坂の上の雲 司馬遼太郎著
あとがきより
・・・維新によって日本人ははじめて近代的な「国家」というものをもった。天皇はその日本的本質から変形されて、あたかもドイツの皇帝であるかのような法制上の性格をもたされた。たれもが「国民」になった。不馴れながら「国民」になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者としてその新鮮さに昂揚した。このいたいたしいばかりの昂揚がわからなければ、この段階の歴史はわからない。
いまからおもえばじつにこっけいなことに米と絹のほかに主要産業のないこの百姓国家の連中が、ヨーロッパ先進国とおなじ海軍をもとうとしたことである。陸軍も同様である。人口五千ほどの村が一流のプロ野球団をもとうとするようなもので、財政のなりたつはずがない。
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坂の上の雲は、重く読み進めるのに時間がかかった。
次は、浅田次郎の「流人道中記」 面白くてすぐに読めた。
流人道中記は、1860年の設定。
日露戦争は、1904年2月6日ー1905年9月5日
44年・45年の間のことである。
タケホープが生まれて60年以上であるが、その間に幕末・維新はそれ程の変化があったのである。
図書館で「流人道中記」とサライ「司馬遼太郎の名作を歩く」を借りた。
再び、「坂の上の雲」あとがきより
ある年の夏、かれがうまれた伊予松山のかつてのおなじコースを歩いた仲間であったことに気づき、ただ子規好きのあまりしらべてみる気になった。小説にかくつもりはなかった。調べるにつれて妙な気持ちになった。この古い城下町にうまれた秋山真之が、日露戦争のおこるにあたって勝利は不可能にちかいといわれたバルチック艦隊をほろぼすにいたる作戦をたて、それを実施した男であり、その兄の好古は、ただ生活費と授業料が一文もいらないというだけの理由で軍人の学校に入り、フランスから騎兵戦術を導入し、日本の騎兵をつくりあげ、とうてい勝ち目はないといわれたコサック騎兵集団とたたかい、かろうじて潰滅をまぬがれ、勝利の線上で戦いをもちこたえた。かれらは、天才というほどの者ではなく、前述したようにこの時代のごく平均的な一員としてこの時代人らしくふるまったにすぎない。この兄弟がいなければあるいは日本列島は朝鮮半島もふくめてロシア領になっていたかもしれないという大げさな想像はできぬことはないが、かれらがいなければいないで、この時代の他の平均的時代人がその席をうずめていたにちがいない。
ほー、そういうものであるかのぅ