岩の上に石垣
狭間(さま)
石垣
下ります
石垣
NHK大河ドラマ「真田丸」(2016)のオープニングに
備中松山城が使用されました。
麓の橋の欄干
これで備中松山城は終わりだじょう
岩の上に石垣
狭間(さま)
石垣
下ります
石垣
NHK大河ドラマ「真田丸」(2016)のオープニングに
備中松山城が使用されました。
麓の橋の欄干
これで備中松山城は終わりだじょう
大河ドラマ真田丸のロケ地の続きです。
備中松山城の沿革
備中松山城登城記念
天守
接続廊下(つなぎろうか)
上がりました
囲炉裡
狭間(ざま)
武者窓(連子窓)
上がります
御社壇(ごしゃだん)
御社壇
さんじゅーろーに、会えました。
天守
二重櫓 天守の北側
今宵は、ここまで
きのこ
臥牛山(がぎゅうざん)の自然林
いい石段です。
播州赤穂藩家老 大石良雄腰掛岩
石仏
臥牛山で遊ぶ小鳥たち
中国自然歩道高梁地区案内図
史跡 備中松山城跡
現在地 鞴(ふいご)峠 標高290m
中太鼓櫓跡(標高355m)
中太鼓櫓跡からの高梁市街
中太鼓櫓跡
中太鼓櫓跡の石垣
高梁市街
もう少し登るじょう
野辺の草花にも親しみましょう
真田丸で使われた場所近く
少し登って
この辺ですよ
はい、ここ 真田丸で使われた場所
いい石垣です
いい石垣と紅葉
来て良かったじょう
いいね
今宵は、ここまで
武家屋敷 撮っただけ〜
城と川と踊りの町 備中高梁
たかはしし さんじゅーろー
備中松山城御根小屋とその周辺復元図
備中松山城と城下町を巡るみち
中国自然歩道
外堀
総て学問は存心 致知 力行の三つなり
方谷の道 第ハ碑
魚がいました
この橋を渡って、備中松山城へ行こう
いい感じ
三島中州旧宅虎口渓舎跡
高梁市街
登城口
備中松山城
臥牛山(がぎゅうざん)
飯山
米子城跡
ポスターより
見事な石垣です。
ポスターより
米子市公会堂
ここで御城印をもらいました。
最強の城 米子城
2022年元日にNHK「日本最強の城スペシャル第10弾〜一度は行きたい絶景の城〜」において、米子城が最強の城に選ばれました。
米子市 マンホールの蓋
遠くに島根半島
中南米の遺跡みたい
いい石垣です
米子城の沿革
米子城は山陰で最も古く築かれた近世城郭で、標高90mの湊山頂上に総石垣の本丸と北尾根に内膳丸、東尾根に飯山(いいのやま)に采女丸(うねめまる)、山麓には二の丸、三の丸、船手郭(ふなてくるわ)を配置した平山城です。
湊山公園案内図
牢人ならぬ牢猫?
中海
水鳥
湊山
湊山
中海の埋立地
中海
第57番 栄福寺(えいふくじ)
第56番 泰山寺(たいさんじ)
第55番 南光坊(なんこうぼう)
第54番 延命寺(えんめいじ)
第53番 円明寺(えんみょうじ)
第52番 太山寺(たいさんじ)
石垣に出ました。
第63番 吉祥寺(きちじょうじ)
第62番 宝寿寺(ほうじゅじ)
中海 対岸は島根半島
第61番 香園寺(こうおんじ)
第60番 横峰寺(よこみねじ)
第59番 国分寺(こくぶんじ)
中海
中海
第58番 仙遊寺(せんゆうじ)
まだまだ続くじぇ
第78番 郷照寺(ごうしょうじ)
第79番 高照院(こうしょういん)
第69番 観音寺(かんのんじ)
第68番 神恵院(じんねいん)
中海
第67番 大興寺(だいこうじ)
第66番 雲辺寺(うんぺんじ)
第65番 三角寺(さんかくじ)
第65番 三角寺奥の院 仙龍寺(せんりゅうじ)
第64番 前神寺(まえがみじ)
まだまだ続くじぇ
石仏めぐりルートを行こう。
第70番 本山寺(もとやまじ)
第71番 弥谷寺(いやだにじ)
第72番 曼荼羅寺(まんだらじ)
第73番 出釈迦寺(しゅっしゃかじ)
第74番 甲山寺(こうやまじ)
第75番 善通寺(ぜんつうじ)
第76番 金倉寺(こんぞうじ)
第77番 道隆寺(どうりゅうじ)
石垣が上に見えます。
戦国時代は登り難くするために、一木一草(いちぼくいっそう)無かったらしい
二の丸跡から裏中御門跡
GURURIマップ
内膳丸跡へ行こう
内膳丸跡(一の段郭)
内膳丸跡(二の段郭)
内膳丸(出丸):丸山に築かれた郭で、二段に配置された細長い一の段郭、二の段郭から構成されています。
この郭から本丸に向けて登り石段を築き、米子城の中海側の防衛線が設けられていました。
内膳丸跡から天守台を望む
ようこそYONAGOへ
米子ッ子合掌像(こめっこがっしょうぞう)
昨夜のBS朝日「新鉄道・絶景の旅」山陰本線カニ旅でちょっと映っていました。
米子城跡へ行きます。
登城口近くまで来ました。
天守台が見えます。
国指定史跡 米子城跡
三の丸広場
登城口
登城口
旧小原家長屋門
この長屋門は、市内西町の小原(おはら)家にあったが、昭和28年米子市に寄贈され現在地に移築し、市立山陰歴史観として昭和59年まで利用してきた。
小原氏は、米子荒尾家の家臣で禄高120石であった。
建物は、江戸中期の建築で、木造瓦葺入母屋造(かわらぶきいりもやづく)りの平屋建てで、床面積は84㎡余りであった。大扉の向かって右側に一室、左側に二室あって、その上は一部低い中二階になっている。
市内に現存する唯一の武家建築として貴重である。
登城口
東十八間櫓
東十八間櫓は高さ約20mの石垣の上に建つ長さ約34mの一階建ての櫓で、北側は北十八間櫓に接続しています。江戸時代から数回の修復を経て受け継がれた重要文化財建造物です。2016年の地震によって櫓と土台の石垣が崩落し、神社建物を倒壊させました。回収した櫓部材と約1900個の崩落部材は、修復に備えて整理・保管しています。
石垣修復の主な手順
1.崩落状況の記録
2.崩落石材の番号付け
3.崩落石材の回収
4.石材置き場に仮置き
このへんは、未着手
生々しい