2011年1月21日(金曜日)
わたしには、いくつもの顔がある。
妻、母、祖母・・・そして議員、
そうそう、がんを抱える患者の顔もある。
健さんと話すときは、妻の仮面をつけるけれど、
時には恋人や友人、同級生のふりもする。
孫の前では、やさしくてかわいいバァバになる。
子どもたちの目には、どんな母として映っているのだろうか・・・
人はみな、生きていくために、その時々に応じて
さまざまな顔を使い分けている。
でもどの顔もみな、その人自身だ。
女性は化粧をして素顔を隠す。
(わたしはスッピンだけど・・・)
化粧をすることで違う自分になれるという人もいる。
役者は舞台の上では、仮面をつけ別の人の人生を演じるという。
「ガラスの仮面」のヒロイン・北島マヤは
千の仮面を持つ少女だといわれた。
そのマヤと敵対する大都芸能の社長・速水真澄もまた、
「紫のバラの人」という仮面をつけ、
マヤのあしながおじさんになるのだ。
タイガーマスクは仮面を脱ぎ、伊達直人という素顔にもどったとき、
孤児院の子どもたちのあしながおにいさんになったのだ。
今、その素顔の伊達直人という仮面をつけた人たちが
めぐまれない子どもたちに、愛の手をさしのべる社会現象が
おきている。
今日の朝日新聞の深層新層は
「拝啓 伊達直人さま」だった。
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201101200413.html
拝啓 伊達直人さま 演じれば優しくなれる? タイガーマスク現象
拝啓 伊達直人さま
いま、日本中があなたの話題で持ちきりなのは、
ご存じのことと思います。
あなたの名前で、児童養護施設などにランドセルや文房具を
贈る人が相次いでいるからです。
このニュースに接したとき、「うまい人選だなあ」と思いました。
あなたは、自分が育った孤児院に寄付を続けていましたからね。
全国の「伊達直人さん」も、あなたのような優しい人に
なりたかったのかもしれません。
でも違う点もあります。
あなたは素顔の伊達直人として寄付をし、
仕事の場ではタイガーマスクをかぶっていました。
それに対して今の伊達直人さんたちは、職場や家庭では素顔で過ごし、
優しい人になるときに自分を隠し、あなたの名前を使っています。
誰かを演じなければ、優しい人になれない時代なのでしょうか。
それとも、誰かを演じること自体が魅力的なのでしょうか。
久しぶりにあなたの名前を聞いて、まず思い出したのは
あなたが活躍するアニメのエンディング曲でした。
不幸な生い立ちに「ひねくれて星をにらんだ僕」でも、
孤児院の子どもたちは慕ってくれるから、
「みんなの幸せ祈る」という内容でしたね。
歌詞も曲調も、暗く重く、今どきのアニメソングとは大違いです。
ここまで暗くなくても、と思うほどです。
今回、あなた以外に、星飛雄馬さんや矢吹丈さんも寄付をされていますが、
それぞれアニメの主題歌では、試練の道を行ったり、
明日がどうなるか分からなかったり、となかなか暗いものでした。
アニメが放映されたのは、終戦から25年ほどたった、
伸びゆく高度経済成長期です。
そんな時代にも、いや成長が著しい時代だからこその
影の部分もあったのでしょう。
それに25年前といえば、今からさかのぼれば1986年で、
つい最近にも思えます。
あなたの現役時代も、25年前の戦争の記憶は生々しかったはずです。
あなたは戦災孤児といわれていますし、飛雄馬さんのお父さんも、
戦争で肩を傷めて苦労しました。
それも重さの一因なのでしょう。
伊達直人や矢吹丈を名乗るなかには、
70年ごろに子どもだった人もいると思います。
家族や地域という共同体も、今よりはしっかりしていたはずです。
それにすべてが均等に明るい現代と違い、
影や貧しさがあるからこそ明るさも格別に思えたのでしょう。
あの時代を懐かしみつつ、今は表だって「みんなの幸せ祈る」なんて
恥ずかしくて言えないのかもしれませんね。
そんなかつての子どもたちの姿を思います。
いつの日にか、またお名前を耳にすることがあるかもしれません。
そのとき、世の中はどうなっているのでしょうね。 敬具
(編集委員・大西若人)