島根県指定文化財 医光寺総門
高麗形式の門で、屋根は切妻造り、本瓦葺、中央を高くし、両側を一段低くした構造になっています。
この門は、慶長五年(1600)の関ケ原の戦いの後、益田市二十代元祥(もとよし)の長門国須佐への移住に伴い廃城となった七尾城の大手門を移築したものと伝えられています。
七尾城の大手(城の正面)は、医光寺からの向かいの南側に見える七尾城山の中央の谷あいと考えられています。南北朝時代には当時の大手口「北尾崎木戸」で三隅方との合戦があったことが益田家文書に残っています。
十七世紀後半に屋根を改めたといわれ、前面の都市計画道路中島染羽線の整備に伴い、平成四年度に本堂から中門の延長線上に若干位置を移動し、解体修理が行われました。
構造、意匠とも簡素ですが、本柱、冠木(かぶき)ともに太く、戦国時代末期の豪壮な城門の姿を残す貴重な建造物です。
医光寺庭園
雪舟は文明十一年(1479)、益田氏第十五代当主益田兼尭(かねたか)に招かれ、画業の傍ら作庭したと言われている。
本堂
本堂裏に階段がありました。
こんなのを見るとすぐ上りたくなるタケホープです。
表のほうでウロウロしていた細君を呼んで上ります。
まだまだ階段は、続きます。
折れ曲がって、まだまだ続きます。
おお!ギンリョウソウだ!
(せしおさん、ありがとうございます)
頂上
な~んだって感じ
下りて来ました。
七尾城山麓側に来ました。
益田兼尭(かねたか)の墓
七尾城山麓側から医光寺方面を望む