初出掲載誌「文藝春秋」1992年4月号~1993年11月号
(「日本人の二十世紀」は1994年4月号)
「統帥権」が4回に渡って掲載されていた。
「坂の上の雲」を読んで司馬遼太郎は、いいなと思っていた。
司馬遼太郎:筆名の由来は「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」からきている。
司馬遷:中国前漢時代の歴史家で、『史記』の著者。
史記:中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された歴史書である。
司馬遼太郎の「歴史観への批判」
司馬の作り上げた歴史観は、「司馬史観」と評される。
その特徴としては日清・日露戦争期の日本を理想視し、(自身が参戦した)太平洋戦争期の日本を暗黒視する点である。人物においては、高評価が「庶民的合理主義」者の織田信長、西郷隆盛、坂本龍馬、大久保利通であり、低評価が徳川家康、山県有朋、伊藤博文、乃木希典、三島由紀夫である。この史観は、高度経済成長期に広く支持を集め、ポスト高度成長期になると新自由主義や自由主義史観の流行にのって読まれた。
しかしこのような歴史観は都合が良すぎるという指摘がある。左派からは歴史修正主義の土台になった、右派からは自虐史観の土台になったとして、それぞれ批判されることがある。
Wikipediaより
司馬遼太郎は、歴史家ではなく小説家でありエピソードを面白おかしく書いて売れればいいと思っていたのか。
司馬遼太郎の小説は、話半分として、Wikipediaも話半分として50-50 フィフティ-フィフティのスタンスでこれからは生きていこう。
3月17日@横十間川親水公園
昨日の雨で、池の水位が少し上がっています。ドンガメチョはいないかな。
キンクロちゃんは、まだいます。
先日ここから、インバウンドの西洋人が写真を撮っていたんですよ。こんなのに萌えるのは、「電線愛好家」の石山蓮華さんしかいないでしょ。
先程の場所はここのすぐ左隣なんです。
空気がキレイになりました。
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