われわれの卑しい本能に訴えるわけです。最小公分母に訴えることにより、過半数の賛成票を皮算用することができるからです。

 

 

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志賀直哉の「暗夜行路」-この一節こそ

2024年12月01日 | 評論

 

   

 志賀直哉の「暗夜行路」は読んでも、つまらない私小説である。生活力のない時任謙作のとりとめのない日常と、どうでもよい出来事が、ダラダラと続く。人の関係テーマが男女間の「性」だけに絞られており、当時の高等遊民的な文人たちに受けても、我々庶民にはまったく感激のないお話である。

 ただ、最後のほうで、謙作が大山登山の最中に倒れ、気をうしないそうになって、カタルシス状態になるシーンだけが、この小説の中で印象的な白眉といえる。この小説はここだけと云ってよい。以下抜粋。

 

 「謙作は疲れ切ってはいるが、それが不思議な陶酔感となって彼に感ぜられた。彼は自分の精神も肉体も、今、この大きな自然の中に溶込んで行くのを感じた。その自然というのは芥子粒程に小さい彼を無限の大きさで包んでいる気体のようで、眼に感じられないものであるが、その中に溶けてゆく、それに還元される感じが言葉に表現できない程の心地よさであった。なんの不安もなく、睡い時、睡に落ちて行く感じにも多少似ていた。大きな自然に溶け込む感じは必ずしも初めての経験ではなかった。一方、実際半分睡ったような状態でもあった。大きな自然の溶込む感じは、必ずしも初めての経験ではないが、この陶酔感は初めての経験であった。

 静かな夜で、夜鳥の声も聴こえなかった。そして下には薄い靄がかかり、村々の灯も全くみえず、見えるものといえば星、その下に何か大きな動物の背のような感じのする北山の姿が薄く仰がれるだけで、彼は今、自分が一歩、永遠に通ずる路に踏み出したというような事を考えていた。彼は少しも死の恐怖を感じなかった。然し、若し死ぬなら此儘死んでも少しも怨むところはないと思った。

 彼は膝に肘を着いたまま、どれだけの間か眠ったらしく、不図、眼を開いた時に何時か、あたりは青味勝ちの夜明けになっていた。星はまだ姿を隠さず、数だけが少なくなっていた。柔らかい空の青味を、彼は慈愛を含んだ色だと云う風に感じた。山裾の靄は晴れ、麓の村々の電燈が、まだらに眺められた。米子の灯も見えた。遠く夜見が浜の突先にある境港の灯も見えた。明方の風物の変化は非常に早かった。しばらくして、彼がふりかってみたときには、山頂のかなたから湧き上がるように橙色の曙光がのぼってきた。それが見る見る濃くなり、やがて又あせ始めると、あたりは急に明るくなってきた

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