(スヴァンテ・ペーボ)
スバンテ・ペーボ(Svante Pääbo)(1955-)はスウェーデン人の遺伝学者。進化遺伝学である。古遺伝学の創始者の一人であり、ネアンデルタール人のゲノムの研究に大きく貢献した。2022年に「絶滅したヒト科動物のゲノムと人類の進化に関する発見」でノーベル生理学・医学賞を受賞した。
この書はスヴァンテ・ペーボのNeanderthal Man: Insearch of lost Genomesの野中香方子による訳である。化石資料の含む微量のDNAサンプルから、コンタミを防止しながら、いかように目的の遺伝子のDNAをシーケエンスするかを根気よく述べている。なかでもFOXP2遺伝子の変異(SNP)と”発音”能との関係の発見である。
ペーボは1997年ごろMPS(マックス・プランク協会)の人類学研究所の創始者に任命された。ここでハンスヨアヒム・アウトラムの唐突な悪口が出てくる。以下、抜粋。
仕事に慣れていくうちに、前任者が食中毒で急死したことを知った。その突然の死を悼む同僚たちに受け入れてもらうのは容易でなかった。中にはわたしを、未熟でふうがわりな外国人、あるいは略奪者かなにかのように見る人もいた。前任者を指導していた名誉教授ハンスヨアヒム・アウトラムと会うたびに、それを身に染みて感じた。アウトラム教授はドイツの動物学界の影響力のある生物学雑誌「Naturwissensh- futen」の編集長を務めていた。オフィスは私の研究室と同じフロアにあった。当初、階段で彼とすれ違う時には、丁寧に挨拶していたが、返事はなかった。その後、部下のい技術担当者からアウトラムが聞こよがしに「多くの若い優秀なドイツ科学者が職に就けずにいるのに、動物学部はInernationer Schrortを雇った」と言ったと知らされた。それを機に、私は彼を無視することにした。何年も後、すでにアウトラムは死んでいたが、わたしは彼が所属していたドイツの名誉ある学会のメンバーになった。なりゆきで、彼の死亡記事を読んだ。1945年以前、彼はナチ党員であっただけでなくSA(突撃隊)のメンバーでもあり、ベルリン大学でナチの国家社会主義思想を教えていたのである。わたしは常々ーやや過剰なまでにー誰にでも好かれていたいと思っているのだが、アウトラムに関しては、仲良くなれなくてよかったとその時、思った。
アウトラムは有名なドイツの生理学者であったが、ナチスの残党でどうしてアカデミーの世界で枢要なポジションについたのか不思議である。ペーボのようなバイセクシャルな自由人と上手くいくわけがなかった。おそらく、書かれていないが、直接不快ないやがらせにもあったのであろう。
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