ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

疑問

2012-02-02 16:00:46 | ひとの幸福
さっきの聖書の中の一文、聖書を系統立てて読んだこともないし、

自分から聖書を読んだこともないけど、

どこからか、多分他の本や新聞や雑誌やなんかからだろうと思うけど、

その言葉が私の記憶にあった。

どういうことなんだろう?と共に。

何度か書いた事あるけど、

私の頭の中の「わからないもの入れ」に入ってた。

いろんな“わからないもの”は次から次へと私の中に積まれて行く。

わからない、ということがわかるのでそこにしまわれるんだろう。

何かを調べる、勉強する、ということをして、

自分で自分に教えようとしなかった。

けど、面白いことに“わからないもの入れ”に入れてあって、

入れたことすら忘れてるけど、

ひょんな時に、あ、これはあのことだったのか?!となることがある。

勿論それがみんな正しいというわけじゃないけど、

あっ、そうなのか~という深い納得が生まれることもある。

こういう経験は結構誰でもしてるんじゃないかな。

小学校の1年でわからなかったことをそのままにしていても、

その後の時空で知らないうちにわかっている、ことなんて多い。

わかろうとしても、わからない時はわからない。

わからないことがいっぱいあるのは本当に楽しく、嬉しい。

剣をもたらすために 

2012-02-02 10:47:25 | ひとの幸福
アダムとイブの話。

イブは蛇にそそのかされたとしても、

自分の意志で神に逆らって善悪を知る木の実を食べた。

神はイブが食べる気になるように、

「あれだけは食べてはいけない」と言ったんじゃないかな。

ひとは禁止されるとよけいそうしたくなるという、

自由意志を持ってるからさ。

神はそんなこと承知でそう言ったんだよ、きっと。


「わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。

わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、

剣をもたらすために来たのです」っていう言葉が聖書にある。

これも私たちの精神・意識の働きが二元性を超えるようになるために、

それを体験出来るようになるための剣を、

持ってきたってことなんじゃないかな。

善と悪との戦い・嫁と姑との戦い・男と女の戦い・親と子の戦いとか。

特に善悪の二元性は最大。

善悪を知る木の実を食べた。

善悪の判断を心がすることを利用して、

何かをすること、しないことで、

美しくない感情を味わう、心が苦しむという体験をしないとひとは成長できない。

可愛い子には旅をさせよ という日本の古い諺も、

体験という宝のことを言ってる。

二元性を超える壁は高いので、

体験することで成長しないと超えられない。

ひとは何度も何度も失敗して成長する。

自転車に乗れるようになるまで、たくさん転ぶのと同じで。


仏教でも二元性を超える、というのを表わすのに、

いろいろ表現に苦慮してるみたいに思う。

どうしたの?いったい

2012-02-02 10:42:11 | 言葉
何かの現象を見て、「どうしたの?」と聞くことがある。

「いったい、どうしたの?」という表現を使うこともある。

最近の若い人はあまり使わないかもしれないけど、

それを強調して「一体全体どうしたの?」という表現が日本語にはある。

その人個人に起こっていることを、「一体全体どうしたの?」と聞く。

一体って、全ての時間、全ての空間を経て成っていること、と思う。

その現象が一体、全体に関係しあって、

生まれたものだとその日本語は言っている。