平賀源内墓の次は、あしたのジョー立つんだ像に行きます。
日暮里駅行きの都バスは泪橋交差点を通ってその近くにあることは知っていました。クリンちゃんのブログを拝見して行きたくなりました。

山谷のホテル街です。
冷暖房完備、テレビ視聴可、3畳で1泊2,300円くらいでしょうか。コロナ前は、外国人観光客も多く利用していたようです。

方向音痴のタケホープは、ようやくあしたのジョー立つんだ像にたどり着きました。それにしても似てないですね。作画のちばてつやさんも似ていないと思ったでしょう。

一応後ろからも

桜なべ中江・土手の伊勢屋の近くでした。
隅田川に戻ります。途中玉姫公園のトイレを利用したのですが、こんな公園初めて見ました。

明治天皇行幸對鷗荘遺蹟

対鷗荘跡(たいおうそうあと)白鬚橋西詰
ここも何かあると知っていましたが、じっくり読んだことはありませんでした。
隅田川畔橋場一帯は、風光明媚な地であり、かつては著名人の屋敷が軒を連ねていたという。対鷗荘もその一つで、明治時代の政治家三条実美(さねとみ 1837~91)の別邸であった。
岩瀬忠震が鷗所と名乗ったのと同じですね。

花の碑
2月に豊後竹田の瀧廉太郎記念館に行って、ここに花の碑があることは知っていたので、ゆっくり見たくなりました。

花
春のうららのすみだ河
武島羽衣書

花の碑
春のうららの隅田川
のぼりくだりの舟人が・・・・・・
武島羽衣(たけしまはごろも)作詞・滝廉太郎作曲「花」。本碑は、羽衣自筆の歌詞が刻まれています。

すみだリバーウォークを歩きます。
いつのまにか「恋人の聖地」ができていた。


墨田区側の隅田公園です。
ここも藤田東湖ゆかりの碑があることを知っていましたが、ゆっくり見ることはありませんでした。
藤田東湖「天地正大気」の漢詩碑
江戸末期の尊皇攘夷論者として知られた水戸藩士藤田彪(たけし 号は東湖)、の「和文天祥正氣歌」(ぶんてんしょうのせいきのうたにわす)の刻まれた漢詩碑です。
弘化二年(1845)11月、東湖はこの地にあった小梅の水戸徳川家下屋敷に幽閉されているときに通称「正気の歌」を作りました。
東湖は、安政二年(1855)の大地震のときに50歳で不運な死を遂げました。